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シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

なるべくして異性の奴隷となる男(女)達

コミュニケーション 男女

 
 女性の心ない言葉の暴力に殺された男たち[鬱文書注意] | 住 太陽のブログ


 優雅な日曜の午前中に、随分な文章を発見し、なんだよこれはと私は思ってしまった。曰く、「女性達の心許ない言葉の暴力に殺された男達」だそうな。確かに、例として挙がっている男性がメンタル的に追い込まれる一プロセスとして、妻からの言葉の数々が悪影響をもたらしたというのは想像に難くない。もしも男性が首でも吊ろうものなら、妻が悪いという文脈が形成されることも致し方ないことと思う。しかし、こういう男性というのは、件の女性のせいだけでコミュニケーション的に圧殺されていくのかというと、私はそうではないと思う(なお、「異性とのコミュニケーションなかで圧殺されていく」という構図は別に男性に限ったことではない。暴君のような男性に抑圧される女性も数多い)。私が思うに、件の鬼妻に出会わなかったとしても、その男性は別の女性の奴隷になっていたのではないだろうか。または、結婚してなくてさえ、どこかで性質の悪い女に引っ掛かったり、女性以外とのコミュニケーションのなかでやはり圧殺されていくのではないだろうか。彼の苦しみは、「女のせいにすれば良い」という、単純な構図ではあるまい。
 

男性側には、何百万回も、人間関係を変化させる可能性が過去にあった。だけどそうしなかったか出来なかった帰結として、現在の状況を享受しているわけだ。

 「現在の状況というものは、過去の蓄積の帰結として生み出されるものであり、現在の状況は未来の要因として蓄積する。」この考え方は、近しい間柄の人間関係においてはとりわけ適用可能な基本原則であり、夫婦や恋人という二者関係のなかの力関係や立場関係といったものは、二人の間のコミュニケーションで何があったのか・何をやったのかによって規定される。
 
 リンク先の「妻に奴隷化されている男性」に関しても、この原則がまず適用可能だと私は考える。この奴隷化は、起こるべくして起こったものだ。確かに妻はひどい人物だと言いたくなるけれども、少なくとも男性側は「鬼妻にこき使われる自分の立場」を回避するか軽減させる為の幾つもの契機を見過ごしているし、見過ごしてしまうような男性だからこそ、そういう妻とそういう関係に陥ってしまうわけだ。この構図を直視し変更しない限り、離婚しても地獄から抜け出すことなど出来まい。せいぜい、娑婆世界の一つの地獄を脱出しても別の地獄に飛び込むだけだ。
 
可能性1:ヤバい女を見抜けなかったという失敗
 まず第一に、鬼妻化してしまいやすい女性かどうかを察知するフェーズで、この男性は判断を誤っている。親同士が決めたお見合い結婚とかでもない限り、現在の結婚・恋愛は自由恋愛の形式をとっているので、気に入らない相手と結婚しなければならない道理は本来無い筈だ。この女は危ない、と思ったらフェードアウト出来るし、手首と剃刀を呈示しながら結婚を迫るような女性には、そもそも遠目から近づかない自由もあったりするわけだ。「こいつと結婚するぐらいなら独身のほうがマシ」という異性は今日日幾らでもいるわけで。
 
 だが、この男性には、そういった女性を見抜く眼力が無かったということだ。人を見る目があれば、このような悲劇はより低確率でしか発生しなかったと私は推測する。勿論、そういったコミュニケーション能力のなかでも、対人管制・対人レーダー能力というのは奥が深く果てしないため、「男と女の情報戦」はきりがない。だが、それを鍛錬することもなく、体よく誘惑に乗ってしまったというなら、男性側の人を視る目の無さが今日の地獄現出に大きく関わっていることを指摘せざるを得ないだろう。
 
