シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

1/18第一回北極ネトラジの要約

 
 以下に、先日1/18に【北極ネトラジ】第一回:[底なし承認欲求] のおしらせ - シロクマの屑籠で放送した内容のメインの筋と、質疑応答の要約を用意しました。放送を振り返りたい方は、以下をご覧ください。
 
 
 
【前半パート:アンバランス化する承認欲求の備給状況----ニコニコ動画と労働環境、MMOと引きこもり----】
 
 ・承認欲求、という言葉は他人に認められたいという感情を示しているけれど、この言葉に込められる承認の形式は割と様々。単に「褒めてもらう」というだけに留まらず、暴走族の暴走やネット上のかまってちゃんなども承認欲求の権化で、褒めて貰うというレベルを放棄してでも、ネガティブでもいいから自分を認知して貰おうと試みるのも、相当に承認欲求を渇望していると言えると思う。
 
 ・ネット上で割と引用されるのはマズローの欲求階層論(参考:自己実現理論 - Wikipedia)。生存に不可欠な欲求が満たされる時には、それよりも上位の(社会的な)欲求が表立ってくるというアレ。先進国では生存に不可欠な欲求が割と満たされているので、だからより上位の欲求が出てくるという話をほうぼうで聞く。しかしマズローの理論では、所属欲求や愛情欲求は、自己実現やらクリエイティビティやらよりも下位にあるとされているけれども、あの階層構造の上位下位という分類が逆転している人というのはいると思う。例えば、セックスに関連した欲求や食欲などがまともに満たされてないけれども大変クリエイティビティの高い人ってのはいる。空腹を我慢しながら、マズローで言えばより高位の欲求に邁進するという例は、キュリー夫人のような偉人から、全一スコアラーまで枚挙に暇がない。
 
 ・承認欲求をどこでどんな形でゲットするのかという点において、大きく偏っている人が増えていませんか?マズローで言う、所属欲求もそうかもしれない。生理的欲求というよりは、社会的な欲望を、極限られた時間と空間で貪欲にむさぼるけれども、それ以外の時間や空間では我慢しまくりの状況の人が増えているのではないか?という話。一番極端なのは、社会的には引きこもっている人がネトゲや2chやニコニコ動画などで承認/所属欲求を満たしている例など。
 
 ・ネット上のツールで承認欲求を満たしたり、オタやサブカルのコミュニティで承認/所属欲求を満たすこと自体は構わないと思う。ただ、それが極端に偏ると、日常生活の行動も偏りやすいのでは。例えばはてなダイアリーで非モテ記事を書く以外では承認欲求を満たす道筋が無い人は、ブログに非モテ記事を書く時だけ「いきいき」して、それ以外の時にアパシーだと、自ずとエネルギー投入はブログだけに偏りやすい。日常の学校や職場へのエネルギー振り分けが減ってしまえば、益々偏りは大きくなっていく。短期的にはそれで心的ホメオスタシスは保ちやすいだろう。しかし、長期的にはどうだろうか?
 
 ・ただ、承認/所属欲求を満たす場所が限定されてしまうのも仕方ないという事情のある人は沢山いると思う。今の世の中で誰もがリア充になれるかといったら、無理と思う。第三次産業に従事している人は頻繁にコミュニケーションの実行機能を求められる機会が増えている。スクールカースト低位にずっと甘んじていた人、コミュニケーションの実行機能と職場や学校の要求水準ギャップのある人にとって、人と人との間で社会的な欲求を満たすことはなかなか大変。また、仕事以外の場でも、変に空気読めという圧力が強い場所で承認/所属欲求をゲットするのはかなりテクニカル。そうなれば、そういった難しさを問われない、限られた領域に多くの人が集まるのは自然な成り行きだと思う。承認/所属欲求を備給する領域のアンバランスさを次第に強めていく人が多く出てきていて、それはその個人にとって容易ならざる事なんだけど、そうならざるを得ない背景には思いを馳せておくと良いと思う。
 
