シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

恋せよ三年生

 
 明日から10月、中学や高校に通っている人は冬服に衣替えですね。これから体育祭、文化祭、そして進学校の人は受験勉強と、行事が目白押しです。高校生活という、限りある体験の最後を、どのように過ごされるのでしょうか。
 
 ここでふと思うのは、「中学/高校三年生の夏休み以降って、恋愛に奥手な男の子が戦ってみるには結構いい季節なんじゃないの?」ということです。いや、勉強とか何とか色々忙しいことがはるのは分かってますし、男子校じゃどうにもならないんですが、共学の中学/高校で、極端に荒れているわけではない学校であれば、奥手な男の子が恋愛に、女の子にアプローチしてみるには意外と良い時期のようにも思えます。
 
 まず、接点となり得る行事があるという事がささやかなメリットを与えてくれます。既に部活動は終わっている筈で、部活動の中で恋愛がどうこうというのは考えなくて良い筈(それでくっついてる人は既にくっついているんだし)。そのうえで、幾つかの行事が、それも高校生活最後の行事があるというのは何らかの接点を持つには良い機会です。「接点なんていつでもあるよ」という貴方はリア充です、本当にありがとうございました。しかし奥手な男の子の皆さんにおいては、女の子との接点はおろか、「俺ってこういう人です」という認識すらされていない事が多いのではないでしょうか。いきなり手を繋いで文化祭を回れとか、そんな無茶苦茶は不可能にせよ、準備とか片付けとかも含めて、色々なきっかけなりコミュニケーションの機会なりというものは(普段よりは)ある筈です。イベントの共同作業などを橋頭堡として、恋愛とまではいかなくても相互交流が芽生えてくればとてもいい感じです。
 
 そして奥手な男の子の皆さん、特に「自分が拒絶されるのが怖いから女の子を好きになれない」という極めて奥手な男の子の皆さんにとりわけお勧めポイントは、「良くも悪くも卒業が迫っているから、もしこっぴどい振られ方をしたとしても、リセットは間近にある」という事です。
 
 そりゃ勿論、相手とのまともなコミュニケーションなり接点づくりなりもしないままに、突然「あなたが好きです。付き合ってください」などと言おうものなら女の子も当惑してしまいますし、たちまち疎遠にされるに違いありません。そんな馬鹿者はともかくとしても、コミュニケーションというのは普通、初回からいきなり旨くいくものではありませんから、どこかで振られる可能性もそれなりに高いでしょうし、あまりにもお粗末で自己中心的なアプローチの場合には嫌悪の対象になってしまうこともあり得るでしょう。まして女の子と喋る機会が少なく、女の子の都合や考え方についてのノウハウも乏しい人となれば尚更です。
 
 しかし、振られてしまっても時間切れのベルが守ってくれます。振られたりしても、残った在学期間はあと数ヶ月。一年生の一学期に「あの人はキモオタです。近寄らないでください」とレッテル貼りされるような事態に比べれば期間はずっと短くて済みます。それに、振られたら振られたで、その余剰エネルギーを受験勉強に振り分けるという手もあります。とにかく、振られたことによって校内のコミュニケーションシーン・適応シーンでダメージを被る被害を最小化出来る、というのはヘタレ奥手な男の子が勇気をもって一歩踏み出すうえで無視出来ないメリットではないでしょうか。
 
 どのみち、進学する学校が偶々一緒でない限りは、その女の子と過ごせる時間は限られたものになってしまうことでしょう。最上の男女交際が始まったとしてさえ、それを継続することは極めて困難で、大抵の場合は無理だと思います。しかし、だからと言って、奥手な男の子自身にとっては意味のある経験にはなる筈ですし、女の子の側にとっても、それは同じの筈です。いや、別に男女交際というレベルまでいかなくとも、文化祭の打ち上げで皆と一緒に女の子達と楽しく喋ったとか、クラスの中で受験情報を交換する仲になった、ぐらいのものでもいっこうに構わない。それら全てが経験と、思い出になるわけじゃないですか。奥手な男の子には常に不足しがちな、女の子との接点・ノウハウ・思い出といったものを体験する、そのチャンスを獲得するということは、極単純に、喜ばしいことだと私は思います。振られた振られない、期間が長い短い、熱愛だったか友達ぐらいだったか、そんなの関係無いと思います。何も接点の無い、何もコミュニケーションの無いよりは、ずっといい。
 
 ここでよくある反論は、「振られたら(或いは何らかの形で拒絶されたら)負の体験として思い出が残るじゃないか」というものです。しかし本当にそうなのでしょうか。確かに、振られるという体験は、今の自分自身が受け入れられない、という体験で、身を切られるような辛さを伴うものです。ですが、振られるまでのプロセスのなかで積み上げた体験までも無意味でしょうか。また、振られた要因について考え直し、次の恋愛の時にアレンジしたり教訓にしたりする余地があるとしても無意味でしょうか。なるほど、振られて傷ついた自分の傷口を舐める事しか眼中に無い人にとっては、失恋というのは無意味で辛いだけのものかもしれません。しかし、本当に失恋がもたらすものは傷口だけなのでしょうか。私は違うと思います。失恋から教わることは決して少なくないと思うし、何もしないまま卒業してしまうよりは、当人にとって遙かに多くの体験と可能性を残すものだと思います。ダメージの面に関しては、幸い、中学/高校三年生であれば、校内生活で失恋を引きずる期間少なくて済みますし、最悪、受験勉強に没頭してしまえば何とかなります。しかし、メリットの面に関しては、失恋だろうが何だろうが、実際にコミュニケートしてみなければ決して得られることはありません。
 
 一番もったいないのは、中学/高校二年生ぐらいから実は好きなクラスメートがいたりするけれども、うじうじしたまま、卒業まで何もせぬまま、ため息の卒業式を迎える、これでしょう。恋愛はおろか、友達になることも、コミュニケーションの機会を持つこともなく、失恋すら出来ぬまま通り過ぎていく片思い。片思いは片思いで思い出にはなりますが、少なくともそれは実際の女の子と対峙する為の体験を与えてくれるものではありません。むしろ、自分の想像力の内側で女の子を勝手に理想化して消費するような、自己完結的な営みでしかなく、物言わぬ美少女キャラクターに「萌える」のと大差の無い行動だと思います。少なくとも、それは男女間のコミュニケーションではないし、奥手な男の子の思春期に成長と経験を与えてくれるものではありません*1。将来、他の誰かの事を好きになった時に、多少なりともコミュニケーションのノウハウを詰んでいる人と、ひたすら片思いという想像力のなかで女の子に萌えていた人、どちらが経験を生かすことが出来るでしょうか。前者ですよね?失恋も、友達止まりも含めて、私は、若い人は、やはり「がんばってみる」のが良いのではないかと思います。そして、振られるという事態に対して中学/高校三年生という季節は、最良の保険を与えてくれます。この季節であれば、奥手の男の子でも立ち上がることが出来るのではないでしょうか。少しでも多くの思い出を、卒業までに体験できることをお祈りしています。
 

*1:しかも、自分は思いを伝えることすら出来なかった、というヘタレな記憶すら残りかねません。記憶云々を問題にするなら、こちらにも触れておく必要があるでしょう