シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

男女交際は非モテメンタリティを払拭させるか

 
 インターネット上で時々耳にする言葉『非モテ』。この言葉を自称し、とりわけ、男女交際が出来ないことへの無念や苛立ちを口にする人は後を絶たない。モテるモテないという言葉から察するにしても、自称非モテ達の多くが男女間のコミュニケーションに難しさを感じているのは確かなのだろう。
  
 ところが、自称非モテの彼らのなかには異性との交際を経験するに至った者も存在しており、だからといって非モテメンタリティから脱却したかといえば、未だそれを残存させていると表明している者もあるようだ。何をもって自称非モテの根拠となすのか・何をもって非モテの定義とするかに難はあるにせよ、「異性と交際すれば非モテ卒業」「性経験があれば非モテじゃなくなる」というものではないようにみえる。非モテのゴールは男女交際にあるように思われているし、本来、言葉の定義からすればそうであっても不思議ではないようにみえるが、非モテという言葉を引きずっている人の背中をみるにつけても、異性と一定期間付き合えばそれで非モテメンタリティを払拭できるというほど話は簡単ではないようにみえる。
 
 もちろん、男女交際が非モテメンタリティからの脱却に寄与しないと言うつもりは無いけれども、
 

  • 男女交際から何を体験したのか
  • どういう記憶を残したのか
  • どんな男女交際だったのか
  • 当人の非モテメンタリティの強弱はどうであったのかetc

 
 などといった条件次第では、もし男女交際というフェーズに至ったとしても彼らは非モテとしての自意識を払拭しきれないばかりか、殆ど同じメンタリティに終始してしまうという可能性は無いだろうか。極端な例を挙げるならば、サークルクラッシュ女性と“面倒くさい関係”になってしまった挙げ句にコミュニティから叩き出されるような経験では、非モテメンタリティはとうてい払拭できまい。それは極端としても、男女交際の内容・体験・記憶次第では非モテメンタリティが不十分にしか変化しないという類例はあるのではないかと思う。
 
 繰り返しになるが、だからといって男女交際が全く無駄というつもりは毛頭無いし、男女交際という経験が(自称非モテに限らず)思春期〜青年期において特有のニュアンスを含んでいることは否定しがたいとは思う。確かに、男女交際は非モテメンタリティの脱却・軽減において重要な位置を占めているとは思うわけだが、「ただ異性をゲットすればok」というわけではないことは、これまで非モテを自称していた人達の様子をみるにつけても、やはり明らかだろう。男女交際であれば何でも良いというよりは、「ある種の男女交際が非モテメンタリティを軽減させる」「男女交際によってもたらされがちな何らかの滋味が非モテメンタリティを軽減させる」というほうが実際に近いような印象を私は持っている。男女交際は非モテメンタリティを確実に脱却させるわけではなく、その内容や種類如何で効果はまちまちで、なかには大して効果の無い男女交際もある、というのが本当のところのようにみえる。