シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

ネット界隈で、釣った釣られたがこれほど問題になる原因

 
 プライベートなブログ間・ウェブサイト間のコミュニケーションにおいては、釣った釣られた・馬鹿にされた・見下した等等がしばしばクローズアップされる。しかしそれらはまず双方の自意識の問題でしかなく、ブログ上で優越感をかき集めなければならない空虚なメンタリティや、ブログ上で釣られたと感じただけで自分の価値が乱高下するような脆いメンタリティを想像させる兆候だ、と解釈して観察することも出来る。釣られただけで実際に自分の価値が半減するわけもないと知る限りにおいては、「良くも悪くもここで釣られるような人間が俺だ!」と等身大の自分を納得すれば良いだけの話だが、少なからぬブロガーや2ちゃんねらーは、釣られる事をいたく嫌悪したり恥ずかしがる。なかには時間を無駄にしたことだけ悔やむ人もいるかもしれないが、少なくともはてな界隈あたりに関する限り、ただ時間を無駄にした以上の苛立ちを募らせ、釣られた自分に地団駄を踏んだり釣った相手に不愉快さを禁じえない人達も多いようだ。
 
 「罵倒」に対するある種のブロガーの過剰反応に関しても、似たようなケースが見受けられる。罵倒されれば自己評価が下がる、というのは事実の一側面には違いないが、本来「私にとって大切な理想と成りえる人からの罵倒」や「私にとって影響の大きな人物からの罵倒」、それも継続的な罵倒こそが自己評価に決定的打撃を与えがちであるにも関わらず、ある種のブロガーは、そうでない罵倒に対しても極めてナーバス*1。匿名人物からの罵倒や、ネット上で無名のうえに捨てハンかもしれないような人物からの罵倒、それもゴミ同然の厨房のような単回書き込みに対してまで過剰な反応を示す人達がいるのである。むろん、そのような過剰反応もまた、罵倒側の思惑や程度はさておいて被罵倒側の自意識に関する傾向を窺う材料とはなってくるわけだ。
 
 罵倒主が顕名で手強い相手でもない限り、単発の罵倒をくらったぐらいでは一人のブロガーやネットユーザーが政治的にも内面的にも自分の価値が乱高下するということは考えにくい。にも関わらず、罵倒に対して過剰反応をとる人達。己の自意識に僅かな痕も我慢ならないという所以は、余程(彼の)自己評価が低いからだろうか。難儀なことである。
 
 さらに、釣った釣られたや罵倒に関してではなく、ある種の好意的アドバイスや第三者からの中立的コメントに対してまで噛み付くような、もうどうしようもない人も存在する。彼らは、自らのエントリへのイエスマンに対しては果てしなく饒舌だが、異なる意見を含んだ好意的アドバイスや中立的なコメントに対してさえ、自分の意見と合致しないということで敵対視してみたり問題視してしまう。こういう事例はネット上では意外と見かけるものの、彼らのサイトやブログは殆どが短命なので長期的に観察することは難しい。しかし「イエスマン以外は皆敵」な人は確かに存在している。ほんの僅かでも、コミュニケーションのうちに自意識を侵す成分が混入していると耐えられない、という自意識問題の極北に位置する人達である。
 
 これらいずれの事例でも、釣った釣られた/罵倒された/を気にする人達は、要は、釣りや罵倒を受けたことによって、容易に自意識が呻き声をあげる人達、ということであり、この手の人が沢山いるネット界隈というのは、そういう事なのだろう*2。つまり、ブロガーや2ちゃんねらーのなかには、他人からの評価、それも瑣末に過ぎないような評価によって自意識が乱高下しやすい構造というものが広範に認められるのではないか、と私は指摘してみたい。そしてネット界隈と少なからぬ接続を持っているオタク界隈にもこの話は拡張できる、と踏んでいる。
 
 確かに、人間は他人とのコミュニケーションなり他人からの評価なりによって自己評価が絶えず変化する生き物、だとは思う。しかし、その変化というのは一度や二度の駄目出しで変化するよりは継続的な駄目出しで変化するものだろうし、厨房の書き込みなどよりも(恩師や親兄弟や親友などの)強い影響力を持った人の評価によって大きく変化しがちなものの筈だ。だが、どうやら、ネット上やオタク界隈には、ちょっと自分が釣られただとか、名無しに批判されたとか、その程度のことによって自己評価が乱高下する人が大勢存在しているようだ。はてなブックマークあたりで散見される、釣りや罵倒に対する過敏性や過剰性・そして私も含めて「釣り」「罵倒」などがこれほどブログ界隈で話題になるという事実は、とどのつまり私達は、自己評価が他者によって乱高下しやすいような、安定性少ない自己評価*3しか持たないまま生きているということなのだろうか。釣りや罵倒というものにhypersensitiveなインターネッター達の営みをみていると、なんとなくそんな気がしてくるのである。
 

*1:つけ加えると、罵倒を受けた場面が自分を形作る上で極めて重要な対象ジャンルだった場合は、自意識と密接に関連しているため何割増しかで反応しやすい、という部分はあるかもしれない。だが、本当に困った人というのは、自分が専攻しているジャンルだけでなく、ありとあらゆるコミュニケーションのなかで些細な罵倒「感」に対して噴火する。

*2:また逆にだからこそスルー力というものがこれほど持ち上げられるわけだ

*3:もっと言えば、脆弱な自己評価