シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

極端なネガ/ポジで視たくないものから目を逸らす処世術について

 
 
 極端なポジティブ一辺倒というのは融通させにくい考え方で、そんなことでは日常の現実の様々な局面に対応していくことは難しい。また同様に、極端なネガティブ一辺倒も融通が利きにくい。極端なオプティミズムや極端なペシミズムは、目の前の現実を直視して対応するよりはむしろ、目の前の現実を歪曲して理解したり目の前の現実のみたくないところから目を逸らすのに向いているし、またそういった用途に用いられている。自分の身の回りで起こっていること・起こりえることというのは極端な楽観と極端な悲観を両極とした数直線の間のどこかであることが殆どで、極端なポジティブや極端なネガティブのどちらかに終始した捉え方では、様々なモノを見落とすことになってしまう。なってしまうのだが、むしろ見落としたいという人・視たくないという人には、有効な処世術として採用されることが多いようだ。極端な考え方は、ネガであれポジであれ現実への柔軟な対応には全く不向きだが、「分からないことへの不安」を防衛するのにだけは効果的には違いなく、極端なポジティブ/ネガティブへの傾倒を不安対処法とするようなライフハック言説は引き合いも多い。
 
 実際、ネット界隈であれ書籍界隈であれ、極端なポジティブ教や極端なネガティブ教や跳梁跋扈しており、視たくないものからは目を逸らせて不安を紛らわしておきたい人達の需要を満たし続けている*1。そんなことに終始しているようでは、事実を踏まえた的確な判断などできるわけも無いわけだけど、事実を踏まえた的確な判断よりも視たい願望に即した形で・視たくないものをマスクした形で事物を眺めやりたい人には、これらの抗不安サプリメントは好評のようにみえる。
 
 念のため断っておくと、僕は別に、事物を視たいように視るのがいけないことだとまで言うつもりは無い。事物の現実を眺め続けることはしんどいことだし、分からない部分は分からないままとして留保しつつ観察し続けることも大変だ。どうでも良いことであれば、白か黒かをさっさと決めてしまって差し支えない場合もあるだろうし、しんどい時には気分転換のレクリエーションとして視たい願望を視るようなファンタジーに浸るのも良いだろう。だが、自分にとってクリティカルな事物に対してまでポジティブ/ネガティブ一辺倒になってしまって視界と判断が歪んでしまっていれば、その人の適応は一体どうなってしまうだろうか、という疑問は持っている。または、出来るだけ正確に事物を捉えたうえで判断しなければならない局面に、一辺倒な見方しか出来ない人は到底対処出来ないのではないか、という疑問も持っている。
 
 スタンスとして、ポジティブ優勢であったりネガティブ優勢であったりするぐらいなら問題は無いだろうし、僕はポジティブそのもの/ネガティブそのものをいけないことだというつもりは無い。また、絶え間なく苛烈な現実を直視し続けるべきだとも思わない。けれども、見たくないものから目を逸らせる為にポジティブ/ネガティブどちらかに傾倒する処世術に終始するならば、中〜長期的にはその人の適応の可能性と、コミュニケーションの可能性を制限するものになってしまうだろう、とは危惧する。そういった処世術をとらざるを得ない個人のメンタリティを問題とすべきか、そういった処世術を商売にする人達を問題とすべきか、はたまたそういった処世術を個人に余儀なくさせる社会構造を問題とすべきかは(今回)置いておくが、ともあれ、極端なまでのポジティブ/ネガティブ傾倒で視たくないものから目を逸らし続けるような処世術に至ってしまうと、個人の適応とコミュニケーション可能性は大きく制限されやすいことは、改めて確認しておきたい。
 
 
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*1:また同様に、何らかの事物を極端な否定・極端な肯定で捉えるようなテキストも、一辺倒な見方でもって見たくないものから目を逸らさずにはいられない人達の需要を満たしている