シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

宴席で酒を無理強いされる状況も、事前対応次第で何とかなったかもしれない

 
 アルコールが呑めない人が無理矢理呑まされることはあまり好ましいことではないだろう。急性アルコール中毒のリスクは勿論として、身体的に変え難いものを気合だの帰属意識だの次第であると勘違いして他人に強要することには私も賛成できない。よって、まずは「呑めない人に無理矢理アルコールを呑ませる人」の態度なり考えかたなりを非難しようという意見には賛成ではある。
 
 しかし、アルコールが呑めない人自身が無理矢理呑まされることには、幾ばくかの「自分の努力で回避できた余地」というものが含まれていることがある。とりわけ、新入生シーズンから一ヶ月が経とうとしているGWにもなって未だに「無理矢理呑まされる」とか「何年経っても呑まされる」ということになると、周りの連中の問題もさることながら、そんなポジションに甘んじている自分自身の判断なり舵取りにも問題があるのではないだろうか。初回の飲み会でリスクを回避できなかったというなら、致し方ないという気もするけれど、何度も何度も同じ轍を踏むということになると、呑まされる側の適応スタイルにもどこか問題があるような気がしてくるのだ。
 
 
 まず、そもそもがアルコールを無理矢理呑ませる人が大勢いるという、あなたが今いる文化圏は絶対に選ばざるを得ないものだったのだろうか。そして捨てるわけにはいかない選択肢なのだろうか。ある種の運動系サークルを想像させるような激しい飲み会を行うコミュニティというのは世間には沢山あるし、そういったコミュニティ独特の雰囲気というものがあるなら、それは事前に回避できるものではなかったか?ヤバそうな大学やサークルには入らない・危なそうな企業は就職活動から外す・などなどの処世によって、アルコールを無理矢理呑ませる人の少ないグループなり、寛容な組織なりをチョイスする余地があったとしたら、それをやらなかった自分自身の判断力を呪ってもいいのではないだろうか。何らかの理由で選択の余地が無い人の場合は気の毒としか言いようがないけれど、もし、所属コミュニティや就学就職先を選択する余地があった人は、己の嗅覚の鈍感さによって遭遇した災厄なのかもしれない。
 
 勿論、可能な場合には今からコミュニティを離脱したって遅くは無い。会社の場合には簡単にはいかないかもしれないが、大学のサークルやコミュニティレベルであれば大抵は可能なことの筈だ。あるいは事前に、「このコミュニティに一点賭けするのは心配だから」ということで自意識なり執着なりの投資先を分散させてリスクヘッジしておくのも有効かもしれないが、それはそれで結構大変かもしれない。とはいえ、大学のサークルレベルであれば、このようなリスクヘッジ戦略→六月頃に本命コミュニティ決め撃ちはまだまだ可能な余地がある筈である。
 
 
 また、アルコールを飲ませたがる人がいた場合でも、宴会に遭遇するまでにどれだけの予防線を張ることが出来るのか、「こいつにはアルコールを飲ませないほうがいいな」「こいつは勘弁しといてやろう」というコンセンサスを形成しておけるかどうかにも意を用いる余地がある。初期遭遇の飲み会では回避が困難かもしれないにしても、1〜2ヶ月の時間的猶予が与えられてコミュニケートするチャンスがあるなら、「こいつはウーロン茶!」と周囲に思って頂く余地は結構あるんじゃないだろうか。つまり、またしてもコミュニケーション、なのだが。
 
 このコンセンサスづくりの方法は様々だろう。「アルコールを入れると凶暴化して階段から蹴り落とす」「ちょっと呑んだだけで失神してみせる」などという極端なパフォーマンスから、日常の会話のなかでアルコールを入れてどれほど恐ろしいことが起こったかを折に触れて話してみる*1まで、様々な働きかけなり牽制なりがあって然るべきだろう。また、こうした牽制は1.の「このコミュニティは俺でもやっていける所なのか」を査定するうえでも有効な手続きとなる。アルコールを飲んだら自分がヤバくなることに微塵の理解も示さないコミュニティだとするなら、会社などの辞めにくいものはともかくサークルなどのレベルであれば蹴ってしまうことを考えたほうがよさげだ。それと、ノンアルコールしか呑まないとはいえ、宴席でムスっとしているとかえって呑まされる圧力が強まる可能性にも留意したほうが良いだろう。宴席で酒を奨めるほうも、多くの場合はつまらないよりは明るく楽しい会話なりやりとりなりを望んでいるので、ノンアルコールの宴席参加者がムスっとせずに楽しく溶け込めているなら、意固地になって飲ませてくる確率は下がるだろう。無理矢理アルコールを飲ませてやろう、という動機付けを低減させるという意味において、ノンアルコールでも宴席に自然に溶け込めているかどうかは大きい。
 

(いつものことですが)勝負は飲み会が始まる前にある程度決まっている

 
 確かに下戸に飲み会で酒を無理強いする奴が一番悪いにせよ、その悪い奴との飲み会を回避するかトラブルを軽減させる契機というのは幾らでもあったし、無ければ造れた可能性がある。その意味では、飲み会が始まる前に災厄の日の有無は規定されていたし、それを回避しようと努めずに無為に宴会の日を迎えた人は(同情の対象にはなっても)クレバーとは言い難い、と指摘する余地はあるんじゃないだろうか。実際、下戸な人のなかには、そういったヤバい宴会の少ないコミュニティに入って難を逃れる人や、宴席において自分にアルコールが回りにくくなるようなコンセンサスを事前に形成しておく人は確かに存在するわけだし。或いは、あまりにもアレな宴会をやるコミュニティであれば早々に見切りをつけてしまう人もいる。もし、その下戸さんに「君子危うきに近寄らず*2」なり「コンセンサスの形成への働きかけ」なりがあったにも関わらず、その場に留まり続けて怨嗟の声をあげているんだとしたら、他にやりようがあったんじゃないかなぁ、と私などは思ってしまうのだ。
 
 今回は、飲み会という“喩え”を紹介したが、以前挙げた男女交際*3もそうだし、世の中には「当該イベント当日には、既に帰趨が決まりかけている」「危うい対象に近づいてしまった時点でアウト」「事前にどのようなコンセンサスを形成したかが重要」なことが結構多い。事前準備が求められるのは、大学受験や資格試験だけではない。人の間で生きる為の諸々のイベントに関しても、事前のチョイスなりコミュニケーションなりによって遭遇状況が激変するモノが数多く含まれていることに気づくなら、あなたは本来回避可能だった災厄に遭遇する確率を低下させたり、災厄の程度を軽減させたり出来るかもしれない。
 
 悪いのは無理矢理呑ませる奴らだ。そこまでは変わらないが、事前選択なりコミュニケーションなりに意を用いるでもなく災いの日を迎えるというのはちょっと拙いし、お世辞にもクレバーな大人にはみえないことだろう。いや、飲み会に限らず、事前のやりようによって回避しやすくなる諸々になんらの策も講じずに飛び込んでいくことも、勿体無いことのように思える。災厄を避けて幸運を招くためにも、コトに遭遇する前段階から巧く立ち回っていきたいものである。
 

*1:この話し方が拙劣だと失敗しやすく、ここでまたコミュニケーションの可否が問われてくることは言うまでも無い

*2:ただし、これは地元自治会や会社組織のように、回避困難な場合もある。その場合は致し方ないだろう

*3:http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20070413/p1