シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

エロゲー系ビジュアルノベルの作法に則って『ひぐらしのなく頃に』を弁護する

 
【警告!】このテキストは若干ネタバレを含んでいます。『ひぐらしのなく頃に解・第八章祭り囃子編』までを鑑賞したことのある人以外は読まない事をお勧めします。最低でも『第七章・皆殺し編』までを鑑賞したうえでご覧になったほうが良いと思います【警告!】
 
 『ひぐらしのなく頃』が完結して一ヶ月が経った。盛り上がりの果てに賛否両論吹き荒れる結末を迎えた本作品。前半部からもう一度読み返してみたが、なんだやっぱり面白い。抜群のエンターテイメントだ。細かい点はともかくとして、大まかなギミック*1は殆ど首尾一貫しているし、それを前提にした思い切った描写が第一章〜第四章にも為されていると再確認した。整合性がどうこうとアラをつけている人もいるけれど、八章もの長丁場において大まかな一貫性を維持出来たことは素直に評価しておいてもいいんじゃないかな、と思う。
 
 さて、この『ひぐらし』には批判が色々突きつけられている。もしかすると竜騎士07さんには大きな心労がかかっているかもしれない。だが、こうした批判をどこまでストレートに受け止めたほうが良いのか、微妙な所だと私は考えている。正直、「これはファンタジーです」と強弁して耳をふさいでしまうのも一興かもしれない。少なくとも、ビジュアルノベルの作法に則って評価するならば、『ひぐらし』という作品は文句なしに優れた作品であり、ビジュアルノベル史に残る新しいことすら成し遂げたと言ってしまっていい。以下、『ひぐらしのなく頃に』をエロゲー系ビジュアルノベルという枠組みに則って弁護してみたい。そのうえで、『ひぐらし』に突きつけられた批判をどう受け止めるのが適当か、私見を付け加える。
 
↓以下をクリックすると、ネタバレ記事が広がっています。
 
【1.エロゲー系ビジュアルノベルらしい、オタを喜ばせる描写・構造】

 まず、『ひぐらし』がエロゲー系ビジュアルノベルの系譜を継承した、オタクを喜ばせそうな仕組みに満ちた作品である所を賞賛してみる。『月姫』のシエル先輩を筆頭に、各種オタク作品を連想させる気の利いた引用に充ち満ちた本作品は、読者のオタク知識・経験に応じてニヤニヤ出来る悪戯書きに満ちている。竜騎士07さんはオタ的造詣が深い人らしく、引用作品と引用方法の面で「よくわかっている」と思う。作品内のどの辺りでどこまで描写しても構わないのか、かなりよく研究してやっているんじゃないだろうか。この辺り、しっかり手を抜かずに創ってある。
 
 また、2006-09-13 - BLUE ON BLUE(XPD SIDE)跡地でも触れられているとおり、エロゲー系ビジュアルノベルにおいてはシリアスな描写・精緻な描写と笑える描写・曖昧な描写が並立していることが許容されるし、許容どころか推奨すらされるとも言えるわけだが、『ひぐらし』もまたこの辺りをしっかり踏襲している。この、火曜サスペンスとも推理小説ともギャグ漫画とも違う特有の“湯加減”は、エロゲー系ビジュアルノベルという評価軸においては評価に値するものだと思うし、『ひぐらし』はその湯加減が抜群である。主たる消費者と目されていたオタク界隈の人々が咀嚼しやすくするうえ*2で、こうしたシリアス/ギャグ&精緻/曖昧を混在させる手法は有効な戦術だと思う。
 
 ただし、『ひぐらし』をエロゲー系ビジュアルノベルの延長線で捉えなかった消費者にとってはあまり有効な戦術ではなかったとは思うし、ここが批判される事もあったかもしれない。
 

【2.手抜きな絵だけど記号的には洗練されたキャラ絵】
 既に語っている人も多いだろうが、『ひぐらし』の手抜きな立ち絵は、あれはあれで素晴らしいものだと思う。有名な“ショッキングな表情”の変化も十分凄いけれど、いい加減な手の描き方も効果的なものだった。キャラクターのどこを見てオタク達がキャラの弁別を行っているのかを考えた時・キャラクターから記号性を抽出し脳内で加工して萌えてしまうオタク独自のシミュラークルを考えた時、あのようないい加減な描写はむしろキャラクターを妄想するうえで有利ですらあったかもしれない*3
 
 他の『萌えメディア』でも既出だが、髪や目の色・服装・年齢・言葉遣い、といった記号性さえくっきりしてしまえば、後は消費者たるオタク自身が脳内妄想で自由に脚色してくれる。“必要十分な記号性がくっきりして後はいい加減なキャラ絵”という手法は、オタク界隈において確立したものだと思うし、『ひぐらし』はこの点においても既存作品の財産を忠実に継承していると思う。幸い、人気が出てからは二次創作のほうで様々なタイプの精緻な描写が出回ったので、どうしても細かい描写が欲しいと思ったオタクのニーズも十分満たされたと思う*4
 

