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シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

「最低限のTPO」と口を酸っぱく繰り返しても無視される不思議

脱オタ

 
脱ヲタを実感する時 - 30代からの脱オタク
 
 上記リンク先、『30代からの脱オタク』の今回の記事を読んで改めて思ったのは、脱オタクファッションはあくまで「最低限のTPO」「何も足さない、何も引かない」に過ぎないという事を忘れてしまう人が不思議なほど多い、ということだ。
 
 私の知る限り、脱オタ・脱オタクファッションガイド、といった類のウェブサイトや書籍が宣伝してきたのは、「お洒落さんになる為の方法」ではなく「コミュニケーションにおいて、見た目で減点を食らいにくくする為の方法」であった。1990年代末の、ステレオタイプなオタク服がまだまだ見受けられた頃以来、脱オタ系サイトは「格好つける」とか「ファッショナブルな格好」といったものを提案してきたのではなく、服飾や衛生面で変な差別を受けないようにする為の手法を宣伝し続けていたと記憶している。言い換えれば、服飾を通してマイナスを被らないようにする方法が検討され続けていた筈であって、服飾を通してプラスのボーナスまで欲張ることは目指していなかった筈だ。
 
 にも関わらず、いつの間にやら「自分がお洒落かどうか」といった、服飾を通してプラスのボーナスを期待する方向に流れてしまう人が少なくない。いや、勿論そのようなボーナスが得られればありがたいことだと思うけれども、コミュニケーション上の問題をどうこうしたいだけなら、別にお洒落さんにまで行き着く必要なんてどこにもない。いわゆる人並みの服装、年齢相応の格好というやつで十分の筈だ。ある程度の時間とお金を支払う必要はあるだろうが、過剰に投資しすぎても効果はそれほど期待できないし、むしろその分をコミュニケーションの他の領域に投資したほうが効果的だと考えられる。そればかりか、服飾や髪型だけやたらに高価でお洒落であっても、コミュニケーションの実行機能や顔面に刻まれた年輪との間にギャップが存在すれば、逆効果にすらなりかねない。少なくとも男性の場合、コミュニケーションのそのほかの領域がまだまだ不得手の時に、過剰にファッションに金をかけすぎて、変なギャップを呈してしまうのは本来得策では無い、と自分は考える*1。服飾によるディスアドバンテージを解消してから先の、「服飾でライバル達に差をつける手法」までは脱オタはカバーしていない。そして、どうしても服飾でライバル達に差をつけたいというのなら、高い服やらユニークな服やらを見繕う前にやっておくべき・解決しておくべき事があるのではないかという気がする。
 
 しかし、誰がどれだけ口を酸っぱくして「脱オタはお洒落ではなく、単なるマイナスをプラスマイナスゼロにするだけなんだよ!」と主張しても、どうもそこの所は読み飛ばされるらしい。これは非常に不思議で、興味深い。プラスマイナスゼロにする為の服飾整備だと幾ら強調しても、脱オタ・脱オタクファッション的な行動をとる人は、ついついプラス評価を期待し目指してしまうようなのだ。そして、服飾費のインフレーションの罠や、過剰なお洒落とその他のコミュニケーション実行機能とのギャップの罠に落ちてしまうことさえままあるようだ。新たに制作される脱オタ的服飾整備マニュアルには、この、不思議なほど陥りやすい“脱オタ者の陥穽”についての記載も必要なのだろうな、と思う*2
 

*1:たとえ顔立ちが端正であったとしても、である。いわゆるイケメン顔をしていようとも、見てくればかり綺麗でコミュニケーションがグダグダでは、馬鹿ではない女性達はすぐに見抜いてそっぽを向いてしまうだろう。

*2:赤字でアンダーラインを引いておいたほうが良いかもしれない