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シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

「努力は必ず報われる神話」として消費される受験戦争という“ゲーム”

執着

 
 
 http://medt00lz.s59.xrea.com/blog/archives/2007/12/post_579.html
 それって、STGに求められるセンスの軸を変更して欲しいと翻訳すればいいのでしょうか。 - シロクマの屑籠
 
 上記リンク先の文章を眺めながら、「努力が結果に必ず結びつく」という神話を担ってくれそうなゲームについて色々考えてみた。
 

 結局のところ、ゲームなりなんなりにおよそ「対戦」「勝敗」「差異化」の含まれている限り、センスの問題は多かれ少なかれついてまわらずにはいられない。ポーカーフェースが求められるものもあれば反射神経が問われる割合の大きなゲームもある。また、ある種のシューティングゲームなどは、パターン構築能力と実行能力の精度が強く問われることにもなってくる。尤も、そういった諸々のゲームなどでさえも、現実世界に比べればまだしもセンスに比べて努力が優位なゲームジャンルとはいうことが出来るかもしれない。例えばシューティングゲームにせよ格闘ゲームにせよ、努力を重ねれば誰でもある程度の所までは上達することが出来るし、逆にある程度以上上手な人達というのは、大抵はそれなりの努力は影で蓄積させていたりもする。そこからさらにライバル達に差をつけようとか、全国ベスト100に入ろうとかいう話になると何らかのセンスが求められるわけだけど、コンピュータゲームというのは、ある程度の「見栄え」に到達するまでの努力ならば比較的報われやすく、且つ努力の総量も少なくて済むジャンルなんじゃないかと思う。

http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20071226/p2

 
 その点では、いわゆる「経験値制度」を導入しているタイプのゲームこそが、比較的努力の総量がそのまま結果に反映されやすい真のジャンルとして着眼に値すると思う。ある種のMMOなどがまさにその代表だが、プレイ時間という「努力の単位」がそのまんま結果に直結しがちなゲームが、日本国内では跳梁跋扈している。日本型RPGとも言うべきドラクエやファイナルファンタジーシリーズなども、スタンドアロンな内容ながらも、「経験稼ぎ」という比較的センスを伴わない努力を経由して報酬が得られるという遊びになっている。センスや頭の良さなどが求められる余地を極力まで削り取り、努力さえすれば前に進める・評価されるという神話は、まさにこれらのゲームにおいて結実し、販売されている。ある種のシミュレーションゲームなどもそうだろう。その手のゲームのなかでもよく出来た商品の場合、「スキル選択」「ルート選択」などといったギミックを通して“あたかもセンス次第で結果が変化してきそうな”欺瞞の共犯関係をプレイヤーと構築することに成功しながら、同時に、努力すれば必ず報われるという担保を提供してもいる*1。クリア出来るのが当たり前の物語を消費するゲームや、プレイ時間さえ長ければ勇者様なり大賢者様なりになれるゲームが日本にはごまんと存在し、それなりの支持を集めている。伸るか反るかのスリルなど午睡の夢、予定調和の、頑張った人には必ず花丸がつけて貰えるようなゲームが、これほどのさばっていて、その中で努力して魔王を倒すような物語や、努力が有能さ・有力さに繋がるような虚構を消費しているというのは、id:medtoolzさんが言うところの「努力は必ず報われる」という神話が、そして「必ず報われる努力しかしたくない」というメンタリティが、既に市中に蔓延していることの一端を示していると思う。だけど、もっと広い範囲の人達を「努力は必ず報われる」という神話に取り憑かせているもっと凄い、もっと危ない“ゲーム”もあるんじゃないだろうか。
 

日本最大の「努力は必ず報われる神話」ゲームとしての受験戦争

 
 1970年代以降に生まれた世代にはすっかりお馴染みとも言うべきRPGやMMOのような、「努力は必ず報われる神話」のなかで最も多くのプレイヤーが参加して、最も多くのプレイヤーが納得とまでは言わないまでも必死になってゲームにのめり込んでいるものとして、僕は受験戦争・偏差値戦争を思い出さずにはいられなかた。しかもこのゲームは、受験を潜り抜ける当人達だけでなく、それに関わる親や教師までも巻き込んでまだまだヒートアップしている。むしろ、子ども達のほうが「学力だけあっても駄目なものは駄目」という醒めた現実を直視していて、いい歳した大人達のほうが受験という名の神話にとり憑かれて夢を見続けているんじゃないかと思えるシーンさえ散見される有様だ。そして、そうした大人達からお金をむしりとっていく様々なビジネスが周辺に展開されている。
 
 確かに、良い環境を得られるか否かは子どもの才能なりセンスなりを開花させるにあたって重要な問題と言え、出来るだけ良い環境に子どもを送り出すよう頑張ることには意義があるとは僕も思う。その為に有名大学を目指すなり海外留学するのも悪い話ではないと思う。しかし世の中には「頑張って勉強さえすれば必ず報われる」「いい大学・いい会社にさえ入ってしまえば豊かになれる」という神話にすっかり脳髄を侵されている人もまだまだ多いのではないだろうか。等身大の子どもの適正など考えもしないで「いい大学にさえ出せばきっと報われる」と思っている親や、自分の入る大学によって人生の全てが決定すると思い込んでいる子どもをはじめ*2、万難を排してでも受験戦争というゲームに勝ち、そして「必ずや幸福になれる」という神話を信じたがっている人は減ったといえども未だ少なくないのではないか。そして、超氷河期世代といわれる人達の父母や、あまつさえ当人達のなかには、未だそういった気分に未練を感じている人がいるのではないか、とも勘ぐってしまう。受験勉強を、ある種の環境を手に入れる為の一手段としてではなく、RPGやMMOのような「努力は必ず報われる神話」の目標地点として信じたがっている人達、そして「あんなに努力した僕を評価しようとしてくれない社会はおかしい」と泣き騒ぐ人達を、あなたも見たことがあるのではないだろうか。幸か不幸か、受験戦争という“ゲーム”は絶妙のゲームバランスで、余程の先天的素養の欠落が無い限りは「努力すれば努力に見合った結果」「努力すればそうでない頭の良い子を上回る結果」が得るチャンスを与えられる。起業とか独創などに比べれば、センスの差が出やすいようで実は出にくいゲームバランスを提供しているのが受験戦争という“ゲーム”で*3、そのくせあたかも知的センスで差がつけられるような容貌をしている。また、塾通いだの受験テクニックだのに投資すれば埋め合わせも可能で、浪人生という敗者復活戦まで備えている。これは、なかなか罪作りな“ゲーム”といえるのではないだろうか。
 
