シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

twitterは、スルーされていても擬似承認が得られる凄いツールである----誤配と承認

 
http://blog.livedoor.jp/kensuu/archives/50497166.html
http://wp.fujikake.net/archives/205
 
 上記リンク先で挙げられている放電コミュニケーション、に関する指摘は妥当なものだと思う。自分が傷つくリスクや最小化しつつも、承認体験はゲットしておきたい人が、少なくとも日本のインターネット界隈には沢山存在していると思う。そして勿論、twitterというコミュニケーションツールもまた、これまでのインターネットコミュニケーションツールと同様、そういったローリスクな承認欲求の備給の場として多くの人に愛用されつつあるようにみえる。
 
 しかし、このtwitterには、blogやmixiなどといった従来の多くのコミュニケーションツールと比較して特別に優れた点があると思う。というのも、blogやmixiとは異なり、twitterでは殆どスルーされるだけでも擬似承認が得られるからだ。少なくとも、従来の多くのコミュニケーションツールに比べて、ローリスクローエネルギーで、擬似承認体験を獲得することの出来る不思議ツールだと思う。
 
 例えばmixiで、マイミクが何人かいる場合。よくあるmixi風景のなかで、承認されたという気持ちや「ぼくはここにいてもいいんだ」という気持ちを獲得するにはどのような条件をクリアしなければならないか?多分、足跡を獲得するのは必須だろう。マイミクが何人もいるのに、自分の日記は誰も見に来ないというのは、かなり悲惨な心境になれる。mixiの場合、最低でもある程度の足跡がなければ、承認されたという気持ちや、「ぼくはここにいてもいいんだ」という気持ちにはなれっこないだろう。そして殆どの人の場合は、自分が書いた日記に、定期的に何人かの人がレスポンスを書いてくれなければ、承認されたという感覚を得ることが出来まい。
 
 同様の問題はblogやwebsiteを通して承認欲求を満たそうとする人においても当てはまる。承認や肯定のまなざしを獲得するには、例えばアクセスカウンタが一定の割合で回っていなければ駄目だろうし*1、それでなければ、コメント欄やBBSにある程度の支持的書き込みがなければ厳しいだろう。しかし、アクセス数を一定の割合で獲得することも、継続的にコメント欄やBBSに支持的書き込みを頂くことも、誰にでも気軽に出来ることではない。mixiであれ、blogやwebsiteであれ、他人の能動的なリアクション無しには、承認欲求をゲットしたと感じたり、肯定的なまなざしを体験したと思い込んだりすることは、難しい。つまり、「他人の気を惹いて」「能動的レスポンス」を引き出さなければならないというのが常にネックとなったわけだ。
 
 ところが、twitterはそうではない。“followersがある程度いれば”という条件付きにはなるけれども、twitterの場合、リアクションをわざわざ他人様から引き出さなくても、なんとなく「ここにいてもいい」気分を体験することが出来る。または、承認されたかのような気分を感じ取ることが出来る。もちろん他人からダイレクトなメッセージを頂いたほうが承認欲求が満たされた気分にはなれるだろうけれども、そこまでいかなくても、スルーされているだけだとしても、擬似的に「ここにいても良い」ような錯覚を体験できるという点で、twitterは“とても優れている”。
 
 何故、こんな事がtwitterでは期待できるのか。
 
 一つには、twitterに足跡機能やアクセスカウンタ的機能がついていない、ということがかえって幸いしているというのがあるだろう。足跡やアクセスカウンタがデフォルトでついていると、逆にそれが十分に満たされないと承認欲求はしぼんでしまうが、足跡もアクセス数も分からなければ承認を巡るネックになる心配が無い。mixiも、マンツーマンの携帯メール送受信も、blogも、この点においてシビアで、「誰のリアクションも無い」という事にすぐに気づいてしまう。しかしtwitterであれば、その心配は無い。自分の文章が読まれていてもいなくても、読まれているかのように幾らでも錯覚することが出来る。
 
 二つめには、twitterの進行がリアルタイムであることも幸いしている。twitterではリアルタイムで書き込みが進んでいくが、それは個々人の忙しさ次第、という部分がある。なので、もしも自分に対してレスポンスが無いとしても、それは相手が忙しかったからかもしれないと思い込むことが容易だ。mixiやblogはリアルタイムではないので、そういう思い込みをする事は難しく、一日千秋の思いでレスポンスや足跡を待つという悲惨な事態を迎えるリスクがあるが、twitterではそのリスクが殆ど無い。特に、followersを何十人何百人も持っている場合などはログが物凄い勢いで流れていくため、直接的なレスポンスを得られないとしても、汲々としている暇は無い。自分の発言も含めて、ログが滝のように流れていくのだと思い込むことが出来れば、承認欲求が満たされていないと立ち止まって悩み始めるリスクが少ない。また、お互いがお互いに物凄い速度でログを流し合っている状況であれば、余程馬が合わないことを言わない限りは、誰かに噛み付いて承認欲求を凹まされるリスクを負うこともない(勿論、そういったリスクをゼロにすることまでは、出来ないにせよ)。仮に凹まされたとしても、removeして滝のようなログに埋没していれば、比較的短期間で相手を意識からシャットアウトすることが出来るのも素晴らしい。mixiやblogでは、この、滝のようなログの埋没効果が得られないので、承認欲求を凹まされることを言われてもなかなかそれを意識から外すことが出来ないが、ある程度以上のfollowerを擁したtwitterユーザーであれば、それがかなり容易であるというのは(承認欲求かき集めツールとしては)美味しい。
 