【3.エロゲーの歴史に照らすと、おやしろさまも、“東京”も、メタ視点も、不自然ではない】
 『ひぐらし』が最も批判されやすい幾つかのポイントも、エロゲー系ビジュアルノベルの枠組みからみれば極めて自然なものとして捉えられる。終盤、おやしろさまや“東京”といった荒唐無稽な代物が出てくる展開はビジュアルノベルの世界では全く普通なことであって、今更憤慨するようなものではない。ビジュアルノベル慣れしている人にとっては、こうしたギミックが後から明かされることは「破綻」ではなくむしろ「予定調和」ではなかったか。ひぐらしをビジュアルノベル以外の作法で評価するならば、確かに「出鱈目」かもしれないし「推理じゃないよ」となるかもしれない。しかし、ビジュアルノベルとして評価するならばそういう文句を言う必要はあまり無い。エロゲー系ビジュアルノベルとの付き合い方や作法に馴染みが無く、推理小説の作法で付き合おうとした人から見て噴飯モノかもしれないけれど、『ひぐらしのなく頃に』の生まれ故郷においては、elfやleafの時代からごく自然なモノだった事を指摘しておきたい。
 
 各章を橋渡しし、第七章以降はっきりしてくるメタ構造に関しても、これはエロゲー系ビジュアルノベルにおいては全く珍しいものではない(むしろ、ひぐらしのメタ構造は陳腐ですらある)。こうした構造が批判の対象になるような事態は、『ひぐらし』がエロゲー系ビジュアルノベル以外の作法で消費される事となった以上不可避には違いないものの、エロゲー系ビジュアルノベルというジャンルにおいては違和感の無いギミックだった点に私は注目するし、少なくとも当該ジャンルにおいては減点対象にはならないなぁ、と思う。まして、一章から八章まで一貫した造りになっているなら。
 
 こうしたエロゲー系ビジュアルノベルの作法を無視し、(例えば)推理小説の枠組みでビジュアルノベルとしての『ひぐらし』を批判するなどという行為は、「メロンを評価する枠組みで甘いトマトを評価する」「少女漫画の作法で少年漫画の作法を批評する」のに似ている所があると思う。まぁ、生まれて初めてトマトを食べた人の場合には致し方のない事かもしれないし、“トマトをメロンと勘違いさせた”ひぐらしは罪作りな作品とは言えるだろうけれど。
 

【4.第七章をtrue end、第八章をhappy endとして捉える作法】
 『ひぐらし』に通底する“信頼すればするほど良い結果が生まれる”というファンタジーに則った形で、第八章祭り囃子編は、ほぼ完全なハッピーエンドを迎えた。このハッピーエンドに対して、「読者の声に流された」とか「出鱈目」だのといった批判も出てきたが、エロゲー系ビジュアルノベルの作法に則って評価するなら、やはり了解可能かつ予定調和的な(そしておそらく理想的な)結末と捉えるのが筋ではないだろうか。
 
 エロゲー系ビジュアルノベル(とりわけLeafの『雫・痕』以降)においてテンプレート化された技法のなかには、エンディングをシリアスなtrue endと幸福なhappy endに分岐させるというものがあると思うが、このエンディング分岐に即して『ひぐらし』を捉えてみれば良い。第七章皆殺し編のエンディングはtrue end、第八章祭り囃子編のエンディングはhappy endとしてあまりにもしっくり来る。最適の選択肢を選び尽くして迎えた第七章のジェノサイドがtrue endで、先手必勝の戦術で事件が未然に防がれた第八章がhappy endと捉えるなら、違和感が俄然なくなるのではないだろうか?
 
 少なくとも私は第七章の終わりに、「ははぁ、これはtrue endで第八章がhappy endだな」と目星をつけることが出来たし、だからこそ第八章のエンディングを気楽に受け止めることが出来た。もし、第七章を単なるbad endと捉え、第八章にtrue endだけが来ると思っていたら、私もブーたれていたかもしれない。だが幸い、これまでの第一章〜第七章までのうちに『ひぐらしはエロゲー系ビジュアルノベルの伝統を受け継いだ作品』という雰囲気が濃厚だったが故に、私はごく自然にエロゲー系ビジュアルノベルの作法に則って作品を解し、そして難を逃れたというわけである。私と同様に第七章をtrue endと捉え、第八章にはhappy endが来ると予測・期待したオタク諸氏においては、『ひぐらし』第八章の、ちょっと無邪気すぎるエンディングも、決して期待にそぐわないものだったのではないか。作品内の各種ギミックを守りつつも、キャラクター全員がhappyなエンディングを迎えるという結末は、エロゲー系ビジュアルノベル的には完全に“アリ”だし、その前段階として第七章がtrue endの機能を果たしているとなれば尚更である。
 

