シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

シューティングゲームによって強化された僕の性向

 
http://medt00lz.s59.xrea.com/blog/archives/2007/04/post_482.html
 
 アーケードシューティングゲームを本格的にプレイするようになって十数年。シューティングゲームを遊んでいるうちに身に付いた習慣も考え方も、今ではすっかり自分の一部だ。今日は、その身に付いちゃった幾つかの性向について書き残しておこう。個人の経験として。
 
 

  • 瞬間瞬間でアドリブをきかせる

 暗記よりも直感に頼ったシューティングを嗜好していたが故に、俺は瞬間瞬間をアドリブで避けることにやたらとシフトしていってしまった。結果としてこのことが自分のシューティング寿命を縮めてしまったし、美しい暗記パターンを開発し忠実になぞるような精密作業も育たなかったわけだけど、お陰で初見に強い傾向を強化することが出来た。100点の暗記パターンよりも75点の直感でなるべくカバー、という自分の性向は、シューティングを通して大きくなった・なってしまったものだと思う。
 この、0.5秒で生み出されるべきアドリブを大いに育ててくれたのは、初代雷電〜雷電DXの空中ザコ&地上ザコだったと思う。奴らのお陰で、暗記だけではなく一瞬一瞬で判断することが多いに鍛えられた。現在、仕事において言葉選びをする際の感覚は(俺の場合は、だが)シューティングゲームの瞬間的判断→アクションに支えられている部分が大きい。
 

  • ルールを知り、ルールに乗り、ルールを逆手に取り

 単にアドリブ能力を磨くだけでは絶対に立ちいかないし、暗記パターンをつくるにもゲームを支配する原則を知らなければならない。シューティングゲームは、一部のバグも含めた「ルール」を知り尽くした上でその枠内でキャラクターを操作しなければならず、枠の外は考慮しても仕方ない。ルールを作り出すことの楽しさとは異なる、ルールのなかで目一杯の活路を見出すのがシューティングゲームであり、それはそれで自分の処世訓に大きな影響を与えたと思う。
 
 アドリブ弾避けを遂行するにせよ、広角ショットの機体でボスに張り付いて瞬殺するパターンをつくるにせよ、シューターはゲームのルールを知悉したうえで、ルールに乗ったほうが便利なところは出来るだけルールに乗り、ここぞという場面があればルールを逆手にとることが求められる。「自機狙い弾は、敵から自機を結ぶ直線を正確にトレースする」というルールを理解してはじめてチョンチョン避けが成立するし、「ワイドショットは広角をカバーする弱い弾だけど、全弾合計したダメージは実はレーザー系より強力」というルールを知ってこそ、ショット攻撃の性質を逆手にとった張り付き瞬殺が成立する。ボス戦の安地やスクロールアウト戦術の多くも、敵砲台の攻撃性質を逆手にとることで成立するものが多い*1
 
 この、一定のルール下においてルールを出来るだけ把握してそれを最大限に生かす/ルールの裏をかく という習慣は、自分が所謂脱オタを指向したことと関係があるかもしれない。「コミュニケーション上の既存ルールの外側をいかに目指すか」ではなく「コミュニケーション上の既存ルールに出来るだけ沿ったうえでいかにベターを模索するか」という発想に憑かれたのは、一定ルール下でいかにルールを生かすかを毎回毎回叩き込まれていたが故のような気がする。
 

  • 誰も代わりに避けてくれない

 自分がやらないゲームなら、他の人にクリアしてもらってエンディングをみたって構わない。だけど自分の手元にワンコインクリアという勲章なりハイスコアという名誉なりを獲得しようと思ったら、苦手だろうが高難度だろうが攻略するしかない。とりわけ他人のパターンを視る機会の乏しい田舎育ちシューターの自分の場合、暗記パターンも大抵は自作しなければならず、エンディングをみたいと思っても自分一人で何とかするしかないという事情もあった*2。代わりの効くことは他人に任せても、自分しか出来ないことは自分でやるしかないし、ある種の歓びは自分でもぎ取るしか無い、ということをシューティングゲームは或る田舎オタに叩き込んだのだ。また、勝利の歓びも。この辺りはスポーツをやっている人の感覚に近いものがひょっとしたらあるかもしれない。
 
 
 こんな具合に、シューティングゲームは様々な処世訓を自分のなかに育んでくれた(または育ててしまった)。長所ばかりとは言い難いにせよ、コミュニケーションにおける瞬間瞬間のアドリブ重視・ルールを最大限に生かす・自力本願 といった自分の性向は間違いなくシューティングゲームの影響によって強められていると思う。考えようによっては、かつて脱オタを企て、一定の成果に繋がった背景には(自分の場合は)シューティングゲームがあった、とさえ言えるかもしれない。とにかく思春期の最初から最後までの一番濃密な時間を一緒に過ごしたのが“弾避け”なのだ。将来、老い衰えてシューティングゲームを引退する日が来たとしても、その影響はずっと残るんだろうな。
 
 また昔話にしてしまうには早すぎる。一つでも多くのシューティングゲームをワンコインクリアするという精神を持ったまま、いけるところまでいってみよう。瞬間瞬間のアドリブを鍛えるツールとして、またとない特別のhobbyとして、ぎりぎりまで戦場に留まりたい。
 

*1:初代雷電の4ボスを楽して倒す、などもこれ。ダライアス外伝のゾーンWタツノオトシゴ発狂攻撃の安全地帯は、なにか違う気がする

*2:雷電3なんかは、完膚無きまでに誰もプレイしていなかった!