シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

それって、STGに求められるセンスの軸を変更して欲しいと翻訳すればいいのでしょうか。

 
 http://medt00lz.s59.xrea.com/blog/archives/2007/12/post_579.html
 
 シューティングゲームであれ、スポーツであれ、対戦格闘ゲームであれ、対戦や競争の概念が存在するゲームにおいては、努力そのものが評価されるタイプのゲーム、というのはかなり難しいと思う。好きなテクスチャを貼り付けるとか、好きなフラッグを装備するとかいう水準のものは出回るだろうけれど、そもそもシューティングやスポーツや対戦格闘ゲームというフィールドは、「何らかの技量の枠内で」勝敗や可否を競うタイプのフィールドなので、その技量の枠に関連するセンスの有る無しがどうしてもプレイに反映されてしまう。ゴルフにはゴルフの、弾幕シューティングには弾幕シューティングの、鉄拳には鉄拳の、最適のセンスを持った人達というのがいる筈で、結果というアウトプットに対して努力だけでなく個人的素養が反映されることは不可避に近い。
 
 仮に、機体やキャラクターのAI的なものを教育・育成するという特徴を盛り込んだゲームをリリースしたとしても、今度は「育成効率」「自分のプレイヤーとしての傾向と、育成方向性とのマッチング」といった次元でセンスの働きどころが生まれてきてしまい、それはそれでセンスを問うてくるゲームということになってしまう事を避けられない。ドット単位で機体の動きを微調整してくれるAIを育成する機能のついたシューティングゲームがリリースされたとしたら、確かにそれはスターフォースや斑鳩とは違ったゲームにはなるだろうけれど、今までとは異なるラインのセンスが求められるようになるだけで、努力の多寡だけで結果が左右されるというゲームにはならないと思う。デザインを誤れば、「AIを教育する為には絶妙なレバー裁きが有利」なゲームになってしまう可能性さえあるかもしれない。どちらにせよ「優秀な補佐AI機をいかに育成するのか」の占める割合の大きなゲームになれば、今度はそのことを巡っての競争なり何なりが始まってしまい、育成センスを問うという、別種の競争が展開されることになるだろう。まぁ、それはそれで面白いには違いないけれど、それをシューティングゲームとは呼ばないだろうし、またシューターもそのようなものをシューティングゲームには期待してはいないだろう。格闘ゲーマー然り、スポーツ選手然り。
 
 結局のところ、ゲームなりなんなりにおよそ「対戦」「勝敗」「差異化」の含まれている限り、センスの問題は多かれ少なかれついてまわらずにはいられない。ポーカーフェースが求められるものもあれば反射神経が問われる割合の大きなゲームもある。また、ある種のシューティングゲームなどは、パターン構築能力と実行能力の精度が強く問われることにもなってくる。尤も、そういった諸々のゲームなどでさえも、現実世界に比べればまだしもセンスに比べて努力が優位なゲームジャンルとはいうことが出来るかもしれない。例えばシューティングゲームにせよ格闘ゲームにせよ、努力を重ねれば誰でもある程度の所までは上達することが出来るし、逆にある程度以上上手な人達というのは、大抵はそれなりの努力は影で蓄積させていたりもする。そこからさらにライバル達に差をつけようとか、全国ベスト100に入ろうとかいう話になると何らかのセンスが求められるわけだけど、コンピュータゲームというのは、ある程度の「見栄え」に到達するまでの努力ならば比較的報われやすく、且つ努力の総量も少なくて済むジャンルなんじゃないかと思う。