【まとめ】
 以上、エロゲー系ビジュアルノベルの作法の則る形で『ひぐらしのなく頃に』を弁護してみた。例えば(ビジュアルノベルの書式を借りた)“ミステリー”として『ひぐらし』を捉えた人が苛立つような特徴・ギミックも、あくまで“エロゲー系ビジュアルノベル”『ひぐらし』を捉える人には不問に付されたり、むしろ都合が良かったりする部分が多々あると思うし、ジャンルの枠内ではむしろ高く評価すべき所があるんじゃないだろうか。本作品はエロゲー系ビジュアルノベルの作法に則って評価する限り極めて良質のエンターテイメント作品に違いなく、第七章、第八章の構成に関してもエロゲーのエンディングにみられるtrue end/happy end分岐に即して考えると違和感が少ない。八章もの長丁場に渡って幾つかのギミックを貫き通し、ビジュアルノベル的に了解可能な範囲を逸脱しなかった『ひぐらし』を、私は改めて評価したいと思う。
 
 一方、エロゲー系ビジュアルノベルという作法の外側から『ひぐらし』に投げかけられた批判や“ボタンの掛け違い”をどう捉えるべきだろうか。もしも、『ひぐらし』をエロゲー系ビジュアルノベルというジャンルの内側に位置づけるなら、外側からの批判・誤解に敏感になる必要はなく、竜騎士07さんは門外漢の批判に動ぜずに作品を創ればいいんだと思う。きっと、次回もエロゲー系ビジュアルノベルの系譜に沿った、良質のエンターテイメントを提供してくれることだろう。
 
 だが、もしも竜騎士07さんがエロゲー系ビジュアルノベルというジャンルを超えて作品を発信しようと目論むなら、今回『ひぐらし』に集まった門外漢達の批判を十分に検討して、エロゲー系ビジュアルノベルの枠付けを超えられる造りに作品を改めなければならないだろう。今回の『ひぐらし』が実証したように、エロゲー系ビジュアルノベルという作法を知らない人達はエロゲー系ビジュアルノベルで通用する幾つかの作法や技法を了解してはくれないし、説明したところで(多分)納得して貰えない。エロゲー系ビジュアルノベルとして確固たる評価を築くのか、外側に打って出るのか。竜騎士07さんの次回作は、さてどうなるのだろうか?
 

【今後の竜騎士07さんの展開について予測する】
 個人的には、竜騎士07さんはエロゲー系ビジュアルノベル作者としての位置に居残って“エンターテナー”として活躍して欲しいと思う。実際、竜騎士07さんはオタ的教養とビジュアルノベル制作において突出した人なんであって、文学だのミステリーだのといった次元においては、素養はそれほど突出していないんじゃないだろうか*5。個人的には、エロゲー系ビジュアルノベルという枠を完全に飛び越えるだけの跳躍力は竜騎士07さんは無いんじゃないかと思う。むしろ、彼特有のオタ特性を生かし、今後もエロゲー系ビジュアルノベルのテンプレートに頼りつつ“ちょっと型を崩してみる”ぐらいが丁度いいんじゃないかなぁ。無理に背伸びしなくても優れた作品を創る道はあるし、無茶をしすぎればエロゲー系ビジュアルノベルという枠組みの持ち味を失いかねない事ぐらい、承知していらっしゃることと思う。勿論、エロゲー系ビジュアルノベルという枠を(今更)恥ずかしがる必要も無い。外部の評価に左右されず、竜騎士07さんの持ち味と長所を生かし切った創作を、どうか。
 

*1:とりわけ、オヤシロさまの存在・“東京”の存在・信頼するほど成功率が高くなるというファンタジー構造など

*2:または、作品とオタク消費者との距離感を適切なレベルに保つうえで

*3:ついでに、第一章でドアに挟まれた後のレナの手のことも思い出すと良いかもしれない。

*4:なお、同人界で様々なシミュラークルが沸くのも、キャラの造詣がファジーで制作者の想像力を注ぎ込む余地があるからなんじゃないか、と私は考えている。そもそもアニメ絵そのものがファジーだ。

*5:例えば第八章をはじめ、時に2chの説教師の如き説教臭さを呈するあたりも、竜騎士07さんの素養がどっちを向いているのかを示唆する重要な所見だと思う。竜騎士07さんは、やっぱりオタなコンテンツをオタ然と提供するのが上手い人なんだろう