 

前半質疑応答:

 
・ネットは容姿で人格を評価されるストレスにさらされずに済む場所ですよね:
→ネットでは、非言語コミュニケーションの諸スペックや、それ以外の属人的な情報に伴う評価が常にカット出来るというのが大きな特徴だと思います。非モテであれ2ch生活板であれ、その文脈とセグメントの内側で完結した形で承認なり評価なりが決まってきます。これは功罪あると思います。
 
・仕事や恋愛で認められる可能性が無いから、はてなの非モテなどに耽溺するのでは。鶏が先か卵が先か?:
→それはあるかもしれません。少なくとも、いろんな領域で認められている個人が非モテ議論やMMOなどに耽溺することはあまり無いのではないかと思います。
 
・結婚を通して、異性からの婚姻とセックスを「承認」されることで充足されるのでしょうか?:
→そりゃあ充足するとは思います。しかしそれだけでは満足出来ない人や、承認欲求が底なしの人もいるので、結婚“さえすれば”というわけにはいかないでしょう。
 
・元引きこもりですが、極端に対人コンプレックスの高い人はネット上でも引きこもりがちになりますよ。:
→逆にネット弁慶になるケースもあるし、おっしゃるようにROでソロプレイしか出来ない、他のプレイヤーと接触するのが怖い人もいる。全員がそうではないと思います。ネット上で、ネット弁慶/引きこもり のどちらになるのかの分水嶺は、今の所自分は分かりません。
 
 



 

【後半パート:承認されまくれば幸せになれるんですか?----塩水を飲むように承認をかき集める地獄絵図----】
 
 ・アクセス乞食、ブクマ集め無間地獄、MMO廃人など、承認欲求を満たせる場所を一度みつけたら執着してしまってやめられなくなっている人はあちこちにいる。ただ、こういうのはネット以外にだって存在していて、ホスト狂いの女性とか、配偶者に対して要求水準を際限なくつり上げては不満を口にしている人とか、医者などの専門職にもいると思う。職業から承認欲求や所属欲求を備給することに溺れるあまり、体をこわしてしまう人とか。
 
 ・承認/所属欲求に果てがあればいいが、手を休めてしまうとすぐに飢餓感に襲われてしまうような処世になっている人は、常にあくせくして承認欲求を枷がなければならない。で、そこに時間と若さの大半をつぎ込んでしまったら、十年後はどうなるのか?当人にとっては自意識自転車操業なのかもしれないが、他の領域で執着(や現実的なリソース)を手に入れる機会を相対的に奪われてしまうとしたら、とても大変。
 
 ・しかも承認欲求/所属欲求は、一定以上溜まれば終了みたいなものではなく、空腹や睡眠と同じで、摂取しない状況が続くと保たなくなると思う。空気無しでは生きられないように、または空腹や眠気のサインを無視し続けると心身を損ねるように、こうした欲望がおざなりになったままだと相当しんどくなるんではないか。例えばネット経由でしか承認/所属欲求を満たせない人の場合、何日もネット絶ちをしたらすっかり飢えてしまうのではないかと思う。だから、一定のセグメントで一定の形式でしか承認/所属欲求を備給出来ない人は、もうそこから離れることは出来ない。他の領域でも備給可能な人はいいけど、それが出来ない人は(たとえその領域が尻すぼみで段々承認/所属欲求が出来にくい領域だとしても)しがみつかざるを得ない。オタク/サブカルセグメントの幾つかで、これはみられる現象ではないか?
 
