シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

「どんだけ一人なのか」「こんだけ一人なんです」

 拝啓、id:kameda007さま
 
 
 以前から、kameda007さんのブックマークコメントは興味深く拝見していました。うちのブログにも、沢山の滋味深いコメント、ありがとうございます。そのなかで、以前から気になって仕方がないブクマコメントが一つありまして、いつかゆっくり再検討したいと思っていました。
 

 前々から不思議だった。まずもって一日中ネットでの繋がりから離れられないような感覚は、正常であるのか。次に、常に誰かと繋がっている感覚がないと安定しないのではないかとか。逆にどんだけ一人なのかと思うよ。

http://b.hatena.ne.jp/kameda007/20080318#bookmark-7911398

 
 この文章を寄せてくださったkameda007さんは、おそらく私よりも幾らか年上の、ある程度精神的にも安定している誰かなのだろう、とお見受けしています。まず安定したメンタリティを持った一回り年上の世代の方が、一日中twitterを起動していないと気が済まないような人や、四六時中メール交換をしていなければ気が済まない人をみた時に感じる感想としては割とありそうなものだと思いますし、指摘内容そのものは、私も全くその通りだなぁと思いました。
 
 冗談抜きで、本当に私達は一人なんじゃないでしょうか。
 
 誰かと繋がっているという確認を強迫的に繰り返し、誤魔化しでもいいから誰かに承認されていると思いこめるよう反復行為を繰り返さなければならない程度に、僕ら個々人は孤独、否、孤立してるんじゃないかと思っています。コミュニケーションの対象とツールは幾らでもあるし、両親や兄弟がいないわけでもない。けれども幾らテキストやまなざしを交換しても、ちっとも相手が近くにいるような気がしないというか、仮に今この瞬間に手を繋いでいるとしても、次の瞬間、手を離せばもう不安で仕方がないというか。いつも一人ぼっちの感覚を忘れることが出来ないから、埋め合わせの反復行為と、承認を巡っての毛繕いと空気の読みあいに拘泥する----そんな事を幾ら繰り返したところで、ほんの暫く一人になっただけで不安と孤立感に襲われることには頭のどこかで気づいている、けれど何もせずにはいられないから、コミュニケーションを繰り返さざるを得ないんだと思っています。
 
 もし、彼らの(または私達の)コミュニケーションや交友関係が、お互いがお互いの心象風景を本当に近づけるものとして機能しているなら、twitterにせよ携帯にせよニコニコ動画にせよ、ユーザーのコミュニケーションがこれほど強迫性を帯び続けることは無いんじゃないかと思いますし、二十代の後半ぐらいまでに“親しい人物を何人か見つけたら”頻繁なコミュニケーションをやめてしまうような気もします。大体、ネットであれ携帯であれ、空気を読み合ってコミュニケーションを続けるというのは、実は結構ハイコストな営為です。そんなハイコストな営為をわざわざ選択せざるを得ないような、息苦しい心理的-台所事情は、彼らの(または私達の)頻繁過ぎるコミュニケーションを通しては改善されていないように見受けられます*1。この調子では、案外、何年経っても駄目かもしれません。昨今のネット界隈をみるにつけても、恋人が出来ようがセックスしようがオフ会に出ようが自分の子どもを持とうが、幾らコミュニケーションを繰り返しても孤立感が薄まらないまま、強迫的に繋がりを求め続ける人というのは案外沢山いるような気がしますし、私自身、それは必ずしも他人事ではないだろうなと覚悟している次第です。
 
 id:kameda007さんにおかれては、孤立感が少ないからこそ、そういった繋がりを確認しなければならない要請が少ないのだろうな、と勝手にお見受けしました。以前、「嫁は嫁」というブクマコメントを拝見したことがあったように記憶していますが、自分は自分、相手は相手、という気持ちを持てるということ・相手に近づこう近づこうと汲々とせずに済むということこそが、kameda007さんにおかれては孤立感の度合いが低い*2ことを証明しているように思えます。しかし、kameda007さんが同世代の人々と比べて特別に成熟した人格を持っているとか、豊かな交際関係をお持ちだとまで言いたいわけではありません。おそらく、世代平均としては、kameda007さんの世代においては、そのような孤立度合いの低い人というのが、まだしも多いのではないかと勝手に思いこんでいます。一方で、1970〜80年代以降に生まれの私達、オタク文化の主たる消費者でもあり、ネットコミュニティでグダグダやっているメインの世代でもある私達においては、孤独度合いの高い人の割合が、相対的に高いのではないか、とも推測している次第です。kameda007さんの世代においては、割と自然と持つことの出来た「孤立感度合いの低い」メンタリティは、今や稀少なものになってしまっているのではないか、不可能とまではいかなくても、多くの人においては到達困難な景色なのではないか、と少しペシミスティックに考えてしまうことが多かったりします。
 
