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シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

せめて、彼らのゲームの思い出がいつまでも色褪せませんように。

 
 年度末を迎え、宴席が続いてあわただしい。社会人になってから毎年恒例の行事だが、週末にゆっくりゲームをやろうと思っても、なかなか時間の取れない季節が恨めしい。そんななかで、昨日の飲み会で、ちょっと気になる会話を耳にした。
 
 「最近、ゲームってつまらないよね」
 「昔のゲームは面白かった。ファイナルファンタジー3とか、バーチャ2とか」
 
 
 うわぁ、最近ネットで見かけたばかりの話題じゃないか。ちょうど、
「最近のゲームがつまらない」? 自分にあったゲームを探せていないだけじゃない? - 最終防衛ライン3
「最近のゲームがつまらない」と言ってしまう人問題 - ARTIFACT@ハテナ系
 で見たような話題である。
 
 ネットでみていた限りでは、上の二つの記事に書いてあることに僕は強く同意したくなった。しかし、仕事に関係した宴席で同じ言葉を耳にすると、随分と印象が違ってくる。彼らの「最近のゲームがつまらない」を聞いていたら、むしろ、彼らがそう思うのも無理ないよな、という強い共感を感じてしまったわけだ。
 
 

社会人はあまりゲームに時間やエネルギーを割けない…ゲーオタでない限り

 
 宴席で「最近のゲームがつまらない」と言っていた彼らは、ゲーオタというほどゲームに固執しているわけでもないけれども、学生時代まではセガサターンを買ったりゲーセンに通ったりしていた程度にゲームをやっていた人達だった。1970〜80年代に育った多くの男子と同じ程度には、ドラクエをやったりR-TYPEをやったりしていた男子だったわけだ。
 
 しかし、そんな彼らも社会人になると、ゲームをやっている暇が無い。学生時代、お金は無くても時間は有り余っていた連中にとって、放課後や夜間の娯楽としてゲームは最適だったわけだ。ウィザードリィのレベル上げにしても、アドバンスド大戦略のターン待ちにしても、学生時代であれば楽しかっただろうし、長時間、ゲーム仲間とゲーセンにたむろすることも可能だった。だが社会人としての彼らには、もうそんな時間は無い。彼らが回想していた「古き良きゲーム」はどれも、やり込みを要するような、時間をかけて楽しめば時間をかけたなりの楽しみが見つかるような、そういうゲーム名が多かった。しかし、今の彼らにそんなにゲームに時間をかける余裕は無い。いや、余暇を削れば可能かもしれないが、仕事で疲れた体で敢えてゲームをやりこむのは以前よりは樂なことじゃない。若さも失っているので徹夜でゲームというのも難しいし、学生時代にはどこからともなく耳に入ってきたゲームの情報も、自分で探し求めなければ手に入りにくくもなる*1。「社会人はゲームやりこみは不可能」とまではいかないにしても、学生時分に比べれば、ゲームというものに時間とエネルギーをつぎ込むことは次第に難しくなっていくことは確か。まして、所帯を持っている人であれば尚更と言える。
 
 ゲーオタのように、ゲームに特別な思い入れと情熱を持っている人であれば、多少の犠牲を払ってでもゲームをやり込むだろうし、放っておいても新しいゲームを見つけてやり込むことだろう。しかし、ゲームをやっていた人・やっている人の全てがゲーオタというわけではないし、子ども時代・学生時代にゲームを楽しんでいた人が皆ゲーオタになるわけでもない。実際は、ゲーオタ未満の人が過半数だろう。そういった過半数の人達にとってのゲームは、求道的に追い求めるものではないので、時間とエネルギーが足りなくなってくれば自然とプレイ時間も短くなってくる。特に、彼らの脳裏に刻まれたゲームが、やりこみを要するもの・プレイ時間を要するものであった場合、彼らがある種のノスタルジーに陥るのも無理の無いことだなぁと思う。仕事にくたびれて家に帰って、それでゲームでまたくたびれるということに耐えられてこそのゲーオタ道ではあるけれど、そうでない多くの人にとって、社会人になってからのゲームは“積みゲー”になりやすく、やりこみにくくなっているほうが自然とさえ言えるのではないか。よしんば彼らがゲームをやるとしても、楽しさを理解するのに時間のかかるようなタイプや、“上達した感”に到達するまでに時間のかかるようなゲームを味わうことは段々困難になっていくのではないか。言うまでもなく、ゲーオタでも無い彼らには、今までと全く異なるジャンルのゲームを自ら探すだけのモチベーションは無い。次第に狭く小さくなっていくジャンルの外側をまなざすことなく、「昔のゲームは良かった」と嘆息するのが、よくあるパターンと言えるだろう。
 
 仲間といるうちに面白いゲームに自然と出会って、暇とバイタリティにまかせてゲームをやりこんで…というのは、若いうちには空気を呼吸するように自然なことであっても、歳をとって社会人になった人が続けるのは案外難しい。赤ら顔で「最近のゲームはつまらない。」と語り合う彼らの姿をみているうちに、しようがないんだなぁ、彼らだって日頃忙しく働いてるもんなぁ、という気持ちが僕のなかで自然と沸き上がってきた。ゲーオタと言えるような人種でもない限りは、新しくゲームを自ら探したり時間やエネルギーを必要とするゲームを敬遠するのは、むしろ道理といえる。だとすれば、ファミコンやPCエンジンなどで育った世代が社会人となった今、彼らが「最近のゲームはつまらない」とぼやくのも無理は無いなぁ、とは思う。彼らの嘆息はおっさん臭く、格好の良いものではない。けれども、焼酎を呑みながら昔のゲームを懐かしむ社会人達の会話を見ているうちに、痛みを伴う共感のような、なんとも言えない気持ちになったのは確かで、ああ、どうしようもないんだなぁ、と僕は思った。
 
 せめて、彼らのゲームの思い出がいつまでも色褪せませんように。
 
 

*1:インターネットを用いれば、そういった情報を得る機会というのは、ある。しかしその場合も、自ら求めて情報を探さなければならない。それがゲーオタ的には勿論簡単なことかもしれないが、自ら求めてゲームを探すモチベーションを持たない人の場合は意外と思いつかない行動選択でもある