 ・「承認欲求は底なし」。ちょうど、食欲や睡眠欲に底が無いように。ただ、満腹感や熟眠感があるように、それらが一時的に満たされることはあると思う。でも、定期的に、幾らかづつではあっても、承認欲求や所属欲求が手に入らないと日常を過ごすのは困難と思う。
 
 ・現代の都会に住む個人は、日常生活の部分的セグメントで、とりあえずは承認/所属欲求をゲットすることは可能。ネットの内外で、そういう商売は繁盛している。しかし、そのなかにはしばしば、それ一辺倒に承認欲求を満たしているうちに段々欲求が膨張しやすいものがあったり、優越感ゲームを通して承認欲求を満たすものだからライバル達との軍拡競争になってしまいがちな領域が含まれている。ファッションの領域やサブカルセンス競争などがその最たるもので、こういう承認欲求はエスカレートしまくる可能性が高い。だから、もともと常に一定量満たし続けなければならないという意味で承認欲求が底なしという意味に加えて、優越感ゲームや差異化ゲームのなかでしか承認欲求をゲット出来ない人の場合には益々もって底なしということになる。これがまだしも仕事の領域で行われ、後日の自分にとって財産になるような人脈や金銭やステータスをもたらすものならマシかもしれないが、そうでない趣味や娯楽の領域でどこまでも深入りしちゃったらどうなるのか?
 
・ この、底なし承認欲求が地獄絵図にならないようにするにはどうすれば良いのか。今回は時間の都合で具体的ソリューションは話せない。原理的には、

 1.承認/所属欲求が、あくせくしなくても供給される体制
 2.承認欲求や所属欲求が、モノカルチャーに依存しなくてもいいように出来る体制
 3.他人を食い物にしたり迷惑をかけたりする承認欲求の獲得経路は回避。
 4.承認/所属欲求が比較的少なくても飢餓感に至らないメンタリティへの、路線変更。
 5.優越感ゲーム・差異化ゲームに依存した承認/所属欲求に頼りすぎないこと
 
 原理的には、こういった形のことが進められている人は、いい案配になるのではないかと思う。繰り返すが、承認/所属欲求を求めること自体はいいし、一定の割合で欲求を満たすのはいいと思う。しかし、この欲望を満たすために自分の手足を喰うような真似や、求めれば求めるほど承認/所属欲求をゲットすることが困難な袋小路は避けたほうがいいと思う。または、金銭コストが際限なく上昇するとか、どんどんコミュニケーションを衰えさせていくのもいただけないだろう。しかし、分かっちゃいるけどやめられない人も多く、路線変更は容易ではない。容易では無いんだけれども、こういった陥穽を知ることによって、深みにハマる度合いを軽く出来る人はあるかと思う。知れば良いというものでもないけど、知らないよりは知っておいたほうが回避しやすい災難というのもあるのではないか。
 
 

後半質疑応答

 
・元々承認欲求の低い人はいるのか?もしいるとしたら、どういった要因が考えられるのか?:
→まず、先天的または器質的に承認欲求をあまり要さない人というのは存在すると思います(ある種の統合失調症のケースなど)。それとは別に、承認欲求が幼少期からなかなか体験出来ず、その遺恨がかえって後日承認欲求に対して極端な飢餓や極端なツンデレをもたらすことはあるのではないか?と疑ってはいます。
 
・他者の視線に常に晒される恐怖が承認欲求を上回り逃げたくなると思う:
→「承認欲求が欲しい」という気持ちを「駄目出しされて承認欲求がマイナスの状態になりたくない」という思いが上回る時、そういった気持ちに囚われやすいのでは?と思います。そして、そうした心境が、新しい場で新しい人と接する可能性を妨げ、益々特定の狭い領域で承認欲求を満たす構図になっていくと推定しています。「承認されたい」と「駄目出しされたくない」は表裏一体のような気がします。
 
 
・Web上の承認とリアルの承認は種類が違うのではないか?:
→勿論違うと思います。一つには、Web上の承認は、主としてその話題・その応答のなかに完結してしまう傾向が強いのでは?と思います。2chやニコニコなども、一つのスレッドや動画のなかで承認は完結しています。リアルでもその傾向が無いとは言い切れないものの、リアルではその話題・その応答のなかで完結してしまう傾向はより希薄だと思っています。
 