 
 この、「孤立感の強さとその埋め合わせ」に関して、私は今、幾つかのテーマについて考えている所です。例えば、
 
「どうして私達の世代はこんなに孤立感が強いのか」
「この、腹の底から沸いてくる孤立感の由来は何処なのか」
「孤立感の強い心象風景は、孤立感の少ない心象風景になり得るのか」
「なり得るとしたら、それはどのようなプロセスを必要とするのか」
「ネットコミュニケーション・携帯コミュニケーションのはびこる理由と功罪」
 
 などについてです。オタクの心的傾向を追いかけているうちに、いつの間にか到達したのは、このような、オタク以外の同世代の人達でも持っていることの多い、孤立感の強い心的傾向でしたし、私が今一番考えたいと思っているのは、この心的傾向に関する色々な事柄です。今はまだ、十分に考察を重ねたとは言い難い状態ですし、「承認欲求」「所属欲求」などという、マズローの、使い勝手の悪い言葉を使って断片的に言及することしか出来ない身の上ではありますが、kameda007さんの仰るところの「どんだけ一人なんだ」という所を、より一層追いかけていく所存です。
 
 「どんだけ一人なんだ」とkameda007さんに問われたら、私は「こんだけ一人なんです」と答えるしか無いと思います。しかし、私や私以外の多くの人達も、自ら望んで“孤立感やってる”わけじゃあ無いと思うんです。多分、もう少し平穏で、コミュニケーションに強迫的にならなくて済むような境地を望んでいる*3と思いますし、正直、コミュニケーションにみんな疲れているとも思うんです。「こんだけ一人」で「こんなに強迫的に繋がりを求めている」人は、そうでない人からみれば哀れな生き物にみえるのかもしれませんが、この心的傾向が次世代のマジョリティなのは殆ど確定的かと思います。勿論、上の世代の方々も、その辺りは頭ではかなり分かっていらっしゃるだろうと思ってはいますが、そうは言っても、時に、気味悪がられてるんじゃないかなぁと思うことはあります。あ!「気味悪がられた云々」と言及するという事自体も、まさに「p_shirokumaがkameda007さんに対して執着した挙げ句、勝手に孤立感を感じ取った」兆候と言えるかもしれません。私もまだまだ、孤立感の強いメンタリティを抱えているっぽいです。
 
 少し脱線しかけましたが、「どんだけ一人なんだ」というkameda007さんの言葉から、連想した事を書き綴ってみました。孤立感がデフォルトの世代が、そうでない世代からどのようにみえるのかについて想像してみるにつけても、「こんだけ一人なんです」という状況について、上の世代の人達や、インターネットの外側の人達に、伝える言葉が欲しいと改めて思いました。ですが、今は未だ、私には言葉を紡ぐ力がありません。これからも無いかもしれません。しかし、そのような努力は続けていきたいと思います。それが、今の私の執着です。
 
  

*1:ちなみに僕は、「コミュニケーションや交友関係は、やればやるほどお互いの距離を近づける」という世間一部の思いこみを、無残だなぁと思うほうの人間です。商売柄、コミュニケーションをとることは多いのですが、むしろ、コミュニケーションをすればするほど、お互いの相違がみえてくるという部分も多々あるわけですし、それこそが重要だったりするとも思っています。ですが、繋がりや承認を巡る強迫的な確認行為のなかには、そのような相違の確認という目的は含まれていないような気がしますし、だからこそ、blog界隈などでも、お互いの相違を否認して突進せざるを得ない人を多くみかけるのでしょうね

*2:舌足らずを補う為に付け加えるなら、kameda007さんの実存的心象風景のなかでは、孤立をさほど感じない、とでもなるのでしょうか?

*3:しかし残念なことに、望むというか思い浮かべることさえ出来ない人も、最近では多いようですけれども。