シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

sirouto2さんは、執着地獄にいらっしゃるのだろうか?

 
まとめの道を行けばどうなるものか - 萌え理論ブログ
もうまとめしかない - 萌え理論ブログ
 
 かつて、sirouto2さんから聞いたことがある。曰く、己自身がテキストをアップする際、「敢えてメタ」な立ち位置からエントリを書くんです、と。だが、昨今の様子をみている限り、どう考えてもブログを書くことに関する諸執着にまみれているとしか思えなかった。少なくとも、俗悪な手垢と執着にまみれた私のようなゴキブリからは、sirouto2さんの振る舞いは同類の匂いがプンプンする、ように感じるのだ。これは私の錯覚や勘違いの類だろうか?
 

ブクマがつかなければ打ち切りという緊張感と、セルクマで1getして1usersのままのときの不安感。なぜ緊張して不安になるかといえば、何を欲しているか分からない他者に向き合うからだ。これは常連の信用を得ることである程度緩和するが、原理的には常に命懸けの跳躍であることには変わりない。例えば明日「はてなまとめ」という新サービスが始まって、私のブログは誰も読まなくなるかもしれない。しかし、そのときは真っ先に「はてなまとめ」を紹介すべきだろう。

 私には、このどこか恰好良い文章が以下のように読めてしまうのだ。

 他者に向き合うことに不安になっているというよりも、他者に駄目出しをされかねない自分や、他者に見向きもされない自分に向き合うことに緊張し不安になっているのではないか、と。私のような小物はみっともない心性を抱えながら生きているので、そう思えるわけです。勿論、sirouto2さんはそれを「シロクマの投影ですね」と一刀両断することは出来るわけだが、私は斬られながらこう叫ぶこともできる。「だが、私は今、他の誰よりも一番あなたに鋭く反応しちゃったんだし、今までの様々な時期のあなたと比べても今のあなたに最も良く反応したんですよ」と。命がけの跳躍、とかいう難しくて私にはよくわかんないものは、私のような小物には、自意識を賭けた跳躍、という風に思えちゃうんですよね。いや、『自意識こそ我が命』という話なら私も激しく同意しますけど。私は、自分のみっともない自意識を開花させてふんぞり返ったり、オドオドキョロキョロしてまわったりすることが大好きな人種ですからね☆
 
 半年以上前から私は、sirouto2さんがメタ視点なり客観なりを装いつつも実はかなり強く(自ブログから)自意識を備給しているのではないかと疑ってはいた。だが、昨今の(まとめ記事に関する)言動以降はそれが顕著に感じられるようになり、今では確信しつつある。今回のエントリにしても、己自身を的確にメタ視点でモニタリングしているとたら、さて、何でわざわざ不安に感じなきゃいけないんだろうか?他者に向き合うとはいうけれど、自分または自分を練り込んだ自ブログなりが他者によって見向きもされないとて、そんなの、意に介することなのだろうか?まして今回の雑記のような文章をわざわざ書くだろうか?
 
 そうかもしれない。だがそうだとしたら、私にはよく分からない。
  
 これまでのサイトポリシーから大転向し、己の可能性とやらを賭けて、などという行為が出来るのは、まさに余程の執着なりインセンティブがあってこそ可能な選択ではないのか、と疑う。勿論、メタ視点を通して自分自身にはそんなものは無いと主張することは出来るけれども、これまでのポリシーやファン読者をそっちのけにしてここまで大胆にsirouto2さんを駆動するものは何なのか?私には、「余程強烈な執着が発生しているからではないか」としか思えなかった。他に、推測可能な筋が無い。これでも勘違いな推測なのだろうか?間違っていたら、sirouto2さんは叱ってくれるだろうか。
 
 つまり私は、sirouto2さんが自らの執着に(メタ視点理解、という目隠しによって)気付かぬうちに、執着地獄に堕ちているんじゃないか、と心配しとるわけです。もし、sirouto2さんが私よりも遙かにできた人ならその可能性は低いでしょうけれど、同じ人間だからそんなに無茶苦茶は違わないと思うし、もし執着地獄に堕ちちゃってるんだとしても、それを恥ずかしく思う必要は全くないとも思う。少なくとも私なら、400も500もブクマをされ続けて、あっちこっちからリンクされたりトラックバックされまくったら、今頃執着地獄の底にいて、ブクマの鍋の底でぐつぐつ煮えかえっていると思うんです。
 
 [追記:]なお、私は執着なり自己満足なりこそが己を駆動し、そして成長させる力となる、という意見を持っています。よって、私は自己満足と執着を結構良いものだと思ってますし、仲良くお付き合いしていきたいな、と思っています。執着地獄に暫く滞在するのも、決して悪いことじゃないし、執着地獄に堕ちるプロセスのなかでも沢山の成長が含まれていると確信してやみません。