シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

多重人格が普通、ですって???

 
 
404 Blog Not Found:多重人格って普通だよね?
 
 どこかの中高生が「24人のビリー・ミリガン」を読んだ感想文としてそのような文章を書くとすれば、まぁ仕方ないかという気もするけれど、あのdankogaiさんが、『多重人格は普通』などというタイトルの文章を書き、それが大勢の人に読まれるとなるとは!本当に、きちんとお読みになったうえでエントリを書かれたのか、忙しい合間にチャッチャと読み飛ばしてエントリを書かれたのか、強い疑問を感じてしまった。
 
 多重人格にせよ、境界性人格障害にせよ、そこでみられる「解離」という症状は*1複数の人格といわれるものの移り変わりの前後で記憶の喪失や混乱を呈する。そうでないものを解離という症候で呼ぶことは無いし、また呼ぶべきでもないと思う。解離という症状が臨床的に問題視される理由は幾つもあるけれども、そのなかで記憶の喪失や混乱に関するものが占める割合は大きい。この、人格間の(または行動傾向間の)記憶の喪失や混乱のために、解離という症候を有するケースの適応や治療が妨げられることも少なくない。当人にとっても当人と対峙する人達にとっても、解離という症候は制御も取り扱いも難しい。
 
 記憶の混乱・喪失を伴わない二つの態度の使い分けや、状況によって振る舞いを意図的に切り替えるということは、現代社会の様々な局面において有用な態度だと思うし、それは日常的に要請されるものですらある。だけど、こうした使い分けも、意識的統合が保たれ、記憶の相互連続性が保たれてナンボなわけで、解離にみられるような、意識の離断や記憶の喪失・混乱があっては、状況にあわせて意図的にやってのける器用さは期待できない。勿論、解離という症候にも一応の適応的意義があるかもしれないが*2、少なくともdankogaiさん並みのフレキシビリティを期待することは出来ないし、適応的意義よりもデメリットが先立つことのほうが多い。
 
 ここで、解離性同一性障害 - Wikipediaから、解離についての主要な特徴を抜粋しておこう。
 

・2つ以上の複数の明確な人格状態が存在する
・その複数の人格状態が患者の肉体を入れ替わり支配している
・人格間の記憶は独立しており、これにより、物忘れでは説明できないほどの強い記憶喪失を伴う
・以上の状態が発生することが、薬物のような物質的作用や生理的作用によるものではない

 もし、dankogaiさんがエントリを書いている時に、以上の要件を満たしているというのなら、なるほど、解離というのも割と普遍的な状態なのかもしれない。しかし、おそらくそうではないだろう。もし本当に解離という症状があるとするなら、そのたびに404 Blog Not Foundの文体は変化し、統一性の無いこと夥しいという特徴をもって知られることになっただろうし、現在に至るサクセスストーリーも達成出来ていなかったと推測する。また、人格がデジタルにswitchするならそれは解離と呼べるかもしれないけれど、振る舞いや態度の変更に通底したdankogaiさんらしさがある限り・記憶の連続性が保たれる限り、それは人格のデジタルなswitchというよりは、アナログな人格・記憶の持ち主が幾つかのバリエーションを提示しているようにしかみえないわけだ。端的に言って、dankogaiさんのおっしゃることはちっとも解離っぽくないし、pesronalityがswitchしているようには微塵も感じない。normalとしか言いようがないし、そういうものなら誰にだってある。状況依存的に振る舞いを意図的に変更することに、“解離”という症候学的タームを割り当てるのは、満腹の時には食が進まないことを食欲不振と呼ぶのと同じぐらいの違和感を感じる。少なくとも、私などは。
 
 解離という言葉は、現代を理解するキーワードでもあるかのように、様々な文脈のなかで多用されることが多いと私個人は感じている。しかし、どういった文脈で解離という言葉を用いる場合であっても、上記一覧のような“解離という症候の基本的案件”を逸脱した物言いというのはどうかと思う。最近は幾らか減少したような気もするが、数年前までは“自称多重人格”が精神科や心療内科を受診するケースを時々見かけたし、現在でもそういった人達をみかけないこともない(ちょうど今回のdankogaiさんの物言いをもう少し華美にしたようなことを彼/彼女らは訴えるが、人格・記憶の連続性はしっかりと保たれていたりする)。“解離”という医学用語として現役の言葉が、全くそれに該当しないニュアンスで乱用されるうちに一人歩きすることは、臨床の場に要らぬ混乱をもたらすものだと私は考えているし、それは本来好ましいことではないとも感じる*3。現代社会の個人が置かれている状況が文脈ごとに寸断されがちであることや、文脈ごとに振る舞いの変更を余儀なくされていることを考慮すれば、ついつい解離という言葉を引用したくなるのは分からなくもないけれど、それは症候学的な用語としての解離とはあまりにもかけ離れた使い方だということは意識して欲しいし、出来れば注釈か何かで断っておいて頂けたら、と思う。
 
 2ちゃんねるの隅に書かれた発言ならともかく、dankogaiさんのように見識を認められ、幅広い読者に愛好されているブログの書くテキストには、ついつい私はきちんとした用語の用法を期待してしまいがちだ(それを一読者の甘えというなら、確かにそうかもしれない)。専門性の問題もあるので過大な期待は禁物なのは重々承知しつつも、wikipediaにさえ書いてあるような基本的な要件すら逸脱して解離という言葉を流通させるのは、いくらなんでもなぁと思い、この文章を書いた。dankogaiさん、お忙しい中ブログを書くのが大変だというのは分かりますが、どうかこういうの勘弁してください。
 

*1:一応断っておくが、そのほかの幾つかの精神疾患が主たる病態においても時に解離という症候がみられる事は無くもない。けれども、一般的には解離性同一性障害および境界性人格障害において解離という現象を見かけやすい、という傾向は認められる。ただしこの表現はICD-10コードにおいて境界性人格障害と解離性同一性障害は別疾患という前提のお話で、DSM-IVにおいては診断第一軸において解離性同一性障害の診断がつけられ第二軸において境界性人格障害が重畳してつけられることがしばしばある。

*2:あまり巧くない防衛機制としての適応的意義、ではあるが

*3:勿論、このような混乱の責は精神科医や心理学者の側にもあることは明確であるが。