シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

教育しない限り何もかも身に付かない子ども達----ポストモダン社会と子どもの発達について考える(要約)

 
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 NHKの『クローズアップ現代』において、現代の子ども達の運動機能に極端なばらつきがみらえる事が紹介されていた。そしてその一因として、子ども達が集団で外遊びする機会が少なくなっていることが挙げられていたわけだが、集団での外遊びが少なくなることによって能力的バラツキがひどくなるのは、果たして運動機能だけなのだろうか?私は番組をみながらそういう疑問を感じたので、その疑問のほどを上記リンク先のテキストにまとめてみた。
 
 具体的には、運動機能だけでなく、コミュニケーション能力も、パーソナリティの傾向や自発性さえも、現代都市空間の子どもは、(恒常的に外遊びが上の子から下の子へと引き継がれていた)かつての地域社会の子どもと比べて格差が拡大しやすくなっているのではないか?という疑問に私は取り憑かれてしまったわけである。かつての地域社会の子どもにおいては、良くも悪くも皆で外遊びをするしかなく、よって個人個人の多少の先天的素養の違いはそのような外遊びの場のなかで平均化されるなり代償的能力を獲得するなりといった機会を与えられたと思われる(特に学力にはあまり関係しない、身体機能やコミュニケーション能力や村のなかで知っておくべき知識や因習についてなどはそうだと思われる)。だが、都市空間の子ども達の場合、そういった平均化や代償能力獲得の場としての子どもだけの外遊びの機会は相対的に少なくなる一方であり、だとすれば、学力ばかりでなく身体機能やコミュニケーション能力の発達と体験に関しても、格差が拡大しやすい傾向は不可避ではないかと私は思わずにいられない。
 
 なお、番組では専門の先生が教えるという解決法が登場していた。しかしインストラクターを子どもにつけるという解決法では、インストラクターを雇える家と雇えない家の格差という形で問題を拡大再生産することは避けられないし、無料で全ての子どもの全てのスペック分野にインストラクターをつけることは不可能でしかない。また、「大人に教えられる」という体験と「子ども達の集団のなかで自発的に学ぶ」体験では、好奇心や自発性の獲得という点において随分とニュアンスが異なるであろう点を考えるにつけても、インストラクターをつければ良いという発想にはかなりの限界があるように私には思えてならなかった。
 

 ポストモダン社会・ポストモダン的都市空間の功罪は、一般に、大人の論者によって大人の住みやすさ住みにくさに焦点づけられて論じられることが多いが、果たして、子ども達の諸能力の発達と獲得*1にはどのような影響を与えるのだろうか?折しも、学級崩壊の問題や発達障害の問題がクローズアップされやすくなっている現代、子どもの発達と、1990年代以降本格化しつつあるポストモダン親和的な都市空間との関係について、識者による検討や研究を待ち望みたいと思う。
 
 

 ※私は不勉強ゆえ、幼児期〜学童期の諸能力発達やパーソナリティの形成と、現代の日本のポストモダンな都市空間環境との相互関係についてのdiscussionはあまりみたことがありません。望むらくは、そのような相互関係についての検討が識者の間で既に十分に行われていることを祈ります。また、そのような議論の成果を、現状のにっちもさっちもならない状況にフィードバックしていただきたいと願っています。もし、こういうのをご存じの方がいらっしゃったら、教えてくださると嬉しいです。
 

*1:とりわけ、幼児期〜小学校前半ぐらいまでの、子ども本人の能力では学習と体験の場所をあまり選ぶことの出来ない年代における諸能力の発達と獲得