シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

私家版、努力運用ガイドライン

 たまにはおへんじを。
 
割り算はゼロで定義されない。到達目標に努力は適さない。 - REVの日記 @はてな
 
 一読した時にはなんとなく説得されてしまいましたが、我が身を振り返ってみると、自分はリンク先とはかなり違う形で「努力の運用と投資」を行っていることに気づきました。自分は、努力を重視はしていますが、やはり評価の対象とはしていないようです。
 
 
 まず自分は、[行動目標]を殆ど設定していないことに気づきました。つまり、「漢字書き取り10回」「デッサン10枚」「怒首領蜂大往生を10回」という目標設定は、僕は滅多にすることが無いみたいなんです。その代わり、到達目標をかなり細かく何度も設定しています。「いつも詰まる問題を解けるようになる」とか、「次の模擬試験を突破する」とか、シューティングゲームなら「4面ボスまでノーミスで到達する」とか。何回練習しなさい、というのはありません*1。一回のトライアルでクリアできればそれで努力終了。逆に十回やっても到達目標がクリア出来なければ、クリアするまで努力の投資を続ける場合がしばしばです。努力が水泡に帰することを避ける為に・努力を最小限に済ませる為に、到達目標が達成されるかどうかと、到達目標の設定が適切かどうかだけを気にします。僕が僕に課す“ノルマ”というやつは、努力がどれだけ降り積もったのか・何時間勉強したのか・本棚に何冊の本を飾っておいたのか ではありません。定めた目標を突破できるかどうかが重要で、それが駄目なときは作戦失敗と評価します。
 
 
 このやり方をやるにあたっては幾つかのコツがあるらしく、いつの頃からか、自分のなかには以下のようなガイドラインがあるような気がします。

  • 到達目標は、最初はあくまで低めに設定する。高すぎる到達目標を最初に設定すると挫折確率が高くなる。狙いやすい目標から少しづつ難度をあげていけば、錬度も上がりやすく「上手くいっている感」も獲得しやすい。「上手くいってる感」があるとモチベーションの面で有利。
  • 何を到達目標に設定するのであっても、目標-相応な身銭なりコストなりを賭けるのは当然と考え、そこの所を疑問に思わない。常に問うべきは、身銭なりコストなり(努力なり)のマネジメント内容。
  • 到達目標を適切に設定するのに役立つような情報を収集する。もし必要な場合「情報収集に関する到達目標」を立てて、そこで情報とノウハウを集積してから当初の到達目標を再設定する。
  • 定めた到達目標の達成にどれぐらいのコストや犠牲が必要か、一応は見積もっておく。その見積もりと比べてあまりにもコストや出血が大きすぎる場合*2に、ようやく撤退も考える。
  • 撤退した時には、自分の努力不足を恥じるよりも、目標設定や見積もりの甘さを徹底的に洗っておく。それら適切であれば、到達目標の設定や予想外の出血は避けられた筈だから。
  • もし部分的達成があれば、そこは見逃してはならない。過大評価しても駄目だけど。
  • いったん撤退した到達目標や、(試験のように)失敗した到達目標を再度攻略する時には、三倍以上のコストを投入するつもりで。または三倍以上の経路をかけて攻略するつもりで。一度失敗した到達目標を安易には二度撤退しない。安易な二度目の撤退は、士気がグラついてしまったり、自分の属性が[負け犬根性]側に傾いてしまいがち。
  • 逆に、目の前の到達目標が瞬間的に解決できてしまった場合、とりあえず進める所まで駒を進めておく。そのうえで到達目標の再設定を行う。簡単すぎる到達目標を設定してしまったことは、困難すぎる到達目標を設定してしまうのと同じぐらい、何か問題を含んでいる可能性がある。慎重に。
  • 一度定めた到達目標は、そう安易には「投げない」。手前の到達目標に再設定したぐらいでは挽回は不可能と判断された場合も、関連領域などでノウハウの蓄積を進め、いつか再攻略できないか常に機をうかがう。または、その到達目標の代替手段を模索する。

 
  
 
 ちなみに僕の場合、究極目標は「適応」「安息」などのようにとても抽象的なので、究極目標を意識することはあっても到達目標の設定にダイレクトに接続することはありません。代わりに、一つの大きめの到達目標に対してツリー状に小さな到達目標が従属させることは多いかもしれません。上位の到達目標を達成する為に、下位の、より至近の到達目標を積み上げるというのは常套手段です。また、上位の到達目標の実現可能性を考える材料集めとして、下位の到達目標を設定することも多いです。これらいずれの場合も、行動目標(どれだけ努力するのか)はあまり省みないような気がします、僕の場合は。どれだけ努力したのかよりも、努力を通して(時には努力無しに)何を獲得したのか、が重要なわけですから。
 
 あと、これもあくまで僕の場合はですが、こういった到達目標の設定と遂行に対し、「公理」「戒律」の緩やかな介入が行われることがあります。例えば諸行無常 - Wikipedia縁起 - Wikipediaに全く合致しない到達目標の設定や、十善戒をあまりにも逸脱しそうな場合などは、到達目標をアレンジしたり、極端な場合、中止することさえあります。「公理」「戒律」に束縛されようとは流石に思いませんが、時々、これらが遠因となって目標設定の変更が行われています。
 

*1:極めて稀に、「自分しごき」と称して、根性値アップを到達目標とすることはありますが

*2:二倍以上の犠牲、など