シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

「行間を読んで生かす」手法

 
 
「行間を読む」という自殺行為 - ls@usada’s Backyard
 
 不用意に行間を読み、それについて言及するという行為が面倒事を運んでくることがある、というshibata616さんの指摘は確かにその通りだと思う。特に、テキストに書かれていることだけを巡って議論を行う必要のある場面や初回遭遇の相手とのディスカッションに際して、不用意に行間を読んで(恃まれてもいないのに)言及してみたところで、論旨を的確に捉えられない姿を印象付けるのがせいぜいだろう。しかも、その手の“自爆”を狙って、行間に罠を仕込んでおくタイプの人間は、ネット上にも案外いるような気がする。
 
 
 ただし、初回遭遇の相手でない場合、むしろ積極的に行間を読んでおいたほうが良いケースというのは、あると思う。いつも話し合う相手だとか、常にやりとりのある相手の場合には、「この人はこういう意図を持って書いている」「この人が言いたいことは○○なんだな」といった形で言外のニュアンスを知っておいたほうが、お互いに幸福な言葉のやりとりをしやすい。勿論これは相互に紳士協定が結べそうな相手で、既に十分なやりとりの蓄積なりコミュニケーションの相互文脈なりが出来上がっている場合に限られる。お互いに読みあった行間を、貶しあいや喧嘩に使うというよりも、なるべくお互いの為に用いよう・議論のショートカットキーとして共有しようという紳士協定を結べる相手であれば、お互いに読みあった行間情報をコミュニケーションを省力化に用いることが出来る。
 
 また、紳士協定が結べそうにない相手でも、行間に言及はしなくても読むだけ読んでおくことが色々な便宜をもたらすことがあると思う。行間に言及したら確かに負けかもしれないが、読むだけ読んで密かに利用する分には、“自爆”には至らない。行間というのは、[自意識の指紋][コンプレックス][どういった対象に冷静になりやすいか/なりにくいか]などの情報の宝庫なんだから、複数回のコミュニケーションの有り得る相手であれば、たとえ紳士協定の締結には至らなくとも汲み取っておくことには一定の価値がある。ただ、行間から推定された情報を言及する必要は無いし、第一、相手にそれを教えてやる義理なんてどこにも無い*1。「そんな事は一言も言ってませんよ」「論旨とズレてますが」などと指摘されて恥をかく為に行間情報を収集するのは確かに愚かだが、それらの行間情報をバックボーンとして保有しているのといないのでは、コミュニケーションの内容や結果が“色々と違ってくる”んじゃないかな、と僕は思う。
 
 なお繰り返しになるが、こういった「行間情報を読む」「収集する」という手法は、あくまで複数回の遭遇が想定される相手との複数回のやりとりを念頭に置いたもので、単回のやりとりしかない相手には全く意味も効果も持たないことに注意しなければならない。一度きりしかやりとりが無いとおぼしき相手に対しては、行間情報を収集しても意味は無いし、どのみち一回のやりとりでは精度の高い情報に精製することも期待しがたい*2。だったら読み難い行間を読んでも仕方が無いわけで、一度きりしかやりとりが無い相手(またはどうでも良い相手)に関しては、明確に文字化されている内容だけを取り扱ってレスポンスを返すやり方が最も効率的で、余計な誤りを回避しやすそうにみえる。
 
 「行間情報を読む」だけのコストにみあうベネフィットのありそうな相手の行間を読み、そして本当に必要でない限りは自分からはわざわざ言及しない。そういう読み方に限定するのであれば、たとえネット上であっても、行間情報を収集するということには一定の意義があるんじゃないかと思う。
 
 
 

*1:よほどの紳士協定が出来ている相手で、しかも「行間情報を交換しませんか?」という提案があった場合には、お互いに「私はこんな風に行間情報を推定していますが、あなたはどう思いますか?」と交換会をする場合がある。だが本当に紳士協定が締結できる相手というのは、お互いの行間を大体読みあっていて、しかもそこを悪用せずに配慮してくれるだろうという信頼関係が出来た相手なので、交換会をわざわざしようと思うことはあまり無い。

*2:もし、その人がブログなどで他の人と沢山のやりとりをしているのであれば、それを読み取ることによって精度の高い情報へと精錬することは可能だ。もし、そのような手間隙をかけるに値するほどの相手であれば、そうするのも良いかもしれない