 [補足]:一方で、こういう奴隷化しやすい男性を見抜くことに長けた一連の女性達が存在する。或いは、奴隷化しやすい女性を見抜くことに長けた一連の男性達が存在する。異性を奴隷化するのが上手な男女が一定層娑婆に居続ける限り、ヤバい相手を見抜けない可哀想な男女は、異性を奴隷化するような男女にホイホイとついてってしまい、言葉なり暴力なりの鎖に繋がれてしまうことは避けられない。つつがない男女関係の維持を望む人は、奴隷化ホイホイなやばい男女を見抜いて逃げ出す力(というよりもそもそも近寄らない力)が要請されるだろう。
 
可能性2:主従関係を主従関係としてここまでエスカレートさせてしまったという失敗
 件の男女において、出会った瞬間から女王と奴隷の関係が完成していたとは、私には思えない。二人が披露宴に至るまで、コミュニケーションのプロセスのなかで女王と奴隷の関係が徐々に蓄積・完成されてきたとみるのが妥当で、つまり、二者のコミュニケーションの結果として男性は妻の奴隷と成り下がったわけだ。
 
 人間は易きに流れ、安楽に流れやすいものだ。極端な喩えをすれば、「何でも尽くしてくれる」「くれと言えば何でもくれる」という関係を提供し続けていれば、配偶者が平均的な感性とパーソナリティの持ち主だったとしても彼/彼女は堕落を免れない。また、コミュニケーションのなかで「どこまでがOKでどこまでがNGか」を呈示してくれない夫を持った妻は、欲求をぶつけて構わない範囲なり枠付けなりが定まらないまま、夫に欲求をぶつけてしまうだろうし、範囲も枠付けも見えてこないから要求水準のエスカレートを免れない(コミュニケーションを通して表出して貰わないと、神通力でも持っていない限り良妻でさえ分からないのだ!)。「妻が鬼妻化するという現象」は、妻が最初から鬼だったと考えるのは片手落ちもいいところで、妻を鬼妻までエスカレートさせる要因として、「NOと言えないコミュニケーションを繰り返してきた夫側の振る舞いの問題」があることは絶対に忘れることが出来ない。(勿論、奴隷化されやすい人にはこうした洞察は欠如している事が多いわけだ)
 
 「鬼妻と奴隷夫」というペアは、二者関係のなかで形作られるものであり、妻の問題だけというよりも、夫の問題との関係性のなかで発展してくるものだというものを忘れた議論は、道理に適っていない。リンク先の男性は、職場でもろくにNOと言えないコミュニケーションを構築しているようだ。もしこの男性が、自分の適当な範囲でNOと言うのが苦手なコミュニケーションを繰り返している限り、男女関係においても、職場関係においても、あれこれ押しつけられ、感謝されず、相手側もどこで加減すべきなのかをいつまで経っても知ることもないまま、「俺の人生は人にこき使われるだけだよなぁ」と思い続ける可能性が高い*1
 
可能性3:結婚するまでに、何度断るチャンスがあっただろうか。
 もちろん世の中には、男女交際が始まるやいなや、速やかに服従を求めてくるような異性も存在するし、そんな異性は極普通のNOさえ受け容れないので安定した関係を続けることが出来ない。だがそんな「ハズレ」に遭遇したら、そんな連中とはさっさと見切りをつけて関係を破綻させてしまえば良いのだ。もちろん異性を奴隷化しようとする連中は、破綻をちらつかせると、甘えたり鷹揚になったりして情に訴えかけてくるわけだが、そこで引っ掛からずに切ってしまえばいいし、切ってしまう権利が男性にはあった筈だ。にも関わらず、それを行使せず、だらだらと結婚まで行ってしまったというのならば、その業に焼かれることは半ば必然でしかない。
 
 一ヶ月程度で結婚してこうなったというなら自業自得だし、数年間の交際期間を経て女王と奴隷の関係を創りあげながらも途中でそれを切らなかったというなら、やはり自業自得としか言いようがない。違いますか?
 

