シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

「他人に読まれる為の文章」以外に対する反応を僕は想定しきれていなかった。

 
 最近どうも、僕自身が言いたいこととか言いたい相手とか、そういうのを度外視して、僕に何かを投影して、勝手に回収していく人があるようだ。僕はヒールとしてではあるが、「萌え」の対象になっているんだろうか。僕を媒体として、僕に何かを投げかけて、僕の虚像を回収して何らかの納得なり“理解”なりを回収するという営為というか。どちらにしても、自分の意図とは全く異なる反応を投げかけられるってのは結構驚くものだし、反応の主旨を咀嚼するのに時間がかかるんだなということも以下の指摘から教えられた。
 

2007年09月21日 D_Amon D_Amon コミュニケーション 相手は自分が皮肉られていることを把握しつつ、届いていないふりをしているのかもしれませんよ。安いなあ、なんて思いつつ。

http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20070921/p2

 
 最初、この言及は一体何だろうと暫く考え、その意味を了解した。つまりD_Amonさんは、僕が読者を皮肉っていると思ったわけなのだろうと推定する。もしかすると、同じ日に書いた記事に対する反応への皮肉ととったのかもしれない。しかし、この呟きは、同じ日の他記事と同じく、殆ど同時にアップロードしたものであって、同じ日に書いた記事に対する反応への皮肉では無い。僕のブログを決して読んでいないであろう、XXXXという集団に関連した呟きであって、読者に対する皮肉を意図していなかったので、読解にはいくらかの時間を必要とした。
 
 僕は昔から、自分のブログなりウェブサイトなりを「他人に読まれる為の文章」としてだけ使っているわけではなく、日々の雑感や呟きも(数年後の自分が読んで回想する為に)結構書き残していたりする。今回もどちらかといえばその類だったわけだが、しかし、日頃の僕の行いが悪かったせいか、それともD_Amonさんの想像力が豊かすぎるのが災いしたのか、思わぬ化学反応を呈したみたいだ。それだけ自分のブログが「他人に読まれる為の文章」として成立している、期待されている、執着されているというのなら、それは半分嬉しいことだし、半分は悲しいことでもある。政治的ジェスチャーとしては前者を選ぶのが利口なのかもしれないが、(何度も何度も前から言っている通り)このブログもウェブサイトも、「他人に読まれる為の文章」である以前に、第一に「自分が将来読む為の文章」「自分の思考の断片を書き残しておく付箋」「作業用デスクトップ」でありたいと思っている*1。しかし、たといプライベートな付箋・呟きであっても、読む人がいれば、そこに何らかの反応が起こるというのは了解可能な出来事だし、そのなかには僕が予想だにしなかった反応と読解が含まれている、ということは確かに想定しておかなければならないだろう。その点において、D_Amonさんの反応に当惑した僕は、迂闊というか想定不足だった、とは思う*2。「他人に読まれる為の文章」なエントリだけでなく、「付箋エントリ」「将来の自分宛てのエントリ」の類にも今後様々な反応があるかもしれないことを、改めて認識させられる出来事だった。
 
 確かに、「手紙は、他の場所に配達された挙げ句に逆さまに読まれることだってあるんだよな」。
 
 なお、こういうことがあるからといって、自分のブログを「他人に読まれる為の文章」onlyにするとか、その比率をさらに高める、ということをするつもりは無い。シロクマの屑籠は、第一義としてp_shirokumaのなかの人の利得に供するものでなければならず、ブックマークやアクセス数といったものを頂くというだけではなく、備忘録・付箋・タイムカプセル・ぼやきや嘆きの空間etcの機能をも担うマルチロールファイターでなければならない。そのようなマルチロールをブログに期待するということは、もちろん読者要撃特化ブログに比べて読者を楽しませる・議論するうえで色々と困った問題を起こしやすいかもしれないけれど、それでもいい。ここはシロクマの屑籠だ。自分は、自分の屑籠として、このブログを最大限に使っていきたいな、と思ってます。
 

*1:逆に言えば、もしも「他人に読まれる為の文章」としてブログを組むのなら、自分はこんな風にはしない。fromdusktildawnさんの所や、sirouto2さんの所に近い格好で運営すると思う。

*2:他人に見える場所に置くという時点で、それは他人に読まれることを前提とした加工がなされる、という指摘は間違っていないが、他人にみられることを目的とするレベルには勿論大きなグラデーションがある。