シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

「あなた、たくさん私に言及しましたね!」

 
 id:a_mutterさんは、どうやら私に強い執着をお持ちのようだ----。そんな風に意識するきっかけとなったのは、先日、承認欲求について書いたエントリに対してa_mutterさんがつけて以下のようなブックマークコメントでした。

# 2007年12月15日 a-mutter もしこのエントリーに対して、被言及者が「違います」と言ったらセンセイは「言及したことそれ自体が、私の考察の正当性を何よりも証明している」とか切り返す気がした。このロジックをぶち壊すのが私の目標。

http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20071213/p1

 ぶち壊す、などという烈しいレトリックにゾクゾク来てしまった私は、a_mutterさんの意見を伺いたいと思い、「そんな遠いところでぶつぶつ言ってないで、うちにトラックバック飛ばしてきてくださいよ」とお願いしてみたわけです。すると、沈黙は肯定、言及も肯定、ならば私は何を語ればいいのか? - つぶやきば@はてなブログ(跡地)というお返事をトラックバックしてくださいました。ありがとうございます。
 
 で、「沈黙は肯定、言及も肯定、ならば私は何を語ればいいのか?」を一読してみましたが、id:a_mutterさんは、何か勘違いしていらっしゃるようにみえました。私は、特定の人物が特定の対象(または文章)に言及してさえいれば、それでコンプレックスや執着の証明書になる、などと思っているわけではありません。例えば、はてなブックマーク - 承認欲求って、そんなに悪者なのかなぁ?? - シロクマの屑籠(汎適所属) には沢山のブックマーカーから肯定・否定含めて様々なコメントが寄せられてますが、これだけを一読し、彼ら一人一人が[承認欲求]やid:p_shirokumaに対してどれぐらいの執着を持っているのかを読み取るのは困難と感じます。仮に私が「言及しましたね!執着強いですね!」とあのブックマーカー達に言い放ったとしても、それだけで意味のある反射波が得られるとは考えにくいです。
 
 尤も、特定の対象を指し示したわけでもなく「言及しましたね!」と(誰に向かってでもなく)私が虚空に向かって呟いてみただけで、わざわざ「クリリンのことかーっ!」と明後日の方向から反応する人がいると、あらあら頑張り屋さんですね、と思うことはありますけどね。
 
 
 それよりも着眼したいのは、「何に対して、どんな風に、どれぐらい」言及しているのか、ではないかと思います。同じ人物なり同じ話題に対して、繰り返し繰り返し言及している人・相手が反応しようがしまいが言及を続けている人・烈しいレトリックで攻撃したり熱烈なレトリックで熱狂したりしている人、といった人達です。言及内容のベクトルの向きはこの際さておき、言及のスカラー量を測定して言及者の執着のスカラー量を推定することは出来るのではないでしょうか。どうです?この方法なら、少しは色々とみえてくるんじゃないでしょうかね?
 
 例えば、a_mutterさんの、私に対する執着について、測定してみましょう。a-mutterのはてなブックマークをご覧ください。a_mutterさんはこれまでに161個のブックマークをなさっているわけですが、そのうちなんと約10%の16個が私宛てのブックマークなのです。これは勿論光栄の至りなわけですが、これだけのパーセンテージのブックマークを私につけて、しかも、随分と熱気を帯びた(しかもある種の熱気を帯びた)コメントが並んでいるじゃないですか。どんな執着がこの熱気のうちに含まれているのかはさておき、a_mutterさんの執着が、私宛てにこれほどまでにデリバリーされているのを陳列すると、言いたくなってしまいます。「a_mutterさん、あなた、たくさん私に言及しましたね!」「いっぱいテキストを連ねて言及しましたね!」と。強い執着を、これらの総体から私は感じ取らずにはいられないのですが。
 
