シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

勤勉な内科医への、怠惰な精神科医からのお手紙

 ※これはid:medtoolzさんへの私信です。他の人が読んでもあんまり読んでも面白くないかもしれません。
 

勤勉な精神科医が仏典調べている間、怠惰な内科医は シルバーガン のことを考えます。

1.
 あー、勘弁してやってください。許してやってください。ごめんなさいごめんなさい。そんな、ナメクジに塩をかけるような、アンデットモンスターに聖水振りかけるような仕打ちは、どうか、どうか堪忍していただきたく存じます。「勤勉な精神科医/怠惰な内科医」という対比は、僕のような人間にとっては針の筵を転がされるような…あわわおゆるしを…。
 
2.
 実は僕、シルバーガンやってないんです。シルバーガンが出た頃の僕は、脱オタ五カ年計画の前半期にあって、シューティングゲームにあまり力を回していませんでした。さらに悪いことに、「横画面の縦シュー」「暗記上等のゲーム」であることが、僕にアレルギー反応を引き起こしたりしてしまい、スルーしてしまいました。後年、斑鳩に大感動した後になって「あれは失敗だったかなぁ」と思い返したりしたものですが、そう思った頃には筐体は撤去され、機会は永遠に失われました。
 
 斑鳩は本当に良いゲームでした。僕は暗記やパターンづくりが大の苦手なのですが、あのゲームだけは本当によく考え、本当にあれこれパターンをつくりました。トレジャーのゲームはその後グラディウス5をやったりもしたんですが、昔懐かしいテイストを漂わせた高品質暗記ゲーを出してくれるありがたい会社だと思ってます。これからも応援していくつもりです。
 
3.
 「自由意志」と「我執」はどういう風に関係づけられるんでしょうか?言葉の定義次第といえばそれまでですが、「自由意志」を求めれば求めるほど、僕達凡人は「我執」への囚われが起こりやすく、かえって自分自身によって縛られてしまうような気がします。自由意志への環境的制約がなくなればなくなるほど、自由意志への我執の制約が大きくなるような。逆に、環境的制約が深まるほど我執の制約が小さくなる人もいたりして面白いですね(環境的制約が深まったら一層奴隷になっちゃう人もいるから、それが良いとは思いませんが)。
 
4.
 ラカンはどうにもならないぐらいわかってません。フロイトやコフートについてはやっと最近分かってきたかもしれない、と思うことがあるのですが、ラカンは微塵も手が出ません。七年前と三年前にアタックしてみようとしたことがありましたが、どうにも脳が受け付けませんでした。困ってます。
 
 ただ、「僕が受け付けない」ということと、「ラカンに遠い」ということがイコールなのかどうかは定かではありません。僕はフーコーが大嫌いでしたし、あんなもん分かるもんかインチキだ!と長年思ってましたが、精神病理に詳しい先輩に「シロクマくんは、フーコーが近いんじゃないかな」と言われてしまいました。
 
 どっちにしても、僕のラカンアレルギーはまだ治ってません。僕を沈黙させるには「ラカンによると…」の一言が効果的です。ラカン引用された時、ラカンの文脈に沿った形では僕はカウンターを仕掛けることが出来ない筈です。
 
5.
 今回書くに当たって、「鰯の大群は全然利他的じゃない」「原初の狩猟採集社会」「自我は昔あったのかどうか」などについて進化の本を本棚から引っ張り出し、引用元をはっきりさせようとしたんですが、引用元を同定出来ませんでした。何冊かの本で見かけたモノなので間違いないとは思うんですが…。どの本に何が書いてあるのかごっちゃにしたまま内容を覚えているらしく、いざ引用しようと思った時に困ってしまいます。進化生物学の本は年に最低四冊以上読むことを自分に義務づけていますが、本が増え歳をとるほど「どの本に何が書いてあったのか」を忘れていくんだと思い知りました。
 
 同じ現象が仏教史の本からの引用についても同じでした。仏教史のほうはただでさえややこしくよく分かってない癖に、どの本のどの辺りに何が書いてあるのか把握しきっておらず、「都市化と都市宗教としての仏教」について今回触れることが出来ませんでした。残念です。でも、思い出したら何かの形でお伝えしたいと思います。