シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

マスに想像力を期待するkiya2014さん??

 
http://d.hatena.ne.jp/kiya2014/20070801#p2

「義家弘介」に投票した人間は、自分一人の行動が、諸外国から「一億総白痴」と思われ、結果として社会全体を悪くしてしまうことが、わからないのだろうか。だとすれば、完全に想像力の欠如である。想像力がなければ、「誰に投票したら、世界はこうなる」ということがわからない。子供と一緒だ。
 
想像力が欠如してしまっている人間が、参政権を持っているというのは、非常に恐ろしいことといえるだろう。

http://d.hatena.ne.jp/kiya2014/20070801#p2

 素ネタもろとも、とても好きな文章だ。この文章におけるid:kiya2014さんの、マスの想像力欠如に対する苛立ちに、どちらかというと僕は共感してしまう。
 
 kiya2014さんがこうしたマスの想像力欠如に苛立ちを感じるということは、裏を返せば未だkiya2014さんがマスの想像力というものに何らかの期待を抱いているということだろうし、『マスに想像力が備わっている状況』という理想のイメージを捨ててはいない、ということだと思う。参政権を持つ大人に一定の見識なり判断力なり想像力をkiya2014さんは期待していらっしゃるし、僕も多分期待してしまう。民主主義がじゅうぶんに機能する為には『マスに想像力が備わっている状況』が必要条件であろうことを思うにつけても、ちょっとした洗脳フック一つで釣られてしまう魚だらけの状況に眉をひそめ、「もっと考えて投票しようよ」といいたくなるのもわかる。
 
 でも、有史以来、マスというものに判断力や想像力が存在した類例ってあんまり無いような気がする。マスは、日常生活において(この文脈で言うところの)判断力や想像力を要請されない存在だったし、判断力や想像力を練磨することを強いられる存在でもなかった筈だ*1。もしもマスに判断力や想像力なるものが高頻度に備わっているというなら、あの産業とかあの娯楽とかは絶滅危惧種に近かっただろうけど、ご覧の通りの賑わいっぷりだし。日本においても日本以外においても、マスというものに判断力や想像力が存在することを示唆する所見はあまり見受けられないし、むしろ判断力や想像力が欠けていることを示唆する所見こそ多々見受けられるわけで、期待はきっと裏切られる、と考えるのが冷静なんでしょうね。
 
 マスに判断力なんて期待するな、貴族制だ!大人免許制度導入だ!と言いたくなるうちは、まだマスというものに失望しきっていないんでしょうね。こんな文章をわざわざkiya2014さんに送りつける自分も、マスというものに判断力や想像力を諦めきれない、そういう人間の一人なんでしょう*2
 
 ちなみに、「判断するマス」「想像力のあるマス」というデイドリームを捨てきれず、あれやこれやの願望・執着を投げかけてしまうことが不幸で愚かなことなのかどうかは、自分にはよくわかりません。マスというものに何らの期待を抱かず冷え切った目線で撫で回すことが幸福で利口なことなのかも、よくわかりません。例えば「まったくどうしておまえらはあんな奴に投票するんだ!」と唾を飛ばしている人は、どれぐらい馬鹿者なのでしょうか。
 

*1:勿論、義務教育なるものは判断力や想像力を練磨する場として機能することは無い。

*2:じゃあお前の判断力や想像力はどうなんだ?という問いに、まず僕は答えきれるのでしょうか?