・自分はたぶん、挫折して鬱になった経験を通して承認欲求の燃費が少し良くなったタイプ:
→挫折を通して承認欲求の燃費が必ず良くなるのかは分かりませんが、そういう人もあるかもしれません。ただ、もしもどこでも承認欲求をゲット出来るような人の場合、承認欲求の燃費はあまり良くならないと思います。しかしどこでもいつでも承認欲求が得られるという人は、燃費が悪いままでも案外平静に過ごしていられそうです。
 
・ご自身はネット上での承認要求は満たされてますか?更に論文投稿や著書執筆などでリアル論壇などへも踏み込んでさらなる承認を求めますか?:
→僕はネット上でも承認欲求を満たしています。他の領域でも、承認欲求が得られるものなら得ようとするでしょう。もしそれが可能で、能力やコストとベネフィットに見合うものなら、ですが。
 
・望み薄にも関わらずクリエイター志望の人間が後を絶たないのは、才能さえあれば単一分野の実績のみで高い承認と収入を得られるからかな?:
→全く同意。単一の領域でしかアドバンテージを提示出来ない人でも、クリエイターと言える水準まで行けば、承認欲求を幅広くゲットすることは出来そう。アニメ声優の学校などをみるにつけても、日常の色々な場で承認欲求が得られる人がわざわざ向かうことは少なそうな気がする。家庭・職場・地域シャカイなどが充実していれば、わざわざそんな所に行かなくても良いような気がする。けれども、終身雇用制が崩れ、就職超氷河期を迎えた世代には、それはかなり困難なことになってしまいました。しかも、地域社会はもう存在しないも同然。
 
・外部からの承認が得られない局面では自身による承認(肯定)が重要になると思うのですが、安易な自己と他者の比較はその自己承認を削いでしまいやすい(上を見る限り)と考えているのですが:
→原理的に、外部からの、他人からの何らかの承認がなければ人の間でメンタリティを保つのは凄く困難ではないか、と思っています。何も、褒めて貰うという水準までいかなくても、自分を認識してくれている人がいるという、気づきと認知のなかではじめてメンタリティが保たれるのではないかとは思っています。
 
・燃費がよくなるって去勢ってやつ?:
→去勢という単語は使用者によって意味が違ってくるので、この単語を扱うのは苦手です。やだ、なんとなくですが、燃費が良くなる→去勢完了、とは限らないとは思います。逆に、去勢が無事に行われたとすれば、燃費が良くなったりガツガツしすぎたりせずに済むようになるような感じは覚えます。
 
・承認をネットで得る。金を現実で得る。乖離していてOK?:
→お金が無尽蔵に沸いてくる人ならそれでもOKだと思う。でも、そういう人は滅多にいないので、ネット承認をあてにして引きこもり続けるのは無理だと思います。デイトレーダーで高収入を得ている人ならともかく、そうでない現実世界で人と付き合う必要のある人が幾ら承認リスクヘッジをネット上で展開しても、実際には現実との接点がゼロにはならず、他人のまなざしにさらされるという事態に直面しなければならない筈。だとすれば、承認をネットに極度に依存してしまった人は、リアルのほうでは人間関係からの退却に退却を重ねるしかない事態を迎えるのではないか?という心配はあります。
 
・「眼前の絶望的な精神状態から脱する為に、あえて○○に依存し、後日持ち直せば徐々にそこから脱すればいい」という、『甘い言葉の短期適応は重度依存への入り口』ではないか?:
→緊急の為に依存するところの○○が、殆ど唯一の承認欲求の満たし方であれば、依存は起こりやすくなるようには思います。メンタルの短期的な適応の為に、何某かの承認欲求のセグメントをノックしたはいいけれど、それにしがみつき続ければ中期〜長期的は大抵の場合尻すぼみになってしまうと思います(ただ、いわゆるaddictionと底なし承認欲求には、微妙なニュアンスの違いがあるので一緒くたにしすぎるのもちょっと心配ではありますが)。
 



 端折り気味ですが、大筋としては以上のような感じでした。続きは2月に放送する予定です。ご静聴ありがとうございました。