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シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

京都のオフ会に行ってみた

 
 今まで、それなりに色々なネット関連・オタク関連のオフ会に顔を突っ込んでいるほうだったが、今回の京都オフ会はとりわけ強い印象の残るオフ会となった。関西地方でオフ会をやったからなのか、それとも偶々面子に恵まれたからなのか。とても良い思い出になったし、今後オタクや適応について考えるうえでヒントになりそうな意見交換もあったので、書き留めておくことにした。
 
 

オフ会全体の印象について

  • 人数が七人というのは今回幸いしたと思う。このぐらいの人数なら全員が一人に注目することが何とか可能。このため、割と高い割合で全員が同じ話題を共有することが出来てたと思う。人数が一ダースを超えてくると、オフ会は幾つかのグループに常に別れ続けた状態で進行することになりやすいが、それは今回少なかったと思う。あと、「参加者自己紹介」で参加者のハンドルネームと顔が一致した状態が持続出来る人数も、多分十人ぐらいが限度なんじゃないかと思ったり。
  • 全員が発言し、全員が傾聴出来る体制が初期から上手く立ち上がった感じ。オフ会に来る人というのは、それなりに楽しい思いをしたいとか、質疑応答したいとか、お喋りをしたいと思って集まってくるわけだ。それがかなりの所まで保証されていたと思う。twitter100人オフ会なんかじゃ、多分そんな保証はどこにも無くて、“オフ会に出たけど路頭に迷う人”が出てくる可能性があるんだけど、人数的にも体制的にも、上手く回避出来てた印象。
  • で、この人数だからこそ、テーブルの中央にホッテントリのフィギュアを配置することで効果が得られるなぁとも思った。
  • 一次会は今回のオフ会の趣向にぴったりのカフェ。本棚にはデトロイトメタルシティやら山椒大夫やらが並んでいた。そういうカフェ。二次会は、当初は三〜四人ぐらいだと思っていたのが全員そのまま参加(!)と相成ったので、場所を確保するべく繁華街で。しかし時間帯が悪かったためファーストフードに移動ということになった。あまり五月蠅くない場所だったので、意外と快適にお話出来たと思う。
  • 主催者の人は、参加者の不快感やリスクを漸減するべく事前に工夫してくれていたと思うけれど、即応力という点でもなかなかのものだったと思う。オフ会二次会でファーストフードに移動する、というのはあまり良い場所取りでは無い筈なんだけど、あの段階で素早くファーストフードを敢えて選択したのは正解だと思う。その時の提案の言葉遣いがなんか良かった*1。あと、時々“話題の進行係”をつとめてくれてもいて助かった。
  • 今回のオフ会では、(東京のある種のオフ会などではしばしば見かける)ような、「芸風」「建前」に束縛される局面が少なく、それを守らなければならない・守ってあげなければならないという風な同調圧力を感じる事がなかった。手加減無用で本音を問い合う局面・ズバリズバリと急所を狙ってくる発言が飛び交う感じ*2で、非常に爽やかだったと言える。こういうやりとりにも関わらず、空気が破綻したり緊張したりせずに進行出来たのは何故か?参加者各位の度量のお陰なのか。関西弁のイントネーションによるものなのか。関西人主体のオフ会だからなのか。
  • とにかく、きわどいやりとりをしているけれどもオフ会の空気自体はギスギスせずに和やかに進行したというのは稀少かつ素晴らしい経験だ。同じ面子・同じ計らいでも、ここまで上手い雰囲気になるとは限らない。主催者や参加者各位の計らいに感謝するとともに、幸運を喜ぼう。

 

