シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

web上で戦争するより、賢いライバルを喰っちまえ

 
http://medt00lz.s59.xrea.com/blog/archives/2007/05/web_1.html
 
 もしもインターネット上において、何らかの意見についての派閥を作らなければならない・政治的な立ち位置をつくらなければならない、というのであれば、medtoolzさんのご指摘どおりのweb戦争をやるのが適当っぽい。でも、一個人として、いかに楽しくネット生活を送っていくのか、ということになると、自ずとストラテジーも変わってくる。派閥に左右されないor派閥を乗り換えられる自由を持った一個人がネット上で適応するなら、僕は以下のように振る舞う、と思う。
 
・馬鹿な味方は平然とスルー。または出来るだけニュートラルに取り扱う。或いは味方ではあっても論点にズレが含まれているなら、それをきっちり指摘しておく。それで味方をやめちゃうというなら、やめてもらえば良いのだ。その程度のことで変節したり見捨てたりするような人は、どのみち要らない味方でしかない。そして本当に重要な味方や友達というのは、「馬鹿な味方が馬鹿なことをした時に、問題点を指摘するような僕自身をむしろ好ましいと思ってくれる人達」だ。馬鹿な味方、という表現が問題を難しくしているかもしれないので表現を改めるなら、「僕にシンパシーを提示してはいるけれども大いなる勘違いをしている人」とでも言えばいいだろうか、そういう人の含んでいる誤解を説かないとろくなことがないし、誤解を了解に是正したら掌を返す人というのは、むしろ最初から敵性存在と認知しとけばいい。
 
・対話可能性が十分期待できる切れ味の良い敵とはむしろ積極的に関わってみる。ガチで議論してみるも良し、指摘の鋭い点を飲み込むも良し。時と場合によっては、素直に教えを請うても良いかもしれない。これも、変な派閥に囚われない個人レベルにおいては適応を阻害しにくいと思う。もし“鋭い敵”という表現が問題を難しくしているっぽいので表現を改めるなら「僕と意見的対立を持ってはいるけれども、かなりよく分かってくれている人」だろうか。切れ味の良いライバルは、自分の弱点を指摘してくれるかもしれないし、未知や無知を照らしてくれる水先案内人になるかもしれない。仮に鋭い指摘をしてくる論客に理解を示したりガチでぶつかりあったりすることが「味方の離反」に繋がるというなら、そんな奴らはもともと大した味方ではない。僕が欲しいと思う味方というのは、「意見的対立を含んだ相手と議論したり、意見を取り込んだりすることをむしろ喜んでくれそうな人達」だと思う。インターネット上の人間関係が膨大な取捨選択なり可能性なりの上に成立しているんだと思う。筋の通った指摘であれば、自分達の日頃の見解や意識とは異なるモノであっても接近の余地と好奇心を留保できる人が友達に大勢いると、非常に心強いし、そういった仲間達との繋がりならば育てていく価値は十二分にあると思う。どうでも良い味方・風が吹いただけでたなびく味方・シンパシーはあっても理解の無い味方、というのは政治をやるには必要でも、個人の情報ネットワークの鍛錬や、日頃の快適な日々には殆ど寄与しないか、むしろ邪魔ですらあるかもしれない。
 
 繰り返すが、これはあくまで派閥から比較的自由な、それも個人的交遊に関するレベルの話で、派閥・立場なるものから不自由である場合や、ある種の意見を政治的に擁護する立場の場合にはやはりmedtoolzさんのような政治ゲーム運びになるんじゃないかと僕も思う。幸い、blog上の個人的交遊に関して、今の僕は特定の意見を擁護する派閥には囚われていない。シンパであっても困ったちゃんなら距離をとるという自由も、見解の対立を含むにせよこちらに分かりやすく重要な問題を提示してくれるライバルを自らのうちに取り込む余地もある*1。もし僕自身に気付く余地がある限りにおいては、異なる立場や意見の人であっても、汲めるおいしい意見は出来るだけ取り込み、場合によってはその人をも親しき関係性のなかに取り込んでいくぐらいの気持ちでいたい。それは必ずしも簡単なことではないかもしれないけど、見識のある知己に囲まれて生活し、愚昧な味方に振り回されないようにするためには、出来るだけそうでありたい、とは願ってます。
 

*1:将来も、あって欲しい