シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

id:ululunさんには因果が回ってきたんですよ

 
 はてな界隈には、id:ululunさんという人物が存在している。彼のテキストがどのぐらい沢山の読者に読まれているのか、またどのぐらい沢山の着想をプレゼントしているのかは知らないが、ただ一つ、沢山の被ブックマークを集めている『煩悩是道場』というブログの持ち主だ、という所までは知っている。
 
 この、被ブックマークの鬼とも言うべき人物の周辺がざわ…ざわ…となったのは以下の流れ、である。
 
http://d.hatena.ne.jp/ululun/20070128/1169954241
http://d.hatena.ne.jp/ululun/20070129/1170069819
http://d.hatena.ne.jp/ululun/20070130/1170123378
 
 この流れをどう分析するかは人それぞれだろうが、「あなたのエントリによって私だって傷ついているんだぞ!わかってんのか!」という意思表示を汲み取ることは少なくとも可能だろう。そのような意思表示の背景にある意図はさておき、ululunさんは自分自身の文章に対する他者の取り扱いに対して不快感を感じ取って表明した、というわけである。
 
 しかし、この不快感の表明に対して共感よりも憤慨を感じ取ったはてな村村民も多かったようだ。はてなブックマーク - 煩悩是道場 - id:sirouto2のエントリに強く抗議する。 をみるにつけても、憤慨や皮肉、「釣りですか?」という揶揄が多く集まっていることがわかる。以後のululunさんの言動に対しても、必ずしも共感的でない意見が存在しているし、ちなみに私個人もまたその一人である。「誰が悪い」と人を責めても仕方ない一方で、ululunさんの言動には、書き手としては殆ど因果応報的な、致し方の無い部分があった、と私は考えている。
 
 火のない所に煙は立たない。因果因縁があってこその結果。
 今回の件でululunさんに不快感を与えてしまった人達のデリカシーについては別個に検討するにせよ、少なくともululunさんの今日までの振る舞いのなかに、今日に至る道程がある程度用意されていた、という枠組みで私は考える。この考え方に基づくと、もし今回のsirouto2さんによるネタエントリが無かったとしても、おそらくululunさんは誰かに対して突沸する事態を避けることが出来なかったのではないだろうか。あくまで遅いか早いかだけの問題でしかなく*1
 
【ネタ師イメージへと誘導された2006年後半のid:ululunブランド】
 既にもう何ヶ月も前から、ululunさんに関しては「ネタ師ululun」というある種のコンセンサスができあがっていたと思う。少なくとも私はそのような枠組みでid:ululunのエントリを理解するように次第次第になっていったし、似たような気持ちで読んでいたはてな村民は少なくなかったことがブックマーク上のコメントやタグからも推定される。そりゃ、私とて最初はそんな風に思ってませんでしたよ。「煩悩是道場」というブログサイトに対し、ブログをみる前にテキスト一つ一つをみる、という姿勢があった。当時から明らかにネタっぽいテキストに遭遇することがあったにせよ、誠心誠意込めて書かれたとおぼしきテキストにも出会っていたからだ。
 
しかし、
はてなブックマーク - 煩悩是道場 - あなたは他人を「死ね!」と思った事は無いのか
 
 この件及びそれに関連した後処理を眺める頃から、私の見方は大分変わったと思う。この件に対しては、「ネタ師にあらずんば、デリカシーの無い書き物をする人」と理解するしか私には無かったし、デリカシーの無い人物という烙印を押すよりは、はてな界のネタ師と理解するほうが当時の私には心安かった。勿論、それまでに幾度となく「人気のエントリ」「注目のエントリ」で見かけるid:ululun謹製ネタ記事に充分親しんでいたことも、ululun=ネタ師 という見方を後押ししたに違いない。以後も比較的高頻度でネタ記事を続投している(と少なくとも私は思いこんだ)以上、これはもうネタ師認定するのはむしろ致し方の無いことだった。
 
 そんなululunさんが、自分がネタ化されているテキストに対して猛烈な不快感を表明したのである。それも、まるで本気になったかのように。「狼が来たぞ」という言葉を私は思い出さずにはいられなかった。この期に及んで、何を言う。私はこの時、「今までさんざん他人を不愉快がらせるかもしれないネタを投げといて、自分がネタにされたら激怒するとは何事だ!!」とカチンときたものである。もしこれが高度なネタだとするにしても、sirouto2さんに対して負担の大きそうな非道い芸だし、ネタで無いとしたら(そしておそらくはそうだったのだろうが)、「僕は自分の気持ちが不快になることには敏感でも、他人の気持ちが不快になることには鈍感です」という我が侭な表明ととるしかない。ダブルスタンダードというものが如何に人を不快にするものなのかは、ululunさん自身もよくご存じの筈。そして、以前の“縦読みネタ”で(不特定多数に対してとはいえ)無神経にあらずんば非道ネタとしか言いようの無いエントリに衝撃を受けた読み手側としては、今回の突沸はいかにもダブルスタンダードと取らざるを得なかった、のである。しかし私はダブルスタンダードと取る事に躊躇いを禁じ得ないし、ululunさんに一定の期待をしている多くのはてな村読者も同様だったと思う。残された選択肢はただ一つ…「今回もululunさん一流の芸なのだろう」しか無かった。
 
