シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

エロゲー主人公のステロタイプがあまり検討されてない不思議

 
http://www.misao.gr.jp/~koshian/?20070323S2
9割を基準に全体を語るな。 - Something Orange
 
 面白い指摘ですね。ここら辺については僕も幾らか考えてみたことがある&発言してみたことがあるわけですが、オタク界隈のなかは、エロゲーの主人公像のステロタイプについて検討することを避ける空気があるのかもしれませんね。
 
 
 本来、どのジャンルのサブカルチャーコンテンツであっても、当該ジャンル消費者のニーズに合わせた比較的ステロタイプな主人公像というものがあることに不思議はありません。また、ステロタイプな主人公像を採用しているからといって作品そのものが貶められるわけではなく、ステロタイプな主人公だろうと、例外的な特徴の主人公だろうと、素晴らしい作品は素晴らしい作品です。そして、時代劇の主人公には時代劇の主人公なりの、戦隊モノの主人公には戦隊モノの主人公なりの、アイドル歌手にはアイドル歌手なりの、比較的高確率な特徴というものが(作品の出来不出来とは無関係に)存在すると思います。とりわけ、“視聴率”や“販売実績”が制作者サイドの命運を左右しかねない分野においては、制作者サイドはターゲット層に受け容れやすいキャラ造形を必死に模索するでしょうし、模索の帰結として“安全牌”なキャラ造形に到達することと思われますし、その造形こそが当該ジャンルのステロタイプを顕すことでしょう*1
 
 この、サブカルチャーコンテンツ全体にみられるステロタイプ形成傾向に関して、エロゲーだけは例外であると考えるのは相当無理があるんじゃないかと僕は思ってます。実際のところ、薄々はステロタイプの存在に気付いているオタクさんが多いんじゃないかとも想像してます。そりゃ、エロゲーの進化や変化が他のサブカル的コンテンツのソレに比べて質・量ともに著しいというなら、または消費者の幅が恐ろしく広くて出入りが激しいというなら、制作者サイドがステロタイプを同定しきれない可能性があるかもしれません。ですが、エロゲー界隈、もっと言えば美少女コンテンツ界隈の進化や変化は他のサブカルチャー領域に比べて大きなものでしょうか?消費者の幅は広いでしょうか?そんな事は無いと思うんです。『大岡越前』や『遠山の金さん』ほど枯れてはいないにせよ、やはり大なり小なりの固定化・様式化はある筈ですし、それに際して生まれてくるステロタイプ・王道は消費者のニーズと密接に関係している筈です。
 
 ところがkosianさんもご指摘の通り、エロゲー主人公キャラクターのステロタイプについての検討って案外少ないんですよね。これだけ長年存在して、これだけ大きなジャンルになり、これだけ興味深いコンテンツを抱えているにも関わらず、主人公のステロタイプ研究が案外と少ない。いや、美少女達のステロタイプ研究も案外少ないかもしれない。まるで、検討を拒んでいるかのようです。僕は、主人公のキャラ造形についてのステロタイプにアプローチすることは、結構有意義なモノなんじゃないかと思うんです。エロゲーバッシングの為だけにステロタイプを研究するなんて、愚かなことです!当該ジャンルのステロタイプ・王道を知ることは、単に作品論をものするに留まらず、明日の新しいコンテンツを一層洗練させる手助けにもなるんじゃないでしょうか。ステロタイプを知ることを通して、一層洗練されたステロタイプを創ること・敢えて外すことが一層容易になるんじゃないかと僕は思うんです。「知る」ということは、たとえそれが悲劇だったとしても、やはり獲得には違いないのではないでしょうか。
 
 研究や言及や検討が大好きなオタク達にも関わらず、不気味なほど検討の少ないエロゲー主人公の“ステロタイプ”“王道”。この現象に、僕はある種の不思議感を感じずにはいられません。一体どうしてなんでしょう?僕は、エロゲーや美少女コンテンツのステロタイプ像に大いなる興味を抱くのと同じかそれ以上に、何故オタク達*2がエロゲー主人公キャラのステロタイプ像について突っ込んだ言及を行わないのかにも興味を抱いています。
 
関連?:オタク達が好んで消費する、拒否を示さない萌えキャラ達(汎適所属)
関連?:脳内補完における、萌えキャラとオタクとの一方向的関係(汎適所属)
 

*1:そしておそらく、“安全牌”的造形というものは、とりあえず売らなきゃとか、とりあえず外さないようにしなきゃ、という弛緩した意図の作品においては多用されるものと推定されます

*2:とりわけ、弁がたつということになっているオタク達