シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

22歳の自画像

 
 書庫の整理をしていたら、整形外科の教科書の間から一枚の写真が出てきた。22歳の頃に大学病院で撮った写真である。今の私から比べれば若々しい、しかしくたびれたポロシャツを身につけた“彼”は、いかにも無邪気な顔でカメラに向かって微笑んでいた。
 
 無邪気な、という表現を私は用いた。しかしそれは適切ではないかもしれない。確かに“彼”の顔からは、現在の私が帯びているある種の邪悪さを感じ取ることは出来ない。一方で、22歳の“彼”の表情には、どこかピンぼけしたような、何を表出しているのか分からないような、曖昧さが漂っていた。
 
 22歳という歳を考えれば、顔面表情筋の発達は望むべくもないだろう。そういった顔の年輪は、最低でももう数年は待たなければ浮かんで来まい。しかし学生時代の自分がどんな表情を表出していたのか・カメラに対してや他人に対して表情レベルでメッセージを伝達する術を身につけていたのかを思い出すと、22歳の私が浮かべている表情の分からなさ加減・曖昧さ加減の理由がわからなくもない。
 
 そう。当時の私は、コミュニケーションに際して、表情の表出、というチャンネルを取り扱うことができていなかったのだ。少なくとも、それに対して意図的な制御を加えよう、という発想自体が希薄であったのは間違いない。表情の表出だけではない。身振り手振りや声のトーンの高低など、言語以外のチャンネルを駆使してコミュニケーションを補佐する能力も、ノウハウも、発想も当時の自分には存在しなかった。そしてコミュニケーションのデバイスとして言語そのものに頼る度合いがあまりにも大きかった。
 
 言語に頼ったコミュニケーション!(笑)
 
 そんな事では相互間の誤解も多くなるだろうに、そんな事では女の子との情動チャンネルのチューニングも厳しいだろうに、当時の私には、それが無かったわけだ。そして当時の私は、(今のはてな界隈の言葉を借りるならば)非モテ的な、非コミュ的な、自分自身に苦悩しながらも、コミュニケーションの難しさに悶えていたわけである*1。バーバルなレベルだけでは上手くいく筈のないものを、上手くいかないのは何故だと悩んでいた自分が懐かしい。
 
 あれから十年前後の年月が流れた。22歳の写真を眺める私は既に三十路を過ぎ、あの頃の無垢さを失ってしまった。表情も声のトーンも身振りも、全てがコミュニケーションのチャンネルであることを骨身に染みて叩き込まれた今の私は、あの頃よりは随分マシなコミュニケーションが可能になったと思う。ただ、鏡に映る今の自分の意図的な表情表出と、22歳の写真に映った無邪気だけど曖昧な表情を見比べる時、自分は何を獲得して、何を失ったのかについて、ついつい考えてしまわずにはいられない。
 
 自分が獲得したものは限りなく貴重には思うし、自分が所謂脱オタを通して非モテだの非コミュだのを脱出すべく足掻いた日々を後悔はしていない。ただ、22歳の写真を見やる時、「今の表情が意図的なものなのか内側から沸いてきたものなのかが区別がつかないほど技術に溺れた」自分が呪わしく思えることもある。じゃあ22歳の時の私に戻れるかというとそれは不可能だし、仮に戻れたとしても、そこには自意識にのたうつ非モテ・非コミュが一人誕生するだけだ。あの、他者を照準できない曖昧な表情を浮かべた自分に帰りたいかといわれると、やっぱり帰りたくない。非言語コミュニケーションの手段も無い世界にもう一度放り投げられ、自分の情報発信(受信)チャンネルを一から再学習する艱難辛苦は、一回きりで御免蒙りたい。22歳の頃の私は、まだその事に気づいていない。気づいていないからこそ、曖昧な表情をカメラの前で浮かべている。浮かべていられる。
 
 今日は、随分とまとまりのない事を書いた。
 かつての無邪気だが曖昧な表情を浮かべていた20代の自分のことは生涯忘れることは無いし、それが自分の思春期(オタとしての思春期でもある)であった刻印は私のメンタリティのそこここに蓄積して、永遠に消えることは無い。写真は、大切にとっておこうと思う。かつて非モテだった、かつて言語に頼りすぎた、いびつなコミュニケーションをとっていた自分のことを時々思い返すにはちょうど良さげだ。
 

*1:そして無論、私は自分の背中に侮蔑されるオタクとしての十字架が背負われていることを意識していた