シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

オタにつける薬としての惑星開発委員会の問題点と、副作用情報

 
 こちらのテキストでは、治療薬としての『惑星開発委員会』が、標的オタクの中枢神経に適切にdeliveryされにくいであろう要因や、副作用について考察してみる。また、可能な範囲で、それらの弱点に対してどのような対策が可能なのかも提案してみる。
 

1.中学二年生のオタクが読むには難しすぎる
 彼らの想定する“中学二年生”とは、どのような人達なのだろうか?豊富な注釈があるから大丈夫、というわけにはいくまい。あの内容で果たしてどれだけの中学二年生が読みこなすことが出来るのか?エリート中学生ならともかく、並みの中学二年生はもちろん、凡百の動物化した大人のオタク達にとって『惑星開発委員会』は読みやすい読み物だろうか?(後述する)優越感ゲームの材料として誤読消費される可能性云々以前として、『惑星開発委員会』の挑発は本当に“中二並みの脳みその大衆”に飲みこなせる難度設定なのか、私は疑問に感じている。どうなんでしょうか?もし「中学二年生にも読めるように」と真顔で考えてあの文章構成と内容だとしたら、ちょっとなぁと思わずにはいられない。
 

 →対策
 読解の難度を下げる。お手本として挙げたいのは、『脱オタクファッションガイド』ぐらいの難度。あれぐらいの難度なら、治療薬としての『惑星開発委員会』は本当の意味で中学二年生でもラノベしか読めないお友達にも内服可能になるのではないだろうか。そこまで易しくしないにしても、難しいタームを他の表現で言い換えるだとか、幾ばくかのリスクを冒しつつも大衆向けにやれる事はある筈。難度を下げるにあたっては、秀逸なオタク文芸論のクオリティを維持する為に、オタク作品のレビューなんかの部門と治療薬の部門を(本単位か章単位で)はっきり分割する事をお勧めしたい。または、「この治療薬は、頭の良い中学二年生なら飲みこなすことが出来ると思いますが、頭の悪い子や心の悪い子は適用外です。」と、はっきり注意書きをしておく。そこまでいくと拙いというなら、せめて自分の創った薬の適用がどの辺りの層で、どの辺りに大して“無効または有害”なのか明記しておく、というのはどうでしょうか。
 
2.“教養という環境”を取り揃えることが可能なオタクが限られている。
 教養という環境を整備する方法論に関しても、読み手の能力的な問題が障害となりやすい点に注目しておきたい。世のオタク達のなかに、(オタク趣味の教養化という意味でも、非オタク分野にも目を向けるという意味でも、教養という言葉が期待され得る一連の分野に目を通すという意味でも)“教養という環境”を整備出来る人間というのは実は限定されていると思う。“教養という環境”を整備するには、それなりの脳味噌の性能が必要かもしれないし、それなりの時間が必要かもしれない。動物化したオタクという揶揄の似合う人達は、そもそもこうした教養を蓄積させるポテンシャルを持ち合わせていないのではないかと私は疑う。平均的な大衆は、教養などというものを蓄積させられるほどには賢くないし、消費は知っていても蓄積を知ることはない。よもや、「人間は賢い」などという素朴な信仰を持っているほど世間知らずというわけでもない以上、これはどういうことなのかな、と思う。(『惑星開発委員会』の説くところの)教養を蓄積させられる人間って、どれぐらいいるんだろうか?
 
→対策
 “教養という環境”を整備する事自体は好ましいことで、狭いオタク井戸のなかで「誰が一番高く跳べるのか」という蛙達の優越感ゲームに気づきを与える良い方法だと思う。とりわけ高く飛べる蛙さんならば、教養を蓄積させることによって判断の幅を広げて井戸のなかを外からまなざす事も成功するやもしれない。だがいかんせん、『惑星』が提唱する教養解毒剤を飲み込めるオタクは、素養なり環境なりに相当恵まれた存在に違いない。または、オタク井戸にすがりつかずにはいられない心的傾向の束縛からある程度フリーな存在に違いない。残念ながら、素養・環境・心的傾向の故に教養にアクセス出来ない“大衆”は数多い。というかそういう“大衆”こそが“大衆”を“大衆”たらしめている多数派だと私は思う。だとしたら、“教養という環境”を整えることで自ずと井戸から抜け出るという方法論が“大衆”のなかのどの辺りのレイヤーまで適用可能なのか、研究したり開示したりしていくのが望ましいのではないだろか。望ましい作用が期待できる層と、“幾ら頑張っても無駄/そもそも頑張れない”層を場合分けすることによって、治療薬としての安全性と有効性を明確にすることは出来ないだろうか、と思う。
 