 おそらく、“我が侭なダブスタ野郎”という絶縁宣言*2を選ぶよりは、ネタ師としてであれululunさんの存在意義を肯定しよう、という意図を持っていたファンは案外いたのではないだろうか?
 
 しかし、である。その後、ネタ師ululunというイメージだけでも確実に救ったであろうトラックバックエントリに対しても、ululunさんは歯をむき出しにして怒りを表明したのである。「俺の感情を玩具にするな。俺はマジだ」と。私はこの時点でululunさんの株価を切り下げようと決定した。大きな失望だった。なぜなら、それは「僕は自分の気持ちが不快になることには敏感でも、他人の気持ちが不快になることには鈍感です」という声高らかな表明に他ならないように思えたからである。例えばその後のid:pal-9999さんの対応は、私にはむしろ“せめてネタ師としてのululunイメージだけでもダブスタの禍から救うための”救命浮き輪のようにさえみえたわけだけれども、そこら辺を勘案することもなく、ただ傷ついたと大声で叫ぶ姿に、誰がどこまで共感しただろうか。私は冷ややかに眺めやることしか出来ず、ブックマークする気も無くなった。
 
 今回の件で、「煩悩是道場」は少なからぬ誠実な読者に失望感を与え、少なからぬネタファンに興ざめ感を与えたのではないかと思う。*3そこら辺、ululunさんはどこまで自覚しているのだろうか。確かに、今回の件でululunさんは大いに傷ついたのだろう。それは事実なのだろう。だが、これまでの一連の流れのなかで、「自分をネタにするな!傷ついた!」と表明することがどういう意味づけを為されるのかや、自分のハンドルネームとブログに堆積した「常連読者からみたululunブランドのイメージ」がどのようなものなのかに考えが及ばないとすれば、今回のような件は繰り返し発生するだろうし、誠実な書き手としてもネタクリエイターとしてもululunさんに絡みたいと思う人達はいなくなってしまうだろう。それじゃああまりにも寂しいですよ、読み手としても。もっとネタ師としても、誠実な書き手としても、しっかりして下さいよ。読者はあなたに期待しているし、読者なりに「ululunブランドのイメージ」をあなたの意図とは関係なく脳内に形成しているんですよ。繰り返すけれども、ululunさんが自分自身をどう思っているのかはこの場合関係ない。テキストやリアクションを通してだけ、読み手側のululunイメージは形成され蓄積されていく――今、この瞬間も含めて。
 
 私達常連読者は、ただただululunさんが書いたテキストを繰り返し読んで堆積させることでしかululunさんを想像できない(オフ会で頻繁に会うなら、ちょっと話が変わって来ますが)。そしてそれは、ululunさん自身が自分について思っていることとは必ずしも一致しないものであり、しかも一つ一つのエントリごとに蓄積され変容していくものだという事に気付いておかなければならない。その蓄積は一つ一つのエントリごとに僅かづつ変化していく一方で、僅かづつしか変化しないものでもあるわけで、今回の件についても、いきなりululunさんが“マジモード”に入ったからといって読み手としては追随する事が出来ずに「ネタ師ululunまたはダブスタ野郎ululun」とあくまで読解してしまうのも致し方ない成り行きだと私は考える。
 
 なお、「煩悩是道場」ほどの被ブックマーク常連ともなると、読者の側もエントリ単位だけでなくハンドルネーム単位・ブログ単位でululunさん個人について何某かの表象を形成せずにはいられない、という事はいい加減自覚しておいたほうが良いと思う。そういう意味では今回の不幸な出来事はある種の“有名税現象”としての側面も有してはいるわけだけど、さしあたり、読み手それぞれがululunイメージを形成しているという事、そしてこれまでの流れから「ダブスタululunを回避すべくネタ師ululun」というイメージが蔓延しやすかった土壌があったであろう可能性は、充分振り返ってみたほうがいいと思う。そして、そのような因縁を生み出した源泉の第一としては、常に書き手であるあなた自身が問われ続けるという事も申し添えておかなければならないだろう。*4
 