 三つめには、大量のfollowersを獲得しつつも、個々人がIDやアイコンで自分自身をアイデンティファイする事が出来る、ということと、twitterが短い文章しか発言できないことに由来する恩恵である。これもあくまである程度の数のfollowersがいたうえでの話になるが、大量のfollowersがいると、自分に対するリアクションそのものの確率が増えるだけではなく、「他人から他人に対するリアクションや独り言を、あたかも自分個人に対するリアクションであるかのように錯覚できる」確率が高くなるということが、擬似承認欲求獲得に際して、重要な役割を果たすと思うのだ。
 
 重要なところなので、もう少し詳しく説明してみる。例えばこれがmixiやBBSの書き込みであれば、レスポンスは基本的に一対一の関係になる。AさんからBさんに発せられたレスポンスを、関係の無いFさんが我が事として受け取るのはちょっと難しい。しかしtwitterの呟きの場合、特に文章の長さが短く制限されていることもあって、誰が誰に対して放ったメッセージなのかが不明瞭な文章が飛び交いやすく、ログの滝をみているだけでは誰に対して投げかけられた文章なのか、殆ど判別することが出来ない。AさんからBさんに対して発せられた筈の短文が、全く関係の無いFさんに“あたかもFさんに対する反応であるかのように”感じられる可能性がtwitterでは発生しやすい*2。ここが、twitterが擬似承認ツールとして際立って優れている、少なくとも既存のインターネットツールよりも気分良くハマれる重要なポイントなのではないかと僕は思っている。
 
 

twitterでは、白ヤギさんから黒ヤギさん宛てに送られた承認を、黒ヤギさん以外も御馳走になれる

 twitterユーザー、特にある程度以上のfollowersを擁したtwitterユーザーであれば、このように、AさんからBさんに対する承認の言葉は、Bさんだけの郵便ポストに届けられるわけではないのだ。何百人もfollowersがいる場合などは、全く関係の無い何十人かが、一斉に“俺のことなのかな”と思い込むことさえ有り得るだろう。twitterのコミュニケーション空間では、メッセージ・承認・共感の言葉などが、特定の一人に対してだけ届けられることは殆ど無く*3、誰かに対して放たれた承認や共感や慰撫であっても、それを複数の人が“勝手に自分に対する発言だと錯覚する可能性”高確率で含まれている。多人数をfollowしている場合の滝のようなログ、twitterのリアルタイム性、そして短い文章しか書き込めない機能、などなどの組み合わせによって、この、願望-合致的な承認の誤配現象がtwitterでは日夜発生する。この、承認や共感の誤配現象のお陰で、他人様からわざわざダイレクトな承認のリアクションを頂かなくとも、「俺のことを言っているのかな」という錯覚に基づいた擬似承認体験を獲得した気分になれるのだ。従来のmixiやblogであれば、“他の人が構ってくれそうなこと”をわざわざ書き上げなければ、承認欲求を満たすことは不可能に近かったし、それは大きなハードルでもあったわけだが、twitterはその心配が無い。他人に叩かれるような酷いことを書かずにさえいれば、沢山のfollowersの間から漏れ出てくる、誰に対して投げかけられたとも分からない承認の言葉や共感の言葉を、「俺のことかな」と勝手に誤解してしまえば、それで承認気分を獲得できるのである。これほどまでに、自分自身に対する承認欲求を(擬似的とはいえ)獲得しやすいツールが今までにあっただろうか。“自分が承認されたと勝手に錯覚しやすいツール”が、今までにあっただろうか。これまでの多くの承認欲求ツールでネックとなっていた、「他人の気を惹くことが出来ない人は、自分が承認された気持ちになれない」という問題を、twitterは錯覚や誤配の現象によって巧くクリアしてしまっているのではないかと思う。
 
 

まとめ

 twitter空間では、誰が発言したのかは分かっても、誰に対して発言したのかは不明瞭になりやすく、リアルタイム性や滝のように流れるログの影響もあって、承認や共感の誤配が自然発生しやすい。この、システムとしての誤配の起こりやすさが、twitterをして、「僕はここにいてもいいんだ」という感覚を、または錯覚を、引き起こしやすいツールに仕上げているのではないか、と考えた次第である。followerの数さえ十分に確保出来れば、わざわざ他人の気を惹いて褒めてもらわなくて大丈夫で、足跡を集める為に必死になる必要も炎上芸に精を出す必要も無い。沢山のfollowersがいて、「もしかして自分のことを言っているんじゃないのかな」と錯覚しやすい環境さえ整えば、あたかも高頻度で誰かが自分のことをみてくれているかのように、自分のことを語ってくれているかのように錯覚することが出来る。極論を言えば、follower達に本当はスルーされているだけの人でさえ、自分に対して投げかけられている発言があると錯覚することさえ出来れば、擬似的に承認欲求を満たせる可能性がある。一人が一人の対象に対して投げかけた筈の承認の御馳走を、複数の人が誤配的に勝手に受け取り、勝手に満足する可能性を秘めたtwitterは、擬似的な承認*4をかき集めるのに非常に有利なツールだと思うし、これまでインターネット空間で自己承認に供されてきた幾つかのツールとは一味違った快適さを含んでいると思うが、如何だろうか。
 
 
 [関連]:twitterを楽しむ為の幾つかのドクトリン(基本方針) - シロクマの屑籠
 

*1:なお、はてなブックマークやはてなスターの登場により、アクセスカウンタ以外の経路もはてな界隈には存在するが、詳細は割愛する

*2:勿論、AさんがBさんに対して放った悪口がFさんに「クリリンのことかーっ!」と誤解されるリスクも高まりはするが、twitter全体の雰囲気として、悪口よりも、独り言と肯定的発言と共感のログのほうが遥かに沢山になるとは推測される。

*3:direct messageの機能をわざわざ使わない限りにおいては、だが

*4:勿論、宛名の無いtwitterの発言においては、擬似的な承認と、本物の承認は区別がつけられない。また、どっちだって構わない。