シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

優劣を比較しないと安心出来ない心情(と、執着の在処)

 
 「豆腐屋は鍛冶屋よりも偉い。」

 「中華料理はフランス料理よりもよく出来ている」

 「味噌は醤油よりも優れた調味料である。」
 
 こんな事を大声で主張する人というのは、それほど世の中にはいないと思う。
 
 ジャンルの異なる者同士の優劣比較を繰り返さなければ安心できない人というのは*1、不誠実な煽動家にあらずんば、かわいそうな人なのかな、と僕は思いたくなる。異なるジャンル、異なるクラスタにはそれぞれの特徴や長所短所はあるだろうけれど、それらを一緒くたにして全体の優劣を論じることは極めて困難というか、しばしば不毛に近い。
 
 こういう不毛な比較は、例として飲食店や料理カテゴリの比較を挙げる場合にはかなり多くの人が納得してくれるのだが、「ラノベと携帯小説」とか「千葉県某所のテーマパークファンとコミケのオタク」とかいった、文化ニッチや文化クラスタを並べると、とたんに感情的になる人が現れてくる。興味深い現象だ。
 
 …どうやら、ある種の自意識のチップがそこに沢山賭けられていれば賭けられているほど、自分のカテゴリを贔屓させたがる胸の高まりに抵抗することが困難になりやすいようだ。少なくとも、そういった抵抗が困難な人というのが、世間にはまだまだ存在しているようにみえる。「○○は△△よりもずっと高尚」「○○に比べれば××はカス」といった決まり文句は、言者の執着と不安と優越感を乗せて、今日も電子の海を駆け巡る。明日もそうだろう。
 
 

*1:勿論、豆腐屋と鍛冶屋の年間収入の比較や、中華料理店とフランス料理店の店舗数の比較、といった特定の尺度に基づく比較ならば可能なんだけど