【しかし皆に愛されるululunさんなわけですよ】
 勿論、私のこのような欲求をはじめとするその他の手厳しい指摘は、逆に言えば“ululunイメージを貶めたくない”“ululunさんという人物に一定の担保を期待したい”という読み手側の願望を反映したものでもある。「批判であれ賞賛であれ、言及するという事は、対象に対する執着なり期待なりを反映したものだ」と理解する私にとって、ululunさんに対する言及の一つ一つは、執着なり愛なりという言葉に直結する行為とみなされる。多くの読者は、あなたをダブスタ野郎と切って捨てたいとは考えていないし、だからこそぶつぶつと不満を言わずにはいられないのである*5。さて、今後のululunさんはこうした期待の一つ一つにどこまで想像力を働かせることが出来るだろうか?そして自分が自分に対して保っているイメージと、読み手側がエントリの継続的読み込みから堆積させた「ululunイメージ」との差異や誤解にどれほどまで意識的になれるのだろうか?
 
 私はまだ、ululunさんに愛想を尽かすことが出来ずにいる(多くの読者達や、id:sirouto2さん、id:pal-9999さんにおいても同様のことだろう)。ネタ師としても、誠実な書き手としても、まともな人間としても、である。愛想を尽かすには惜しい。だからこそ、今現在ululunさんにまとわりついている読み手側のイメージについてや、そうしたイメージの来し方行く末について想像力を膨らませて欲しいと、期待しているのだろう。しかし、そういった想像力が今後も欠如したままであれば、書き手−読み手のイメージ不一致に起因する悲喜劇は今後も頻発すると推測するし、いい加減私も含めた多くの読者が遂には愛想を尽かす日も来るかもしれない。それはとても不幸なことだし、回避可能な不幸だと信じている。
 
【まとめ】
・今回の件の直接要因は、ululunさんに対する読み手のイメージと、ご自身のご自身に対する思いとのズレから生じたものと考えられる。
・しかし、読み手と書き手のイメージはズレるのが当たり前であり、読み手は書き手が書いた文章に触れ続けることでしかululunさんを想像する事が出来ない、という洞察は書き手側に必要だと思う。
・去年から引き続いた一連の流れは、「ダブスタ野郎にあらずんばネタ師」という理解のもと、読み手側のイメージを「ululun=ネタ師」という読みへと誘導したのではないか。その結果として、ululunさんが真剣な時にもネタ扱いされるのも、まぁ因果に適ったことではないだろうか。
・このような推測のうえに今回の件をネタとして消化しようとした読み手の人達の行動は、「ネタ師としてのululunだけでもbad imageから救おうとする救命浮き輪」でさえあったのではないか?
・読み手側が構築する「ululunイメージ」に対するululunさんの想像なり類推なりが膨らんでいくことを切に願う。しからずんば、再度の摩擦は避けがたい。
・ここまでululunさんへの言及が盛んであるということは、あなたが多くの人に執着されたり期待されたり愛されたりしている事の裏返しでもある。今回の件はあまり心象の良いものではなさそうにせよ、多くの読者はululunさんの文章を今後も読もうと期待している、筈だ。

 
 ※私なりに大真面目に答えてみたつもりです、ululunさん*6。私は確かに、あなたに「僕の気持ちを裏切ってふざけてdisったな!」と勘違いされるリスクを冒してでも、書いてみましたよ。後はご随意に。
 

*1:そういう意味では、今回比較的誠実で穏健な人達に対してコンフリクトが発生したのは僥倖と言える。例えばこれが、私のような悪者に対して発生したコンフリクトだったとしたら、徹底的にやっつけようと手ぐすねひいていたかもしれないからだ。

*2:またはネットwatch対象宣言

*3:少なくとも私個人は、今回の件でululunさんのブログ運営方針なりネタ師なりとしての株を多いに下げざるを得なかった。

*4:書き手をはじめとするコミュニケーション主体は、自分の蒔いた種に対してどのような読み手の解釈・誤解・分析・批評があろうとも、まず第一の功績と責任は自分自身に帰せられる、というのが私のものの考え方だ。たとい自分自身がシステムに回収され得る存在だとしても、私はやはり個人であり、責任と功績をシステムに回収させるつもりは毛頭無い。

*5:この不満に対しては、「読者側の我が侭であり、読み手側が書き手側を己の願望を満たす装置として利用すべく期待している」という解釈は当然成立し得る。読み手としては、そういった訓戒を胸に書き手に対峙するのというのもひとつの流儀ではある。

*6:関連:http://d.hatena.ne.jp/ululun/20070130/1170123378#c