シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

適応できるなら、人格が変わってもいいや

 
 これはtakisawaさんへの私信、かもしれません。いや、どちらかといえばおっさんの独り言の類でした。失礼いたしました。ご迷惑をおおかけします。
http://d.hatena.ne.jp/takisawa/comment?date=20070411#c

なんか、ただ「好かれる人物」を究極的に目指してしまうと、人格改造セミナーみたいな話になりそうですね。

 私は人格を変えることを躊躇しないでしょう。それが適応のためならば。適応シーンに合わせて人格を可塑的に変化させられるようなら、これに勝る喜びはありませんし、それは汎用性の高い適応を約束するものですから。私は高校生ぐらいの頃から、そんな可塑性の高い人格を持つことを夢見て生きてきました。残念ながら、「三つ子の魂百まで」な部分についてはどうにもならないようですが、それでも人格の比較的表面的な部分については、適応シーンに合わせてバリエーションがもてるように、日々粉骨砕身している次第です。
 
 八方美人になることはナンセンスであることはtakisawaさんもよくご存知かと思いますが、特定の人達・特定の個人に沢山好かれること・沢山好くこと、を指向する場合であっても、年代や立場に合わせて求められるモノは違ってくる筈で、人格の可塑性は様々な状況に対応するには望ましいもののはずです。娑婆に適応するための個人の技術は、クリティカルなものほど上手く文章に綴り難いような気がするんですが、人格の可塑性、というものもその一つではないかと思います。世間がこれほど移り気な昨今、いかに自分自身のパーソナリティを操縦するのかは、記述と実行の困難な、しかし強力な処世技術になるかと思います。駄目でもともと、一生追いかけていきたい所存です。
 
  
 
 
 
 
 
 
 …というパーソナリティの偏り。
 シロクマという人物は、今日も「パーソナリティの可塑性」という拘りに囚われています。