シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

kanoseさん所の二次会と三次会

 
 二次会、三次会はどちらも13〜15名ほどで。とりとめもなく色々な話が出たけれど、PCを持っていなかったので印象に残った話を幾つかアップ。ともかくも、楽しいオフ会でした。皆さんありがとうございました。

  • 二次会までアルコール無しで、三次会(9:40ぐらいから?)からようやくアルコールというのも新鮮な体験だった。アルコールが無いと頭が回りやすいけれども、口が滑りにくい。良し悪しかな、という印象。
  • junkMAさんがまだ二十代前半だという話を聞いてかなり驚いた。二十代前半という年齢層の人が、二十代後半〜三十代にかけての人達の集まりにしょっちゅう顔を出すこと、そしてああだこうだという話に参加していくという事はかなりユニークな経過なのではないだろうか?→良いこともあるかもしれないし、予期せぬ副作用もあるかもしれない。ともあれ、二十代前半でそういう体験をするってのはかなり特徴的な人生行路には違いない、という話に。
  • 異性との交際に関して。

→究極的には、対象異性のニーズや特徴を出来るだけ素早く出来るだけ正確に出来るだけ多方面にわたって把握し、そのニーズや特徴に即した選択を出来るかどうかが問題になるような気がする、と発言した。勿論、その女性側のニーズや特徴があまりにもあんまりな時には、むしろ女性側を遠ざける事が出来るか否かも、情報収集力によって左右されやすかろう。選ぶ/選ばれるはともあれ、いかに対象異性の情報を収集出来るかが男女交際ではクリティカルに違いないし、それはコミュニケーション全般に関しても言えることだろう。
→じゃあそのクリティカルな技術をどう獲得するのか、という話が出てきたわけだけど、それについては語るにあまりにも時間が足りない。が、これは後日それなりの形で言及せねばなるまい。
→同様に、“脱オタクメンタルガイド”とも言うべき、自意識やら劣等感やらに対する方法論も準備されなければならない。が、もうちょっと考える時間が欲しい。

  • 男女交際の失敗蓄積に関して

 失敗の蓄積をどうやっていくのか?について環石館の人とお話した気がする。これについては、後日はてな側か本家側でもっと詳しく書こうと思う。失敗を蓄積させなければ、男女交際なんて一発で上手くいくわけが無いわけで。必要条件としての失敗と、必要条件としての失敗からのフィードバック。

  • 女性のレーダーをナメることについて

 女性の前では繕いもメタ防衛も全部看過されるという前提で行動したほうが、結果としていいんじゃないか?繕いやメタ防衛がバレて得な状況というのはあまりなさげだし、かと言ってそれらを女性側に気付かれないままにすることも難しい。性欲丸出しギトギトというのは論外としても、あまり隠し立てしすぎても良い事はないんじゃないかなぁ。論理の面で女性を煙に巻くのは男は得意だけど、情動や防衛の揺らぎの面で女性に隠し事って出来るのかなぁ。

  • id:furukatsuさんと昇カーストか、脱カーストか、破カーストか、という話について。

→男女交際という次元であれ、何であれ、どの方法が使えるのか?
→昇カーストは、所謂脱オタなどがそれに相当する。個人の方法としては有効だが、マクロの視点でみれば、「似たような立場の人をおいてけぼりにして、踏み台にすらして這い上がる」事に他ならない点は確認しておく。
→脱カーストは、例えば本田透。だけど、これを貫徹出来るのはオタク仙人エリートだけ。
→じゃあ破カーストじゃないかというのがfurukatsuさんの主張。
→破しても新しいカーストが再形成されるorルールが変化するだけじゃん、性淘汰・自然淘汰の足枷をナメてはまずいよとシロクマが指摘。
→じゃあ絶えず固定しないように絶えず壊していけばいいんじゃないかという提案が。
→アナーキーな考え方だ!まあ、furukatsuさんの主張の延長線上としてそういう考えが出てくるのはそれほど不自然なことでは無い、とは思うのだが。
→既存の権益を持っている人、既存の枠組みの中にある人と、この主張は当然ながら衝突することになるわけである点も確認してみた。
 
 余談だが、furukatsuさんはオタとしても相当に功徳を積んでいたように、思える。

  • id:p_shirokumaは、ぶっちゃけ、非モテに優越感を抱いているのか?という質問

 抱いている、と推定するのが適切だろう。「抱いていない」と私が思うのも防衛機制によってマスクされているからと考える。灯台もと暗し、という格言から自由でいられる人間は存在しないからだ*1

  • オタクエリート士官学校と、オタク庶民

 確かに、体系的or/and論壇的にオタクコンテンツを消費する、またはオタクコンテンツと対峙する道というものはあるだろう。また、そういう道に若い頃から入り込む人もいる(士官学校のようなもの)。じゃあオタク庶民が必ずエリートをうらやむかというと微妙な所で、ある程度の年齢まで庶民的に*2オタオタしていた人は、それそういうものとして生きていくので問題は無いんじゃないか、という話に。
→ただし、オタク趣味世界にある種のヒエラルキーを要請している人にとって、エリートオタクは劣等感を生み出す源として顕れるかもしれないし、自分自身がそのエリート化していくことに血道を上げて優越感を集積させることになるかもしれない。
→結局のところ、執着の多寡や自意識の強弱の問題に集約することが出来るような気がした。それらの折り合いがつかない人達は、どこにいても執着と自意識に引っ張られて走り続けるだろう。または、引っ張り回されて疲弊してしまうだろう。
→さて、自意識に引っ張られて走り続ける人と、自意識に引っ張り回されて疲弊する人を分ける分水嶺は?分水嶺はいったい何だろうか?そしてどこにあるのだろうか?あなたなら、どう答えますか?

  • 「キミキスはいい…」

 id:matakimikaさんは例によって冴え渡っていて、id:junkMAさんとのやりとりもつきづきしいものだったわけだが、その中から一つピックアップしてみよう。
 
 「キミキスはいい作品ですよ。あれは、そっち系の中学生が高校生活を妄想して童貞をこじらせるにはぴったりの作品ですよ。いやぁ、キミキスはいい…」
 こんな主旨の、こんな雰囲気の発言を、首を三十度ほど傾けながら、腕を組みながら語るmatakimikaさん。雪舟の掛け軸の素晴らしさを絶賛する爺さんのような面持ちでキミキスを(しかもこういう内容で)賞賛出来る人は、世の中にそういないだろう。

  • 音楽好きにとって、I'veの音楽はアリか?

 「アリでしょう」と即答した人がいた!他の人達の発言から察するに、聴く音楽にヒエラルキーを規定している人、聴く人間にヒエラルキーを規定している人にとって、エロゲーソングやゲーム音楽を良いものとすることは我慢ならないことかもしれない、が。
→これに関連して、菅野よう子・坂本真綾あたりの音楽を崇拝する一派において、中二病的優越感ゲームが鮮やかに観察される話が出てきた!オラワクワクしてきたぞ!
 
 他にも色んな興味深い話があったと思う。他の皆さんはどうでしたか?
 

*1:あと、2001年頃の本家のテキストには明らかに優越感を検出することが出来る。こういった検出は文章の形で残っていて、尚かつ当時の自分と今の自分との間の相違を観測出来てはじめて分かる事でしかない。

*2:人によっては「庶民的」の所に、もっと違った単語をあてがいそうではある