シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

対話しながらこっそり相手の外堀を埋める計

 
 北極戦術。表面的には誠実に議論を試みつつも、それが上手くいかないことを前提として最も効果的に相手に墓穴を掘ってもらう、または外堀を埋めさせていただく計。
 
 自らの主張と対象の主張との食い違いについて言及し、見解の相違を明らかにしたり、すり合わせられるべき誤解を説いていく作業は、建設的な対話においては必要なプロセスといえるだろう。しかし、やっていくうちに、どうやらすり合せようにもどうにもならなかったり、見解の相違を対話対象が許容してくれないと分かってきた場合には、ちょっと戦術が変ってくる。
 
 その場合、誠実な議論はむしろ陽動になる。議論を精一杯遂行しつつも、相手が議論可能な相手ではないことを例証するような、第三者からみて、相手の討論能力や見解相違許容能力の限界ががはっきりとみえるようにこっそりと誘導をかける。だからと言って議論には一切手を抜いてはいけない....そんなことをすれば今度はこちらが第三者からみて「不誠実」の烙印を押されかねない。
 
 議論、対話、なるものは基本的にはお互いの見解の相違と相似を確かめ合う作業だと私は考えている(別に、合意、なるものに至る必要は必ずしも無いだろう)。しかし、世の中にはこのようなニュアンスにおける議論が出来ない相手や、そもそも互いの見解の相違と相似を確かめることを目的とはしていない人も沢山いる。合意なき議論や対話などありえない、という極端な発想を持っている人や、勝った負けたというモノサシを持ち出してくる人もあるようだ。互いの見解の相違と相似に留保できず、自分と同じ考えでなければ気が済まない人*1や、こちらの政治的(またはコミュニケーション的)効果範囲を狭めることを端から狙って、議論のふりをしながら罠にはめようと打って来る人もいるわけだ。こうした相手に対しては、実際に真面目に議論をしているだけでは得るところは無い。また相手の思惑に乗る義理も無い。
 
 ということで、自分サイドの議論可能可能性を明示しながら、相手の言及能力・説得力を漸減するような策に出ることになる。即ち、「この人は、議論するふりをしてるけど、自分と同じ考えではない人を許容できない人なんですよー」とか「考える力よりも、不安に振り回される度合いのほうが上回っている人なんですよー」ということが第三者からみてよく分かるように振舞うのだ。この方法ならば、別に相手と議論が成立する必要もなければ、相手を「言い負かす」必要もない*2。ただ、相手の説得力が漸減するように振舞えばいい。このような文脈をこっそり創りあげたうえで、相手が思惑通りの頑なさを示してくれれば、第三者からみてこちらと相手との違いが段々みえてくるだろうし、それを第三者が「参考」にしてくれれば作戦は成功である。自分以外に対しても同じことを繰り返しているなら、その人はいわゆる「アレな人」「話し合うのは無理な人」という立ち位置に甘んじることになっていく。
 
 なお、既に議論の成立しなさそうな相手という下馬評が十分に出来上がっている場合には、端からスルーしてしまう、というのも良い手である。相手にするだけ無駄で、なおかつ対話可能性の低い相手ならば、わざわざ相手にするまでもない。構うだけ時間が損である。とりわけ、対話対象を幾らでも選ぶことの出来るネットコミュニティにおいて、コストとリスクばかり大きく、対話から益するところの無い相手に拘泥することには殆ど何の意味も無い。そのコストとリスクを支払うぐらいなら、もっとマシな相手と意見交換したほうが遥かに有益だからだ。対話可能性について「この人はアウト」という下馬評が十分に出来上がっている人の場合は、今回書いたような戦術を用いるまでもなく、放置しておいて差し支えないものと思われる。
 

*1:そのなかには、自分と同じ考えでないものが現前することに対する不安が強すぎる人も含まれているだろう

*2:言い負かす、という事に拘泥するのは議論において下策中の下策である!