 勿論、受験戦争をこうした「努力が必ず報われる神話」として消費していた人達は、出身大学など社会的評価のほんの一断面でしかないという現実からの、手ひどい復讐を受けよう。「僕は○○大学を出たんだから評価されて当然」「努力して勉強したんだから尊敬しないほうがおかしい」「なんでこんなに努力して勉強もした僕がモテないんだ」などと口にする人達は、未だ「努力が必ず報われる神話」として受験戦争に浸っていたい気分なのだろうか。いや実際、出身大学さえ良ければ必ずオイシイ目に遭えた時代もあったのかもしれない。だが21世紀の娑婆世界はというと、受験戦争という“ゲーム”にさえ勝てば報酬や幸福が約束されているなどというヌルいシステムではなく、あらゆる業種において多種多様なセンスが問われる現実が、見渡す限り広がっている。その厳しい現実のなかで、自分のセンスを開花させる為の環境なり筋道なりを手に入れる為に進学・就職したならまだしも、「いい大学に合格さえすれば」などという願望を現実に投影させたがってばかりいるようでは、生き残っていくのは困難というものだ。確かに学歴は人を評価する一側面にはなり得る。けれども、何が出来るか・何を身につけてきたのか・何をプレゼント出来るのか等々の実行能力をろくに提示できなければ、学歴馬鹿と罵られるのが関の山というものだ。
 
 

夢をみるのはアニメやゲームの時だけにしたほうが…。

 
 人は案外弱くて脆い生き物なので、ひたすら苛烈な現実だけを直視しながら生き急ぐのではなく、ちょっとした息抜きに「努力すれば必ず報われる神話」を楽しむのは決して悪いことではないと思う。ときに殺伐とした日常から離れ、ロールプレイングゲームなりスポーツなりblog大戦略なりをレクレーションや気分転換として利用することを、現実逃避だと非難するつもりも無い。しかし、自分の思春期と能力開発を掛け金として要する受験戦争を、あくまで「努力が必ず報われる神話」というゲームとしてのめり込むことには、中〜長期的にみて大きなリスクがあるとは思う。ゲームをやっている時やアニメをみている時に見たい夢をみるのは楽しいけれど、見たい夢を現実に投影しまくって、それに則る形で人生のチップを上乗せし続けるのはまずかろう。世の中には、受験勉強や専門的学問なんかよりも、愛想の振り方や上手な調理技術に強い素養を持った子どもも沢山いることだろうが、そういった子ども達(とその父兄)までもが「努力が必ず報われる神話」としての受験戦争に勘違いしてのめり込むのは勿体ないことだと思うし、ましてや「受験勉強でハイスコアを出す以外には何も能の無い人間」として出来上がってしまったら悲惨としか言いようが無い。だが、世の中には「努力」「必ず報われる」という神話を信じたい人がごまんといらっしゃる*4ようで、そうした人達におあつらえ向きのゲーム環境を受験勉強は現在も提供し続けている。そんなわけで、
 

「努力は必ず報われる」なんて神話を紡ぐ虚構は、恐らくはいろんな人からお金を引っ張れる。

http://medt00lz.s59.xrea.com/blog/archives/2007/12/post_579.html

 medtoolzさんのおっしゃる以上に、この神話を紡ぐ虚構は既に十分に繁盛していると僕は思わずにはいられない。受験戦争onlineというMMOは既に旬を過ぎた感はあるものの、のめり込んでお金と人生とステータス振りを賭ける人はまだ少なくないようだ。少なくとも、そういった父母はまだ少なくないことだろう。「学歴さえあれば、不確かな人生の約束手形になる」と信じ込みたい願望が、見るべき現実よりも見たい神話を優先させ、受験勉強をMMOやRPGのようなゲームと錯覚させるという構図。ドラクエやラグナロクオンラインといったお遊びのレベルではなく、現実の、自分の人生(または子どもの人生)にすら「努力すれば必ず報われる神話」を探し求める多くの人達がいるのだから、確かにmedtoolzさんのおっしゃる通り、「努力は必ず報われる」なんて神話を紡ぐ虚構はいろんな人からお金を引っ張れるのだろうな、と僕も首肯せずにはいられない。
 

*1:そのような欺瞞については作り手側も消費者側も百も承知のうえで楽しんでいるのだろうから、指摘するのも野暮というものなのだろうけれど

*2:一体その子は大学に入って何をやるというのだろうか?大学に入ってからの人生というものは何なのだろうか?

*3:ただ、流石にある程度以上の水準になってくると、センスの差は出てくるわけだが

*4:あるいは、信じ込ませたいと思っている人もごまんといらっしゃる