オタクについて

  • かつて、「俺ってオタクだから」「あいつはオタクだから」というフレーズは、他人をオタクと呼んで侮蔑する側にも、オタクと呼ばれて侮蔑される側にも、ある種の免罪符になっていた部分は無いか。侮蔑する・される理由として「オタクだから」というフレーズを用いることによって、等身大のその人自身を侮蔑する(または等身大の自分自身が侮蔑されたり自己卑下する)リスクを巧妙に回避するような、そういう共犯関係がかつてあったのではないか。
  • しかし、アニメや2chを誰でも楽しむ程に「オタクhobby」が一般化・普及化した今、「オタクだから」というフレーズはもはや言い訳として機能しないわけだ。オタクだからアニメをみているわけではない。「カルトなオタクだけがアニメをみている時代」なんて遙か昔のこと。今、「キモい」と言う時には、「オタク」というフレーズ越しにでなく、ダイレクトに「その人がキモいか否か」「その人がどうであるか」が取り扱われる。「オタクという文化集団」への抑圧は軽減したかもしれないが、結局個人にダイレクトに「キメェ」という言葉が投げかけられる構図へと変化してきているのではないか。
  • コミケをはじめとするオタクイベントで、いわゆる中年オタク世代はどうなっているのか。若年世代でコミケなどに参加する人は、ここ十年ほどでどんどん小綺麗になって、どんどん“ある種の屈託”の無い人が増えてもいる、と観測。じゃあ三十〜四十のオタク達はどうかというと、屈託がとれているわけでもなく、かと言って若い頃のような勢いがあるわけでもなく…。若い参加者と、より年長の参加者で色々と相違があるように感じられる。単なる若さの違いとか、分別がついたつかないだけの話ではないのでは?
  • エロゲーオタが携帯小説を笑うのは「目くそ鼻くそを笑う」ようなもの。データベース親和的なジャンル・願望が先行する形で展開される物語・まだみぬ異性への思いが盛り込まれている点・等々、両者は水と油とは言いがたい類似性を持っている。歴史的にも、どちらも若いジャンル。そして携帯小説が今後洗練されてくれば、そこから何か出てくる可能性は(少なくとも現時点では)否定しきれない。“データベース消費”なオタ達が携帯小説を小馬鹿にするのは、同族嫌悪か、ある種の投影ではないのか?
  • 若年女性オタが素早くキャッチしたコミックガンガンは、出た当初、すぐに潰れる思っていた(例えばシロクマなどは)。ところがどっこい、いつの間にか大きくなって、無視出来ない雑誌になってきている。
  • 私小説や哲学や社会学を若い頃から読んでいた人達が、エヴァ前後からオタクコンテンツに合流していくという構図。彼らはどうしてオタクコンテンツへと合流していったのか?そして彼らは(陳腐化するであろう)オタク界隈に留まり続けるのか?→そうはならないのではないか。→ただ、同世代の文学畑の人や社会学畑の人とオタとでは、必ずしも遠くないメンタリティを共有している所もあるような気がする。

 
 

承認欲求について

  • 承認欲求、という言葉がそもそも混乱された使われかたをしているよね、という話が出た。これは確かにその通りだと思うし、好ましいことでもないと思う。それを誰か何とかしたほうがいいんじゃないの?という意見が出た。確かに。
  • ニコニコ動画をはじめ、ネット上では(マズロー風に言えば)承認欲求・所属欲求を皆で贈与しあってニコニコ出来る場が整備されつつある。自分がニコニコしたい場所に棲み分けることも割とやりやすい。ただ、リアルというか、社会のフラットなインフラストラクチャーの諸場面においては、(ニコニコ動画などのような)承認欲求・所属欲求を比較的誰にでもに備給出来る場というのは望むべくもない。
  • 一方、承認欲求や所属欲求を「他人にプレゼントする」供給は増えてないどころか減ってさえいるかもしれないけど、「他人にプレゼントしてもらわないとまずい」という需要は高まる一方になっているっぽい。それってどうなのよ、という話も。
  • ある種のアジテーターは、自分の得意なセグメント(アニメでも、音楽でも、お洒落でもいいけど)で抑圧と優越感ゲームのヒエラルキーをつくって、後輩や手下を動員してしまう(また、そうしなければご飯は食べられないだろう)。それは多分、あまり幸せなことではないような気がする。各セグメントの旗手な人達は、そこの所を自覚しつつ自重して欲しいとは思うけれど、ご飯を食べる為なら、自覚しつつ扇動しそうだなぁと思った。
  • 承認欲求や所属欲求と呼び得るものが、社会システムに修飾される形で(以前よりも)強く求められやすくなっている可能性は、勿論あると思われる。その基盤として生物学的・行動遺伝学的な要素をどこまで重視するのかは、参加者個々によってまちまちの様子だった(勿論p_shirokumaはある程度まで重視し、そういった関連書籍を買い続ける立場)。
  • ネットはともかくリアルのコミュニケーションでは、「承認欲求」と呼び得るもののうち、実際に「褒めて貰う」という水準のものは少ないと思う。「ひとかどの人として認知される」「対等の話し相手としてみてもらう」「軽んじられない」「アイコンタクトをとってもらう」ぐらいの水準がかなり含まれるんじゃないか、と思う。そして、そういった一見些細にみえるやりとりが、単なる心理的感触だけでなく、コミュニケーションの帰趨にも影響を与えるのではないか?*3 と問いかけてみた。
  • この際に言語的なメッセージが果たす役割はそんなに大きくなくて、まなざしの占める割合が相当に大きいのではないか? とも問いかけてみた。あとこの時は言い忘れたけど、まなざしだけでなく、声のトーンや身振り手振りなども相当に重要なんじゃないかとも僕は思う。