3.現在の『惑星開発委員会』のままでは、防衛機制に弾かれるリスクが高すぎる
 一方、オタクコンテンツに対する論壇ごっこに興じている人達のなかには、教養をかき集める頭の良さと環境は持っているけれども、オタク界隈で優越感ゲームに興じなければ自分を保てない気の毒な人達も少なくない。こうした人達こそが、まさに『惑星開発委員会』が蒙を啓かんとターゲットにしている層だと私は推定しているが、彼らは心的スペック上の制約から、オタク界隈で優越感を備給せずにはいられない日々に雁字搦めになっている。挑発的な『惑星開発委員会』という治療薬は、果たして彼らの中枢神経に的確に配達され得るのだろうか?否。直面化に対して、さらなる防衛を展開するだけ*1ではないだろうか?
 
 →対策
 臨床レベルの話としては「事実を突きつけりゃ“気づき”に繋がって治療になる」という考え方はあまり現実的ではない。厳しい言葉で直面化を迫ったところで、どうせ防衛を一層強固にしてしまうだけだ。もしも直面化技法を通して彼らの行動に影響を与えようと思うなら、まず直面化をクライアントが受け容れるだけの下地作り(苦い薬でも飲んでくれそうな良好な関係性の確保、などなど)が必要だし、防衛によって回避されている葛藤に当人が耐え得るのかどうかの推定も出来るだけ行わなければならないと思う。
 
 喩えるなら、「プールの嫌いな子をプールに誘うにあたって、十分仲良くなっておく事・プールに入って心臓発作起こさない子か確かめておく事」という事になるだろうか。もし、善良な市民さんが“彼ら”を“社会復帰”させようとまともに考えているなら、北風戦術よりも太陽戦術をとったほうが良いと思う。少なくとも、自説をより多くのオタク(少なくともターゲットとするオタク)が吸収しやすいよう、もっと工夫出来るんじゃないかな、と。
 
 なお、北風戦術、という私の表現に万が一にもピンと来ない程度に鈍感なんだとしたら、治療薬の開発はもうやめたほうがいいと思う。もしそうだとしたら、言葉で施術を志す人間としてはセンスが無さ過ぎる。けれど、多分そんなことは無いのだろうと私は疑っている。あの高圧的で見下ろすような直面化も、“修辞上の戦術”ですよね、善良な市民さん?
 

4.『惑星開発委員会』そのものがオタク達の優越感ゲームを牽引する番長として機能してしまう
 『惑星開発委員会』の善良な市民さんは、極めて強大である - シロクマの屑籠で記した通り、『惑星開発委員会』の批評活動はとても質が高く、善良な市民さんの論評テキストはどれもこれも素晴らしいクオリティを誇っている。1970年代後半生世代からの発信という視点からみて、文句なしに喜ばしいことであり、『惑星開発委員会』と善良な市民さんの今後の活躍に私は期待しまくっている。彼らの主張は優れた洞察に満ちているだけでなく、なんというか、恰好良い
 
 しかし、この、アニメ(とサブカル)評論としての『惑星開発委員会』の凄さと魅力は、治療薬としては好ましいことではないように感じられる。なんというか、副作用が強いというか。とりわけ、『惑星開発委員会』という一冊の本に強力且つ恰好良い*2評論と、治療薬がごたまぜになっているのはまずいんじゃないだろうか。
 
 何が言いたいかというと、善良な市民さん達が望むと望まざると『惑星開発委員会』の評論が恰好良くて読み応えがありすぎて、アニメをしたり顔で評論する人達の優越感ゲームの具として消費されちゃうんじゃないかな?と懸念するわけである。クールなオタク評論を前にした時、サブカル的ヒエラルキーのなかで優越感ゲームをやらずにはいられない人達は、防衛機制を解こうとする代わりに、自分のステータスや優越感ゲームの材料として消費しはじめちゃうんじゃないだろうか(もし、強烈な同族嫌悪を呈するのでなければ)。具体的には“『惑星』読んでないなんて遅れてるぅ!”とか、『富野ガンダムはVが最高傑作だねw』みたいな。『惑星開発委員会』をバイブルにした信者達が、界隈のなかで優越感ゲームを続ける可能性を私は警戒する。
 
