シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

はてなって、強迫的な清潔感を漂わせた住人が多い村ですね。

 
 はてなに来てまもなく一年になる僕だけど、このはてな村に来て以来、「強迫的な清潔感を漂わせた人」に出会って面食らうことが何度となくあったように記憶している。「強迫的な清潔感を漂わせた人」の類型を挙げると、
 
・例1:倫理観・リテラシーの潔癖者
 何はなくとも、倫理観やリテラシーを最大限尊重することに熱心な、いや強迫的な人達。彼らは塵一つ落ちていない倫理観・リテラシーを理想として提唱する。ときに、過剰な傾倒故に倫理観・リテラシー以外のものが犠牲になることもある。最もお粗末な場合、或る視点からみた倫理観の最大化に拘るあまり、他の視点からみて倫理観・リテラシーを滅茶苦茶に踏みにじっている(そして当人は気付かない)ことも。
 
・例2:客観性・論理性の潔癖者
 テキストが客観的なものか、論理的なものかどうかに過度に執着する人達。彼らは「ポエム」「どうみても感想」といった類のテキストであっても、客観性・論理性の有無に拘って読み取ってしまい、挙げ句の果てに「客観性の乏しい駄文」とか言い始めてしまうことがある。空気を読まずに、和気藹々としたコミュニティに平然とディベートをふっかけて煙たがられることもある。
 
・例3:中立性・政治的中立性の潔癖者
 議論が政治性・扇動性を帯びないように注意深く行動することに神経質な人達。何食わぬ顔で政治性・扇動性を強く帯びたテキストを吐き散らす人達に眉をひそめ、ときに軽蔑する。実のところ、コミュニケーションを通して他人にエフェクトを与えてしまう事を恐れているだけのようにみえるが、勿論純粋な政治的ゼロなどコミュニケーションの場において存在する筈もなく、「中立中立!」と喚くこと自体の非中立性や、議論に際して中立性を声高に唱えることの戦術性にいつも彼らは絡みとられている。このタイプの最も程度の悪い人の場合、「お前は扇動者だ。俺はそうじゃない」と言っているご自身が極めて煽情的で偏った思想の主義者であることも。
 
・例4:純愛性・精神性の潔癖者
 男女交際や友情の話になると、純愛性や精神性をやたら尊ぶ人達もいる。彼らは肉体的歓楽は唾棄すべきものとして嫌悪し、なんだかよくわからないんだけど「精神的結びつき」とか「プラトニックななんとかかんとか」なるものを尊ぶのだ。勿論こうした人達においては、“顔とボディであの娘に惹かれた”“勃っちゃった”などという事はあってはならない事か、程度の低いこととみなされる。性的な願望を、直接望んではいけないみたいですね。
 
 このような潔癖性がはてな界隈では多々見受けられるような気がする。どこかの女子高生の小さなブログがいっぱいの所とかに比べると、はてな世界で目につくテキストは、小さなダイアリーから有名ダイアリーまで、どうも泥臭くない、清潔好きの、強迫的潔癖者が多くみうけられるように思えてならない*1。倫理やら、中立やら、精神性やら、娑婆の混濁のなかでは(一定の位置を占めつつも)完全ではあり得ないものに対して、妙に拘る人達が多いように見受けられる。そして、私のようなカオティックな人間が「そんな純色なんてありえねーよ。ほれ、混濁をみせてやろう」と呈示すると、いい感じで反応して下さるのだ。
 
 はてな界隈の人達が、どうしてこんなに強迫的な清潔感を各分野で漂わせているのかを突き詰めていくと、潔癖ダイアラー達の精神病理を掴む面白いヒントになりそうだ。単に彼らが年少の世間知らずだから理想論を弄んでいる、とは私は思わない。なぜなら、もっと若くて、もっと汚濁に満ちたサイト・ブログは幾らでもあるからである。また、彼らが深く考え思考を純化させているから潔癖なのだという発想も退ける。頭の悪い子が極端に潔癖な場合も多々みられるし、深く考えてはいるけれども汚濁を遠ざけずに引き受けているブロガーもいる(例:noon75さん)。
 
 となると、彼らの強迫的な清潔感は、やはり独特の傾向であり、何らかの心的傾向を反映したものに違いない。それがどのような心的傾向を反映しているのかは、敢えてここでは書かないが、しかしはてな村にはそういった御仁が多く、私のようなカオティックな人間としばしば意見対立することになるのである。
 

*1:お前の巡回先がそうなんだって?いや、人気エントリの欄や注目エントリの欄をみていてもこれはいつも思う