シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

「お医者さまは神様」「神様にあらずんば悪魔」という両極端について。

 
http://koerarenaikabe.livedoor.biz/archives/51118106.html
 
 医療に限らず、およそ人の手になるものには「最善を尽くしたけれども改善しきれない」事態というものが含まれている。教育にしたって、入学時点で全く我が儘だった中学生を卒業までに品行方正にしろと言われても絶対の保証など出来かねるだろう。出来ることと出来ないことがあるだけでなく、出来ることでも100%出来るというわけではないという事態が往々にして発生する。人間そのものを取り扱うわけではない幾つかの分野----農林水産業など----の分野においてさえ、人が人である限り、完璧を期することは出来ない。完璧さを追求しすぎた後に残るのは“失敗するぐらいなら何もしない”という例のやつだ(この国においては、老いも若きも、完璧さを執拗に追求する側と完璧さを追求されて何もしないことを選択する者が溢れている。もちろんこれらは表向きは正反対だが、コインの裏表として理解されなければならない)。
 
 にも関わらず、こうした「人の手による行為」に「神にも等しい要求水準」を求めることがトレンドになっているらしい。リンク先の件で言うなら、日本の周産期死亡率の低さはかなり低い。しかしそんな事は忖度されることもないようだ。「絶対の安全」というものが提供されなければそれは医療ではないというのだろうか。死亡率の高い疾患や病態に対しても、「絶対の保証」がなされなければならないというのだろうか。そんなものは、永久に保証されるものではない。「過誤が無い*1」という事と「絶対の効果」とをはき違えている人も多いのではないだろうか。おおよそ過誤が無くとも、安全が保証されるわけではないし、必ず「効果」が出るわけでもない。たとえ、これから医療技術が進歩するとしても、人間が神になる日は来ない。複雑な病態は22世紀にもやはり存在するだろうし、「過誤は無くとも如何ともしがたい」事例は残り続けるだろう。
 
 サービス業従事者に対し、人ではなく神の領域を期待する人が増えているようにみえる。「お医者さまは神様?」「先生は神様?」「苦しい時の神頼み?」だが、そこにいるのは神でも悪魔ではなく、ただの人間だ。ただの人間に、絶対を求める行為。それは願望としては分からなくもないが、神の似姿を人に求める者は必ず失望し憤怒せずにはいられない。神の真似事を期待されても、それはどんな名人にも出来ないことなのだから。この、勝手に神を期待して失望したり憤怒したりする現象は、医療に限ったことではなく、グルメ、リゾート、教育、行政、等々にもしばしば当てはまることのある現象だと思う。
 
 何故、こんなことになったのだろうか。もちろんメディアの影響のせいもあるとは思う。テレビの名医番組とか視て、勝手にお医者様は*2神様だと思いこむ人は、テレビに映った名医という偶像(勇ましいBGMやら、品の無い解説やらによって、ピカピカに磨き上げられている)またはシミュラークルに勝手に自分の理想と願望を投射して回収しているだけの話で、実際の医師を視ているわけではない。
 
 ただ、メディアだけのせいでもないのかもしれない。生活空間も交際範囲も個々人でバラバラの都会の生活では、身内に専門家でもいない限り、“その業界の実情”を知る機会は殆ど無いし、病院もデパートも図書館もサービスを提供される場としてしか接触する機会が無い。“なかのひと”の率直な意見や実情を見やることが無いからこそ、偶像を拝むようになってしまうのかもしれない。“なかのひと”と日常を共にしていたり楽屋裏に出入りしている人は、メディアの宣伝とは関係なく、神様ではない人としてのサービス提供者の実情を知るに至るだろう。しかし、そのような機会を与えられる人は少ない----まして、あらゆる専門職・サービス業の“なかのひと”や舞台裏に通じるなどということは不可能といえる。これだけ専門分化が進み、文化と技術のニッチに閉じこめられている者同士の現代人が得ることの出来る視野は、どうしても限定されざるを得ない。だから日常的に“なかのひと”や舞台裏に接触する機会の無い分野については、メディアを通してしか視ることが出来ないし、そうなれば両極端な偶像が出来やすくもなるだろう。例えば「お医者様は神様」「神様にあらずんば怠惰な悪魔」のように。
 
 神のイメージや悪魔のイメージを、個々の人物がサービス業各分野に投げかけては勝手に失望したり憤怒したりする構図。なかのひとは人間で、出来ることは常に限られているというのに。しかるに、そうしたイメージを人々が共有して、そのイメージをもとにコミュニケーションと政治が流れていく。“なかのひと”も楽屋裏も忖度せぬままに、人々の共有する両極端なイメージのままに現場とまつりごとが流れていくのだとすれば、医療に限らず、それぞれのサービス業分野に色々な歪みが生じてくるのは必定。だが、そうは言っても人の身の私達には、すべてのサービス業分野の“なかのひと”や楽屋裏に通じることなど不可能に等しいのだ----それこそ、神や悪魔でもない限り。
 
 

*1:そもそも、ここでいう過誤とはなんぞや、という問いもあるけれども、ここでは置いておく

*2:または他のサービス業従事者は