 『惑星開発委員会』の高圧的な論調が、こうしたサブカルヒエラルキー連をアトラクトする為の意図的な小細工なんだとしたら、そうした恰好良さと引き替えに『惑星開発委員会』の治療薬としての副作用は増大せざるを得ない*3。いや、意図的に小細工していなくても、結果としてそうなっている。皮肉なことに、『惑星開発委員会』がオタク評論として秀逸であるが故に、オタク評論に引きこもる中途半端に濃いオタ達の優越感ゲームの素材として消費される可能性が高くなっているって事はないものか。防衛機制を固める材料として消費される事は、善良な市民さんの望むところではあるまい。しかし、あなたのスタンスと供給コンテンツは、或る種の人達の脳みそを空っぽにしてしまう程度には恰好良すぎる*4。自意識過剰と言われるリスクを冒してでも、そこの所に言及してみて欲しいなぁと思う。今更、自意識過剰って言われてどうこうって事もないでしょ?
 
 →対策:
 オタク/サブカルチャーに関するdiscussionと治療薬部門を別々にし、後者に関してはわかりやすくて副作用の少ない創薬を計画する。治療薬部門では高圧的なレトリックや引用を控え、それこそ大衆書らしい仕上がりを目指す。た、オタク評論部門における自分達の恰好良さを確認したうえで、自分達の座標系が(動員の有無に関わらず)ある種の優越感ゲームプレイヤー達に与える影響について意識的かつ明示的であって欲しい。
 
 個人的には、オタク作品論評部門に関しては尖って恰好良い『惑星開発委員会』で有り続けて欲しいので、こういう分業をはっきりさせて、治療薬部門の副作用の軽減とdiscussionの恰好良さを両立させて欲しいと切に願う次第。
 

5.具体的にどうやってオタク井戸の優越感ゲームから脱出するのか書いてない 
 紙幅の都合を考えれば無いものねだりも同然なんだけど、『惑星開発委員会』には現実回帰に際しての具体的アドバイスが載っていない。善良な市民さん達は、狭いオタク井戸(やサブカル井戸)のなかでヒエラルキーごっこと補償行為に明け暮れている人達に対して「やばいやばい現実に帰れ」と呼びかけてはいるものの、“やむにやまれず現実逃避している人達”を帰りやすくする為の具体的技術論は展開していない。また、やむにやまれず現実逃避している事情なり何なりについて配慮や考慮しているかというと、ちょっと怪しい。こうした道筋の不足なり配慮の不足なりは、治療薬としての『惑星開発委員会』を受け取る側の危機感と不安感だけ煽るだけで、むしろ一層安易な抗不安サプリメントに逃避させる契機にすらなりかねない(参照:「ゲーム脳」と類似の構造式の抗不安サプリメント達 - シロクマの屑籠)。もしそうだとしたら、いつまでたっても防衛機制の縦深陣を突破することが出来ない。
 
 →対策
 心的葛藤を緩和する方法や、「彼らが現実に帰るにあたって不足しているもの」を補う方法について、何らかの考察を展開する(もしかしたら、既に 企画してたりして)。また、逃避している人達をこき下ろすだけでなく、彼らが逃避せざるを得なかった事情や理由について検討し、彼らが直面化に際して他の防衛機制に逃げずに不安少なく受け容れられる方法を考える。
 
 ちなみに私個人は、ルサンチマーンなオタが教養を蓄積させたところで結局オタク論評エリートが一人誕生するだけで、オタクの自己実現を恋愛や仕事に向けさせるには至らないと考えている。井戸のなかの優越感ゲームに魂を奪われ十分に堕落した人達は、その延長として今度は教養を優越感ゲームの具にして、オタク/サブカル界隈で番長−舎弟ごっこに興じるんじゃないかと危惧している。それじゃあ善良な市民さん達の提言とは正反対の結果を招来しちゃうんじゃないかな、と。彼らはきっと教養をも防衛の具にしかねないし、教養の蓄積にあたって葛藤を回避するようなチョイスを働かせるものと推測される。
 
