シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

自分のオタク/サブカル文化圏がsuperiorでなければ困る人達

 
 昨今のアニメ論議などをみていて再認識したこと。
 
 それは、アニメやアクションゲームといった、いわゆるオタク文化圏であれ、洋楽や日本映画といったその他のサブカル文化圏であれ、自分が所属する文化圏のコンテンツがsuperiorでなければ困ってしまう、または不安を拭えない人達がどうやらいるようだ、ということである。
 
 例えばオタクの場合。
 自分が摂取しているアニメコンテンツなりゲームコンテンツなりに対して、「優れている」「時代を先読みしている」「奥深い味わいがある」といった要件を満たしていることを強く願望するオタクがいるようなのである。例えばアニオタでこの一群に該当する人の場合、自分のチョイスするアニメ作品ばかりでなく、アニメ界隈全体が、またはアニメ界隈の人気コンテンツまでもが、「優れている」「時代を先読みしている」「奥深い味わいがある」べきと考えたり、そうでないアニオタ界隈を嘆いてみせたりする。…いや、そんなにsuperiorなアニメがお好きだというのなら、ご自慢の嗅覚でコンテンツを適切に嗅ぎ分けて、優れたものだけピックアップして一人で楽しんだり、superiorな作品を周りに紹介してくれればいいじゃないか、と突っ込みたくなるが、どうやら目に付くアニメ全般がsuperiorでなければ彼らは苛々してしまうようだ。
 
 言うまでも無く、この手の人物はアニオタ界隈以外のサブカルチャーにも一定確率で見受けられるものである。特定のゲームハードに執心している人物が人気ソフト*1をくさしてみせたり、特定の音楽分野にのめり込んでいる人物が「あんなのが売れるなんて間違っている!」と喚いてみたりする光景を、あなたも御覧になったことがあるのではないだろうか。類似の傾向として、「はてなダイアリーのホッテントリが衆愚化している!もっとsuperiorなコンテンツが注目されるべきだ!」「知的であるべきblog界隈」といった物言いが、インターネット上で散見されるようだ。
 
 自分の所属する文化圏が、「優れている」「時代を先読みしている」「奥深い味わいがある」のは、確かにそうでないよりはいい事なのかもしれない。だが、全部が全部の人気コンテンツが、やたらめったら考えさせられる作品でも疲れそうだし、どの分野であれ、大衆ウケの良い作品もあれば敷居の高い作品もあるといった情勢のなか、所属文化圏の人気コンテンツの全てにsuperiority、それも「知的刺激」だの「知的優越」だのを求めるというのは、随分と執着の深い、強迫性の高い振る舞いだと言わざるを得ない。本当は自分の鑑識眼に自信が無いから、分野全体がsuperiorでないと不安になるのだろうか。それとも自分の愛好している文化圏に劣等コンプレックスでも抱いているから「superiorであることに過剰に拘ってしまう」のだろうか*2。…などなどと勘繰りたくなってしまう。
 
 「オタクとして、またはサブカル愛好家として優れたコンテンツを愛でる」、という事と「オタクとして、またはサブカル愛好家として所属文化圏全体が優れていなければ気が済まない」という事は大きく異なる態度だと思うし、本当にsuperiorなコンテンツを愛でる人は、別に、所属文化圏全体が優れていなければ気が済まないような強迫性とは無縁でいられる…私はそんな気がしてならない。
 
 どのオタク文化圏であれ、どのサブカル文化圏であれ、市場に出てくる作品は常に玉石混交で、様々なニードや消費者に合わせた作品のバリエーションやマーケティングが登場して然るべきである以上、衆目を集めるコンテンツがエリートの目からみて必ずしもsuperiorとは言えない状況というのは大いにありえる状況である。平板だが広い間口の作品が売れるということもあるだろうし、狭いニッチの人達に熱烈に愛好される代わりに“ある種閉じたコンテンツ”というのもあるだろう。濃淡や軽重も多様なコンテンツが、一つの文化圏のなかにたわわに実ってこそ、オタク/サブカル文化圏は豊かに、また裾野の広いものになりやすいような気がするのだが、それは気のせいなのかしら。本当に自分の文化圏全体に目が届く“superiorな愛好家”なら、人気コンテンツが必ずしもsuperiorとは限らないことや、またsuperiorであるべきとも限らないことを理解していそうなものだが…。
 
 「駄目だ駄目だ駄目だ、superiorじゃない、頭使わないコンテンツは俺の文化圏には不要!!」とかいちいち目くじらを立ててまわるという態度をとる人は、一体全体何を考えているのだろうか。何を苛立っているのだろうか。もしかして、それが自分のオタク/サブカル文化圏の発展に望ましい筈だという、遠大で利他的な信念でも抱いているのだろうか*3。自分のオタク/サブカル文化圏がsuperiorでなければ困る人達というのは、色々と興味深い人達である。
 

*1:それも、女の子に人気のソフトとか

*2:言い換えると、自分のアイデンティティや優越感の仮託対象として、個々のコンテンツよりも文化圏全体を必要として、それで心的ホメオスタシスの均衡を保たなければいられない人達、ということになるだろうか

*3:そしてそれが正しいという確信をも伴っているのだろうか