娑婆は奴隷使いでいっぱいなんですよ。それを知り、回避し、出会ったら逃げるしかないわけです。

 リンク先の文章で、道義的責任や悪徳を攻められるべきは、確かに鬼妻のほうだろう。しかし道義的責任や徳性とは離れた「個人の適応」に焦点をあてて考えるなら、その鬼妻に体よく奴隷化され甘んじている夫の適応というものはいかにも拙く、奴隷化されるべくして奴隷化されたと考えざるを得ない。もし、鬼妻と離婚したとしても、あるいは未婚のままだったとしても、現在の処世術を続けている限り、類似の苦しみが彼につきまとうだろう。
 
 娑婆には、一定の割合で「奴隷使いが」必ず存在しており、また同様に一定の割合で奴隷になりやすいNOと言えない人達が存在している。奴隷使い達は、適切な範囲でNOと言えない人達の処世術にとても鋭敏なので、鎖に繋ぎやすい犠牲者を素早く見つけてあっという間に籠絡してくる。このシビアな現実への洞察と対処能力を身につけない限り、コミュニケーションのなかで適切なNOと言えない人達は、遅かれ早かれ暴君的な異性に捉えられて鞭と鎖に縛られることになってしまうだろう。また暴君が相手でない場合も、コミュニケーションを通して「私はここまでが限界です」とNOを呈示できないが故に、職場でも町内会でもカルチャーセンターでも奴隷のようにこき使われた挙げ句、誰もその苦しみに気付くこともないし、感謝されることもない。
 

奴隷化されやすい処世術を何とかしない限り、当人に出口は無い

 このような奴隷化されやすい処世術を繰り広げている人が、心身共に壮健で居続けることなど不可能に近いのは言うまでもない。実際、この手の処世術の果てとしてメンタルを壊して外来受診に至る人は絶えることがない。他人に対してろくにNOと言えないタイプの男性・女性は、どこへ行っても搾取されるので、抗うつ薬を出したり休息を指示したりして抑うつ状態がいったん改善しても、配偶関係や職場やコミュニティのなかで「同じように奴隷的に」振る舞うので、すぐに元の状態に戻ってしまう。結局、奴隷的処世術を何とかしない限りは、彼らのホメオスタシスが安定に至ることは殆どあり得ない。DV配偶者から解放された人も、処世術のレベルで同じことをやっている限り、別のDV異性に引っ掛かってしまったり、自身が参加する全てのコミュニティで奴隷のようにこき使われたりするのですぐに症状はぶり返してしまう、というわけだ。今回の夫のようなタイプの人は、(一般的な薬物療法に加えて)人間関係においてNOが言えないという自身の処世術についての洞察と対処法を身につけない限り、いつまでも憂鬱の檻から抜け出せない可能性が高い。逆に、そういった処世術への洞察と対処法が深まれば深まるほど、個人の適応は安定化し、症状の再燃も少なくなっていく。
 
 鬼妻にこき使われる夫や、DV男に黙って服従する女性をみかけたら、彼/彼女の処世術や適応形式に注目してみよう。鬼妻やDV男の道義的責任や悪徳を非難することは容易いが、そうした非難はせいぜい一局面を何とかするかしないか程度のものであり、当人の根本的な問題解決にはあまり寄与するものではない。彼/彼女の処世術全般にみられる、「異性をこき使う連中に嗅ぎつかれる事・体よくお付き合いしてしまう事・NOと言えないコミュニケーション」といった諸要素を何とかしない限り、彼/彼女は娑婆のなかで食い物にされ続け、誰からも感謝されない人生を歩み続ける可能性が高い。ましてや、「世の女どもが悪いんだ」などと言っているだけでは、いつまで経っても泥沼からは抜け出せないし、同性間のコミュニケーションにおいてもやはり奴隷化されやすい当人の弱点はまなざされることが無いだろう。
 

*1:なお、職場などで一切NOと言えない環境を何年も与えられ続けたら、誰であっても被奴隷化志向とでも言うべきパーソナリティへとねじ曲げられてしまいやすい。NOと言えないパーソナリティは、思春期までの人格形成が大きいとは思うものの、以後の環境によっても微調整が働くことは一応断っておく