 案外、技術論などという工学的営みはほっちらかしてこちらに任せてしまってもいいのかも、と思うこともある。そこまでいかなくても、自分の手法が届かない人達について明示しておくのもいいかもしれない。
 

【治療薬としての『惑星開発委員会』は副作用が多く適用症のレンジも狭い】
 
 少なくとも以上のような制約を『惑星開発委員会』は抱えており、そのことが治療薬としての利便性に大きな影を落としていると私は考える。読者の知的/心的スペックを過大評価している部分や、『惑星開発委員会』のオタク論評部門が恰好良すぎる為に発生する副作用の部分、そして技術論の不足などなどを解決するか切り離すかすれば、『惑星開発委員会』はより有用性の高いツールとして推奨されることになるだろう。
 
 一方で、『惑星開発委員会』は当世オタク事情考察やオタク作品論評においてめざましい活躍を示しており、そちらのほうでは益々の飛躍が期待される。治療薬部門に配慮するあまり、論調が萎えてしまったり、“恰好良さ保持スタンス”に翳りがみえたりしてはつまらない。なので、オタにつける薬としての『惑星開発委員会』と部門を別にしてでも、今後も尖った主張を続けていって欲しい。
 
 現在の『惑星開発委員会』は、オタにつける治療薬としては問題だらけでろくに内服できっこない状態だ。だとしたら、治療薬という看板を降ろしてしまうのも悪くない。オタにつける薬は『惑星開発委員会』以外でも創薬出来るかもしれないが、『惑星開発委員会』には、他の誰にも真似出来ないことがある。だとしたら、治療薬部門をいっそすっぱり諦めてしまうのも手かもしれない。少なくとも、上に挙げた問題点にパッチをあてる目処がたたないとすれば、『惑星開発委員会』という治療薬は飲み下すのも大変なうえに副作用(例えば『惑星開発委員会』などを頂点とする教養サブカルヒエラルキーへの編入も含めた、防衛機制の上塗りや強化)も強く適用症もはっきりしないままという事になってしまう。これは、治療薬としては大変勿体無いことだ。今回私なりに、問題点を抽出して対策を考察してみたわけだけど、もしこれらの具申が『惑星開発委員会』の創薬部門に僅かなりとも貢献できるとしたら嬉しいなと思うし、それによってオタ達の社会的予後に好影響を与えやすくなるならもっと嬉しい。
 
 まぁいいや、とにかく書いた。疲れた。がんばった。
 今の私が善良な市民さんに何か出来るとしたら、こんなところだろう。
 読んでもらえるかは分からないけど、多分気づいてもらえるだろう。
 

*1:とりわけ、防衛機制のなかでも合理化が発生しやすいと私は推測する→オタクにみられる防衛機制、合理化・知性化(汎適所属)。 善良な市民さんがvol.02で繰り返し指摘している、「オタ達が直面化を喰らった時に承知済みという言い訳をする」現象も、合理化のカテゴリに分類可能だと思う

*2:ちなみに、動物化したオタクほかをこき下ろすスタイルや色々ない引用などは、敷居の高さ・治療薬としての『惑星開発委員会』のコンプライアンス低下etcと引き替えに、善良な市民さん達の恰好良さに貢献していると思う。単に論評が優れているばかりでなく、つっけんどんで“可哀想な連中は可哀想だ”と言い放つ姿勢は、『惑星開発委員会』の御利益にすがりながら優越感ゲームを展開しようなどと考えるさもしい連中を惹きつけかねない。

*3:また、前項の通り、直面化技法としても上手くない

*4:だから、たとい動員をかけなくても、善良な市民さんと『惑星開発委員会』の周りには有象無象の動員兵が群がってきて、粗悪なコピーロボットごっこをやらかすんじゃないかと懸念する。[参考:惑星開発委員会vol.02、P228-229]意図的に動員をかける事と、存在が結果として動員しちゃうのではまたニュアンスが違うことは承知しつつも、自分達の存在が発信するだけで、既にある種の人達を舞い上がらせちゃっている事には自覚的かつ明示的であって欲しいなと私は思う。