シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

優越感ゲームに動員されるiPodと音楽

 
 iPodやウォークマンは、いつでもどこでも音楽を聴くことができるアイテムとして流通した。これらの商品さえ用いれば、「周りの人に気づかれずに」こっそりと自分だけの音楽空間を作り上げることができる(当たり前なんだけど)。この、独り音楽空間を用いれば、周りの人達に抑圧されている*1状況に際して、自らのメンタリティを抑圧から切り離して優越感ゲームに耽ることができる。
 
 このアイデアを再確認する機会を与えてくださったのは、隣の席に座るひとびと - 古田ラジオの日記「Welcome To Madchester」という記事だった。[妄想]というタグが張ってあるので、実話ではないのかもしれないが、非常にリアリティのある物語だ。自分の能力や価値観が評価されることのない状況で汲々としている人も、iPodさえ用いれば「お前らには俺のこういう音楽を理解することができないんだろうな」と優越感に浸りながら自分の世界に没頭できる、というわけだ。自分自身が評価されない状況、自分自身の文化的バックボーンに理解を示してもらえない状況において、iPodは密やかな優越の世界を脳内に作り出すツールとして用いることができる。勿論、そんなことをしなければならない必要性があれば、の話だが。
 
 さあ、iPodで音楽を鳴らそう。周りの、あなたが「くだらない連中」と思いたい奴らが到底聴きそうにない音楽ならこの際なんでもいい。クラシックでも、海の向こうの何某の音楽でも、いっそエロゲーのサントラでもかまわない。とにかく、「連中にはこのよさが理解できない」と思い込めそうな音楽を一人で聴いて悦に入るのだ。「俺にはわかっちゃってるけど、このかわいそうな人たちはJ-POPなんか聴いちゃってるんだよねププ」みたいな見下しの心が芽生えてくれば出来上がりである。優越感ゲーム、おめでとうございます。日常生活の劣等感はiPodを用いた優越感ゲームにおいてブロックされ、あなたの心的ホメオスタシスは防衛されることでしょう。そのうちiPodにメッセージが表示される日が来るかもしれませんね、ウイルス対策ソフトみたく、「このiPodは○○日の間に85476件の劣等感をブロックしました」みたいな。もちろん冗談ですけど。
 
 

文化的細分化を利用した優越感ゲーム

 
 コミュニケーション空間(学校や職場など)において多くの人から侮蔑されていたり、侮蔑はされていないまでも自分の劣等感がうずくような人達にとって、「自分は知っているけれども周りの人達は知らないような文化的ニッチ」はすべて優越感ゲームに供され得るし、また実際そう使われている。俺は哲学してるけどあいつらは分かっていない、俺はクラブミュージック聴いてるけどあいつらはJ-POP聴いてる、俺は○○の服はガチだと思ってるけど、あいつらは丸井の服だ、などなどである。正味、自分が知っていて周りが知らないものでさえあれば、エロゲーのテーマソングだろうが何だろうがかまわないし、また逆に回りが知らないものでさえあれば、自分がよく分かってないけれども崇拝できるようなものであったってかまわないのだ。例を挙げてみよう。
 

  • 「鳥の詩*2」を聴きながら、その歌を知らない人達をかわいそうだと思うメンタリティ。
  • 自分でも理解しきれていないような哲学書を、一人ぼっちの休み時間、机の上に広げて読んでいるそぶりをみせるメンタリティ。だけど実際に理解できているかどうかが重要なのではなく、自分だけが「高尚な書物」に取り組んでいるというのが重要。

 
 これらの状況においては、周りが理解できていないし関心も持っていないがゆえに、本人の優越感ゲームが妨げられるということは無い。iPodは一人しか聞くことができないし、難しくて面白くなさそうな本に関心を示す人もめったにいない。この、文化的断絶性の壁を利用して、壁の内側で「あいつらわかってねぇなぁ」と左団扇で優越感、というわけである。誰もが知っているコンテンツでは、こういうわけにはいかない。しかし、十分にマイナーなor/and十分に細分化されたサブカルチャーであれば、このような独り優越感ゲーム(と、眼前のコミュニケーション対象に対する拭い難い劣等感の防衛)を容易く実行することができる。しかも、難しい技芸とは異なり、別に哲学書を読み込む必要も、音楽を「理解」する必要も本当は無いのだ----本当に切実なのは、技芸や知識の習熟の度合いではなく、「哲学書と向き合う俺カコイイ」「音楽を理解している俺カコイイ」という気分の問題なのだから----。こうした独り優越感ゲームを達成するツールとして、iPodは優秀である*3。「俺はわかっているけど、あいつらは分かっていない。わかっている俺はすばらしいが、わかっていないあいつらはセンスがない。本当はこの俺がほめてもらえなきゃおかしいのだ!」というわけだ。 日常生活では平身低頭の人であっても、ヘッドホンの中身は分からない。日常の劣等感を防衛する為の、のぼせあがった優越感が挟まっているかもしれない。
 
 だがこうした手ごろな優越感ゲームも、テクノロジーと文化爛熟のお蔭様であることを思い出し、せいぜい感謝しておくのが適当だろう。誰もが同じ音楽を聴いていた時代・音楽や文化の選択肢がまだまだ少なかった時代にはこんな真似は難しかったし、iPodのようなツールがなければ職場や学校で独り優越感ゲームに耽るのも難しくなってしまうことだろう。21世紀のテクノロジーと文化の恩恵を存分に受けて、僕達は独り優越感ゲームに耽溺することを許容され、また実際そうしている。他人を見下して自分を偉いと思い込みたいメンタリティ*4を防衛するには、良い時代になったというべきなのでしょう。
 

*1:または抑圧されていると自分が思い込んでいる

*2:Airというエロゲー・アニメの挿入歌。同分野では高い完成度を評価されているが、それが他の音楽ジャンルの作品群と比べて「国歌」と呼ばれるほど抜きん出た作品かというと、多分そうではないだろう

*3:あのappleという会社が、「iPodは優越感ゲームに最適な商品である」ということに気づいていないと私には到底思えない。取り扱い説明書に「優越感ゲームの進め方」を載せておいたっていいぐらいじゃないか、とさえ思うことがある

*4:そのようなメンタリティの持ち主の為に一応付け加えると、「他人を見下して自分を偉く思い込みたい」という人達は、逆に言えばそう思い込まなければ自分の抱えている劣等感に追いつかれて心がぺしゃんこになってしまって生きた心地がしないから、そうせずにはいられないのだ、という差し迫った要請があってそうしているのだ、という理解はあっても良いと思います。