シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

「遺伝子の操る飴と鞭」について

 
 欲求と不安 - REVの日記 @はてな
 かなり同意。
 
 ホモ・サピエンスも含めた生物の欲求*1を考えるにあたっては、「欲しい欲しい」というモデルだけで考えるよりも「無いと苦しい」「無いと不安や緊張が強くなる」というモデルも含めて考えたほうが色々説明しやすいものがあるんじゃないかとは、僕も感じます。ちょっと言い換えるなら、「無いと不安や緊張が強くなり、それらが満たされると解消されて報酬(エンドルフィンとか)が与えられる」モデルというか。そういうのが実装されていない生物個体は、長生きも繁殖も難しいような気がします。
 
 自然淘汰の観点から考えてみると。ホメオスタシスが維持出来なさそうな危機に、苦しくなったり心配になったり辛くなったりする個体のほうが、そうでない個体よりは長生きできそうですよね。例えば、血糖もグリコーゲンも皮下脂肪もスッカラカンになっていても一切飢餓に関する感覚を感じない生物は、あっという間に淘汰してしまいそうです。また、群れから爪弾きにされても不安を感じずに悠々と泳いでしまうような鰯や、だだっ広い場所でもくつろいでいられるゴキブリなども、速やかに淘汰されてしまいそうです。
 

 同じように、性淘汰の観点から考えてみると。繁殖行動が困難な状況になったときに、苦しくなったり心配になったり辛くなったりする個体のほうが、そうでない個体よりは遺伝子が残りそうな気がします(特に雄は)。例えば、群れのなかの序列如何で遺伝子を残せるかどうかが大きく変わってくる生物種*2で、繁殖シーズンになっても群れのなかの序列を一切気にせずに最下位でものんびり過ごしている個体の遺伝子は、速やかに淘汰されてしまいそうです。同じく、自分の巣が荒れ放題でも気にならないアズマヤドリの雄の遺伝子や、自分の縄張りがどんなに狭くても悠々自適で過ごせるネコの遺伝子なども、あっという間に淘汰の波間に消えていくことでしょう。
 
 そんなこんなで、こういう進化理論*3なモノの見方でみていくにつけても、「群れのなかで認められない雄」「コミュニティのなかに所属している感を感じられない雄」「女の子に嫌悪されっぱなしの雄」といったものに不安や葛藤を感じるように人間♂が出来ているとしても、さほど不思議ではない気がしてきます。ホモ・サピエンスの遺伝子が形成された新石器時代においても、「群れのなかで認められない雄」「コミュニティのなかに所属しきれない雄」「女の子に嫌悪されっぱなしの雄」といった社会的状況が続く雄の個体は、やっぱり自然淘汰/性淘汰の波間に消えていきやすかったことでしょうから、そういうシチュを避けるように動機づけられてない個体は淘汰されてしまいそうです。雌の側もまた、「群れから爪弾きにされる雌」「コミュニティに所属せず誰からも守られない雌」「どこの馬の骨とも分からない男の遺伝子を抱え込まなければならない雌」といった社会的状況を出来るだけ回避しなければ、やはり淘汰の波間に消えていきやすかったことでしょうから、そういったシチュを回避するように動機付けられていそうです。
 
 そんなわけで、空腹や睡眠といった連想しやすい領域だけでなく、より複雑で社会的な行動に関しても、「欲求-不安」「葛藤-解消」といったモデルに該当するような機能がホモ・サピエンスに実装されていることには殆ど間違いが無いと僕は思っています。ただ、それがどこまでがそうなのか・文化の関連した諸場面でどんな形で発現するのかまでは、よく分かりませんし、防衛機制というバッファ機能すら含むホモ・サピエンスであればこそ、スタディを組むのも簡単ではないことでしょうけれど。
 
 そうそう、当人がどれだけ苦しいと感じるかどうかはバトンリレーされる遺伝子の立場からみれば瑣末な問題でしかないわけで、当人を多少苦痛や葛藤で鞭打ってでも繁殖と生存に頑張って貰わなければその遺伝子はお家断絶なので、“遺伝子を残せる期待値の高低”は、当人の苦痛の高低よりも優先されることでしょうねぇ。遺伝子の立場からみると*4、性淘汰や自然淘汰に不利になる状況になった個体をノホホンとさせておくなんてとんでもないわけで、個体を繁殖の方向へと動機づける導く飴と鞭(報酬と苦痛)がきちんとしている遺伝子のほうが、そうでない遺伝子よりは淘汰の荒波を生き残りそうです。「繁殖と生存の為なら、個体を苦痛と緊張で幾らでも鞭打つ遺伝子さま!」とか言うとドーキンスさんに怒られてしまいそうですが。
 
 で、日本の若い人達の状況を観察してみると。遺伝子さまがしつらえた実装機能によって、「承認されとらんじゃないかボケがー!」「どこにも所属できてないじゃないかボケがー!」「皆から侮蔑されているじゃないかボケがー!」と苦痛や不安の鞭を与えられてのた打ち回る可哀相な人間が増えているようにみえます。緊張と苦痛の鞭でピシピシと鞭打たれる僕達!しかし、鞭で動機付けられてはいても、ニンジンは遥か彼方という場合が少なくなかったり。この喩えで言うなら、非モテ界隈・非コミュ界隈などは“遺伝子さまの獄卒と鞭打たれる囚人の監獄”、の最たるものということができそうです。まぁその代わり、「メシが喰えていないじゃないかボケがー!」「安心して寝る場所が無いじゃないかボケがー!」という類の苦痛や不安の鞭を与えられる人は減っているようなので、悪いことばかりでもないかもしれませんけれども。
 

*1:「欲望」、というもうすこし込み入った別の単語に該当するものは、除外しておいてください

*2:例えば霊長類など

*3:個人的には、進化理論という言葉よりも性淘汰と自然淘汰に関する理論、のほうがしっくりくるように感じます

*4:この物言いについての注意点については、ドーキンス『利己的な遺伝子』を参照ということで。