 勿論、こういった指摘をされたからと言って、a_mutterさんが「実は、執着してるんですよ」と言い切ってしまえばさして問題無いことでしょう。そのような申し出は心から歓迎します。しかし、隠せばおかしな事になってきそうです(ツンデレのまねごと?)。10%ものブックマークを私宛てに----しかも凝ったコメントまでつけて下さったあなたは、実は、私のことが気になって気になって仕方が無いのでしょう。私は、少ない数のブックマークをみてもそれほど執着が強いとは思いませんし、コメントが少ない(または無い)ブックマークをみても、あんまり気にしない。しかし、これほどの内容のブックマークを、これだけの数揃えられると、「a_mutterさんはp_shirokumaに執着しまくってるなぁ」と思わずにはいられません。*1。強いエネルギーと強い指向性を私は感じ取りました。
 
 一つや二つ言及したかどうかだけでコンプレックスや執着を評価出来るわけがないですし、まさか私が(職業的に)そのような特権を持っているわけでもありません。しかし、どんな言及がどんな数だけ展開されたのかをプロットしてみると、なにやら形が浮かび上がってきませんか?一つ一つの言及を横断的にみるだけじゃ分からないことも、言及履歴を縦断的に眺めていると色々なことが分かってくることは多いのではないでしょうか。また同時に、寄せられたコメント内容を並べて読んでみることも参考になると思います。今回は、a_mutterさんの私へのブクマコメントを例として挙げましたが、他にも色々な応用方法と観察対象があるのではないかと思います。
 
 ちなみに、

反論を全て「言及したな!」「こんなテキストに怒り狂うから駄目なんだよ」といった感じでメタ化、もしくはレベルの低い相手としてあしらうことも可能です。

 これは悪手だと思います。
 
 こんな手法を用いたところで、私自身の執着の在処を提示するだけのことですし、反論の全てを「レベルの低い相手」としてあしらうなんて、それこそ自分は自意識過剰の間抜け野郎ですと宣言しているようなものです*2。価値のある反論を拾う作業は滋味豊かなものです。反論だからレベルが低いという脊髄反射ではなく、否定であれ肯定でれ駄目なものは駄目だし、面白いものは面白いものとして取り扱うのが適当だと私は思います。「強い執着と拘りを含む」けれども優れた文章はやはり優れているでしょうし、執着の薄い文章であっても駄目なものは駄目だとも思います。反論なのか肯定なのかや、執着が強いか弱いかといったものは、議論なりプロダクツなりの優劣とは別個の命題でしょう。周辺情報として活用することはありますが、執着の強弱でもって議論の可否なりエントリの価値なりが決まってくるとは私は思いません。「このエントリには強い執着が含まれていますね」と指摘することと、「このエントリは駄目ですね」と指摘することは必ずしもイコールの命題ではないのですが、これを(頼んでもいないのに)イコールで結びつけたがる人達がいて、私は不思議でなりません。執着が含まれていると指摘されただけで、駄目出しされたんじゃないかと脊髄反射する人がインターネットには結構いるようで、それはそれで興味をそそる現象だなとは思っています。
 

[参考]:あなた、言及しましたね。 - シロクマの屑籠
[参考]:「言及しましたが、何か。」 - シロクマの屑籠
[参考]:言及スカラー測定法に基づく機銃掃射 - シロクマの屑籠
 
 

今回はa_mutterさんのブクマコメントにメロメロになっちゃいました

 
 なお、念のため申し添えておきますが、私はa_mutterさんのブクマコメントにすっかり執心してしまって、萌え萌えになってしまったので、この長々しいお返事を書くに至った次第です。私なりの、「好きなものを好きと言えるインターネットライフ」の一環として捉えて頂ければ幸いです。
 

*1:そういう手法も含め、ブロガーの執着を嗅ぎ分けていく作業が私のささやかな楽しみの一つであることは、ここで認めておきましょう。勿論、うちのブログの読者の皆さんには、私自身の執着を幾らでも嗅ぎ取ってプギャーする権利があります。それはお互い様というものですから、ご随意。まぁ私は隠さず「好きなものは好き」と言ってしまうタイプですので、執着がだだ漏れですが。

*2:もしかして、私がそのような間抜け野郎にみえたのかもしれませんね。