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シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

「選択からの逃避」の無い世界

短文

 
 何かを選ぶということは、そのとき同時に何かを選ばないということに通じ、
 何かを行うということは、そのとき同時に何かを行わないということに通ずる。

 
 この、陳腐で当たり前の事実は、行動上の選択肢が少ない時にはあまり意識しなくて済んだかもしれないが、一個人の選択肢が多岐に渡る状況(例えばモラトリアムの時期にある現代青少年が直面している状況)ではとりわけ意識させられる。
 
 選択肢が多岐に渡る状況における全選択は、「何かを選んだ」というよりはむしろ「取捨した」と表現するのが似つかわしく、「何もしない」ということさえも「何もしないということを為し、他の選択肢を握りつぶした」と捉えるのがより適切にみえる。このことに気づかぬ人は、「無思考・無決断のままに、望ましくもなければ望んでもいない決断を繰り返す」ことを余儀なくされ、なかには「怠惰」という選択で人生を埋め尽くしてしまう人もあるかもしれない。一方、このことを痛感している人は、自分自身の生活の一つ一つの瞬間や行動について、自分なりの最善を尽くそうと努めざるを得ないだろう。また同時に、「真の留保」などありえず、「選択からの逃避」というものが見かけ上だけのものでしかないことに気づかざるを得ないだろう。
 
 「選択から逃避」自体が既に選択であり取捨であることに気づく人は、「選択から逃避」という選択を無闇やたらと乱発することに慎重になる、筈だ。「選択からの逃避」がせいぜい気分を慰撫する効果しか持たず、結局は他の可能性を捨てるという選択を行っているという事実に他ならないと気づく人は、もっとマシな選択肢を取捨選択しようと考えざるを得ない。
 
 選択や取捨から逃げる場所などどこにも無い。
 目を瞑って逃避するという選択しても仕方ない。
 だったら、可能な限り目を見開き、己の選択や取捨のうちに可能性を模索するほかないじゃないか。