 
 

その他、今回話題になった事や質問に答えた事、など

  • 「ネット芸」でアクセス数を稼ぐことを覚えた人で、それだけを繰り返してしまった人は、そのエントリでアクセス数を満たすことに執着し続ける羽目になってしまいやすく、後でかなり苦しくなることが多いよねという話が出た。→短期的にはアクセス数が稼ぎにくくなるとしても、ある程度最初から話を分散させておいたほうがラクなんじゃないか?
  • 言及する相手・お喋りする相手=割と好意を持っている相手、気になっている相手。「そんなツンな言及をするのは、好きだからなんですか?」→「べっ別に、ア、アンタの事なんて(略)」または「大好きです!」と答えるのが正解ではないかと。
  • バレンタインにチョコが欲しいと言ったって別にいいじゃん、という話も。バレンタインに言及している人達は、やっぱりバレンタインに執着が本当はあって、だから言及しているのではないか?バレンタインが嫌いなんじゃなく、自分がチョコを貰えないバレンタインが嫌いなんじゃないか。
  • 何のために難しい本を読むのか?→優越感ゲームのため!は、まずかろうという、よくある話も出た。よくある話だが、ややこしい。
  • 「文章」に挿入される「絵」の効果について。例えばp_shirokumaのブログは、http://d.hatena.ne.jp/i04/20070807/p2の絵に少なからず影響を及ぼされている(読む人も影響されているかもしれない)。ラノベの絵などもそうだけど、絵やグラフィックが文章を規定する、という影響は侮りがたい。
  • 悪いことばっかりしている人には、あんまり良い因果因縁が回ってくるとは思えない、というか良い因果因縁が回ってくる期待値は下がると思う。かつての悪行が、思わぬところで祟ることがあるし、そういう実例はネットでも結構みかけるもの。だとすれば、少なくともある程度までは悪行を避けたほうが良いのではないか?という話もした気がする。
  • 優越感ゲームはともかく、劣等感ゲームは継続的なヒエラルキーを形成しない。非モテ・非コミュの気持ちのなかで、ほんの一瞬形成されて、その瞬間だけ気持ちを慰撫する手段として形作られるものだと推定。
  • そうか、ブルマの由来はかなり深いか。

 
 
 とにかくよく喋った・よく聞いた京都オフ会だった。ここに書いてない様々な話もあったけれど、特に印象に残ったこと・後日振り返りそうなことを書いてみた。他の人も色々レポート書いているので、そちらもどうぞ。
 
 
[関連]:http://d.hatena.ne.jp/i04/20080211/p1
[関連]:OSAKA ELECTRIC AND ROCK DIARY :: 第二回京都もふもふオフ その1
[関連]:シロクマと京都。チョコが欲しいと言う事。 - 原野商法1997
[関連]:小岩ラボ|JR総武線小岩駅のまとめ
 
 ※繰り返しになりますが、主催者id:i04さん、参加者のみなさん、ありがとうございました。
 

*1:これはもしかしたら関西弁バイアスによって上手く聞こえていたのかもしれないが

*2:はてな村用語で言うなら「ハンドアックスの応酬」というやつ。東京のはてなオフ会でこういうやりとりをやりやすい人というと、id:otsuneさんやid:matakimikaさんあたりが連想される。

*3:特に、社会のフラットなインフラストラクチャーの諸場面では