シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

“趣都秋葉原”終了の予兆としての破廉恥パフォーマンス

 
自称「セクシーアイドル」 ホコ天で股を開き、ケツ見せ/秋葉原 - アキバBlog
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1104493.html
 
  
 去年の8月に、「想像力の欠如した」路上パフォーマーが、秋葉原の歩行者天国を危機に晒す - シロクマの屑籠 という記事を書いたことがある。過激でデリカシーを欠いた路上パフォーマーが増え続けば、警察などによる介入リスクが高くなって、秋葉原の路上パフォーマンス文化が危なくなるんじゃないか、と危惧してみたわけだ。しかし、上記リンク先記事などをみるにつけても、いよいよ困った人達が混じっているようだ。これでは路上パフォーマンスの取り締まりが強化されても、弁解が難しそうである。アキバBlog(秋葉原ブログ・あきばぶろぐ)さんの過去記事をみるにつけても、アレなパフォーマーとそれに群がるアレな撮影者は、ここ最近、日常的にある程度の割合で発生しているようだ。
 
 最近の秋葉原記事を追いかけているうちに、「ああ、警察介入を招くまでもなく、趣都アキバって終わってるんだな」と私は感じるようになった。「ディープでカルトなオタクが集まる街」としての秋葉原ってのは、もう終末期に入っていて、オタク文化を濃厚に感じ取れる“旬”は過ぎているのだろう。少なくとも、秋葉原はオタク文化を理解する人だけが集まる街としての“シャープさ”を急速に失いつつあるんだろうな、と思う。
 
沢本あすかさん 秋葉原のホコ天で、カードレールの上に乗って、股を開いたり、ケツを見せていた:[画像]
 
 今回の記事の破廉恥女と、それに群がるドブネズミのような男どもをみる限り、この人達がオタク文化を理解し、そのオタク的趣向を理解したうえでパフォーマンスを楽しんでいるようには、どうしても私にはみえないのだ。こいつらは、従来からのオタクじゃない“余所者”なんじゃないのか。なんとなくだが、旧来の意味でオタクを自称している人達や、古くからアニメやゲームに親しんでいる人にはみえないのだ。いつぞやの、ハルヒコスプレぐらいまでなら、まぁ、オタの趣向を理解して楽しんでいるなという気もするが、今回の破廉恥女のやっていることに関する限り、オタク文化の文脈に沿った表現とか、アニメやゲームへのリスペクトを含んだパフォーマンスだとかには、ちょっと僕にはみえない。ただの、醜悪な痴態曝しにしかみえないですね。いや、これを何らかの前衛的表現と強弁する人もいるかもしれない。だとしても、これはオタク文化に関連したパフォーマンスではないだろう。秋葉原という街の歩行者天国の風物詩となっていたような、オタ的な表現とは違った何かだ。
 
 街というものは誰に対してでも開かれていなければならないし、実際、かつての秋葉原とは異なり、電気街を歩いていてもオタク同族っぽくない人をみかける頻度も随分高くなったと思う。また、そのことを嘆く必要も無いとは思う。ただ、そうやって“オタクだけの街”から“皆の街”へと移り変わっていくなかで、オタクの街・秋葉原の、オタク文化密度とでも言うべきものが、凄い勢いで希薄化しているじゃないか、とは感じる。あんな、ちっともオタク文化的ではないパフォーマンスが白昼堂々行われ、それに男どもが群がるのだとすれば、随分と民度ならぬオタ度の低い出来事だと言わざるを得ない。が、あんなパフォーマンスに人だかりが出来る程度には、秋葉原の平均オタ濃度とでもいうべきものが低下しているのだな、と理解することにする。
 
 もしかすると、秋葉原のオタク文化や、オタク的な路上パフォーマンスを“本当の意味で破壊”するのは、警察による介入よりも、“自由な表現を求めて”こうやって混じってくる、オタ度も民度も低いパフォーマー&人だかりなのかもしれない。官憲の介入を待つまでもなく、こういった連中のパフォーマンスの混入頻度が上昇すればするほど、秋葉原ならではの、オタク的文脈を踏まえた表現文化、というものの密度は下がってしまう。オタク的表現の路上パフォーマンス、という雰囲気が失われ、客寄せパンダなら何でもアリのよくわからない路上、という雰囲気へと変質してしまうだろう。かと言って、自治体が保護やテーマパーク化をしてしまっても、それはそれで文化としての弾力を失うような気もするので悩ましいところだが、少なくとも“放っておいても秋葉原のオタク文化が高濃度で維持される”時期は既に過ぎているんだな、とは認識せざるを得ない。これまでオタク文化を開花させてきた“表現の自由の尊重”が、オタク文化の濃度を薄めたり変質させたりするというのは皮肉としかいいようがないが、文化の興隆と衰亡というのは、まぁ、そういうものなのだろう。
 
 今回の破廉恥女の件も、秋葉原のオタク文化がいよいよ薄まっていくことを象徴しているように思う。「趣都・秋葉原」も、こうやって街のオタク文化密度の下がりそうな有象無象によって、次第に薄く薄く引き延ばされ、“普通の街”に近づいていくのだろう。もう、2000年頃の秋葉原には戻れない。秋葉原を“聖地”などと呼んで、オタな自分の精神的拠り所とすることも、段々に難しくなってきているんじゃないだろうか。一人のオタクとして、私はそれを寂しいことだと思ってしまうが、秋葉原という街は僕だけのものでもなければオタクだけのものでもない。だから致し方ない事と理解するのが筋なんだろうな、と思う。オタクの街から皆の街になって、オタクの表現の場から皆の表現の場になっていくことを、本当は、嘆いてはいけないのだろう、と、頭では分かっているのだけれども…。
 
 
 ※しかし、あの破廉恥女はやはり下品で、僕の好みではないことは繰り返し申し添えておく。そして、オタ感性的にも、ちっとも魅力的ではないことも強調しておきたい。それと、あの撮影者達の羞恥心が一体どうなっているのか、ちょっと不思議ではある。