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シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

オタクに関連した作品紹介(1)『げんしけん』

本家アブストラクト

 
 オタクに関連した作品紹介:第一回『げんしけん』(汎適所属)
 
 以前から、本家のウェブサイトでオタク関連作品のレビューを蓄積させたいと思っていた。第一回はこの『げんしけん』にしました。詳しくは上記リンク先をどうぞ。
 
 
 げんしけんは1990年代〜2000年代初頭にかけての、男性オタクコミュニティや男性オタクサークルを上手に作品化したオタクコミックといえるだろう。作品のエンターテイメント性や筋立て上の都合もあって、げんしけんには幾つもの「ありえないフィクション」が盛り込まれている。そうは言っても、
 
1.オタクのツボを突くべく、それなりにオタ読者が喜びそうな餌を満載している
2.ギャグやコメディのオブラートに包みつつも案外辛辣なオタ的葛藤も描いている
 
 という点では一時代の男性オタクと男性オタクコミュニティの実情を踏まえており、オタクの振る舞いや心理に関して幾つものヒントを抽出することはやはり可能である。
 
【げんしけんのオタク的にファンタスティックな点】
 ・男女比。男くさいオタサークルに、こんなに女子はやってこないし、こんな女子もやってこない。だが、女性キャラクター達を混ぜることによってこの作品は男性オタクサークル当事者以外の人達、ことにオタク趣味にあまり興味の無い人達でも十分楽しめる間口の広さを獲得することに成功している。また逆に、女性に関する男性オタク読者のコンフリクトをあまり深くは穿り出さないガーゼとしての役割も果たしている。(詳しくは本文を)
 
 ・げんしけん内部における、キャラクター間の葛藤の無さ。げんしけんでは、キャラクター間の複雑な心理力動についてはあまり描かれていない。確かに、荻上さん個人や斑目個人の葛藤は描写されているが、キャラクター間の異性や利害を巡るドロドロした部分についてはあまり掘り下げられていない。しかし、それは悪いこと一辺倒というわけではなく、むしろ読者は個々人のキャラクターの個人的葛藤を腰を据えて眺めやることが出来る。
 
 ・そのほか、比較的稀で幸運なイベントが『げんしけん』には目白押しである。だが、そうしたフィクション的要素も『げんしけん』を秀逸なエンターテイメント作品とすることに概ね貢献している、とみて良いだろう。
 
【げんしけんのオタク的に生々しい点】
 ・サークルとしてのげんしけんはファンタスティックな装飾に満ちているが、個々人のキャラクター描写、とりわけ葛藤や行動描写に関しては「あるある」と言いたくなるものが非常に多い。笹原はルーズなオタクのルーズさ加減や「自分だけは一般人的な」覚悟の無さを上手く体現していると思うし、斑目の行動や心理はいちいちオタク的にガチである。オタクが非オタク女性に恋愛感情を抱き、その感情を抱えたまま悶々と加齢していくプロセスとして、斑目はある種のステロタイプを体現している。
 
 ・げんしけんの女性キャラクターは、しばしば男性キャラクターを理解するための触媒として機能している部分が多いわけだが(詳しくは本文参照)、荻上さんの場合、彼女単体でオタクにありがちな葛藤をたっぷりとみせてくれている。同族嫌悪に振り回されつつもオタク的因業から逃れることの出来ない人というのは、男女を問わずにオタク界隈に結構多い。少なくとも1970年代後半以降に生まれたオタクのなかには、「オタクな自分」「オタクな仲間」に対して肯定できない屈折した感情を持つ者が少なくなく、荻上さんのメンタリティは痛々しいながらもオタク達には他人事では済まされないものがあると思う。
 
 

【そんなわけで】
 
 このように、げんしけんはファンタスティックな設定とリアルな描写とが混交しつつも、優れた娯楽作品として完成している。(リアリティだけを貪欲に追求した作品と比べると)いささか理想化しすぎている部分があるとはいえ、理想化しているが故に表現出来ることもあるわけで、1990年代〜2000年代初頭の男性オタクサークルを理解する補助線としてよい作品の一つではないだろうか。(詳しくは、本文にて)