シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

『愛は地球を救う』を嗤うなら、自分の事も嗤っとけ

 
 ああ、今年も『愛は地球を救う』が始まりました。虚飾の演出と大々的な募金活動は、去年のホワイトバンド同様、実際にどれぐらい「地球を救う」かはともかくとして「自分が地球人類になにかやったような気分」を提供してくれます。本当にありがとうございます。
 
 実に素晴らしい娯楽番組ですよね、『愛は地球を救う』って。
 テレビをみているだけで、“なにかわかったような気分”になるし、“なにかをやったような気分”になれます。間寛平に涙を流している自分は人間的だ。地球はものすごく大変だ。千円ぐらい募金しようか。募金した!なんて良い気分!自分は人間の未来を憂いているいいひとだ!いいひといいひと!ああ、スーッとしてきたぁ!
 
 年に一回だけチャリティー番組を見て、募金の何%が実際に貢献するのかを確認もせずに募金をやって…そうやった見返りとして自分に得られるものの大きさを思う時、これはこれで優れた娯楽番組と思わずにはいられません。副産物として、実際に途上国にお金が渡るんだとすれば、もっと良いことでしね!
 
 …と言いたいところですが、ちょっと頭が良い中学二年生男子ぐらいになると、色々と欺瞞がみえてくるようになるし飽きてきちゃいます。『愛は地球を救う』は偽善なんじゃないかとか。もう、『愛は地球を救う』は娯楽番組としては機能しない。「やるせない世の中の事を考えている俺って素敵」と思うには、もうちょっと込み入った装置が必要になってきます。
 
 じゃあ、ということで、「それより『ホテルルワンダ』を見よう」とか、フェミニズムについて考えようとか、色々新しい方法が出てくることでしょう。色々考えて、ブログに自意識とまぜこぜにして垂れ流せば、装置復活。鼻高々天狗ハム。知的優越感をも伴いながら、正義と倫理の高揚感が再び蘇ります。書き言葉として垂れ流される倫理も正義もボランティアも、その殆どは、『愛は地球を救う』同様、第一義的には自己優越感やナルシシズムを牽引する装置として機能している事実に着目しましょう。しかも、『愛は地球を救う』に実際に募金している人達と違って、金銭を支払う等の具体的な出血も無しですから経済的ですよね。時間と労力は確かに消費するけど、それとてスポーツに際しての流れる汗やデザートのようなもの。誰がためのホテルルワンダ?フェミニズム? 答:俺の優越感とナルシシズムの為だ! 娯楽として、優越感ゲームのネタとして、ナルシシズムを引っ張る機関車として、あれやこれやと持ち出してきては、はしごの外しあいにうつつを抜かす僕達の青春時代。美しい思い出の一ページとして、しかとブログに記録しておきましょう。
 
 そうそう、『子猫を崖から落とす』お話なども、大変良い話題でしたね。優越感とナルシシズムを牽引する娯楽として、適切に機能いたしました。はてなでも、2chでも、大の大人が歯をむき出しにして倫理の表明、表明で大変良うございました。批判的な書き込みのひとつひとつが、どれほど甘美だったのかを回想するにつけても、あの女流作家さんのエンターテナーとしての慧眼っぷりが窺われます。“猫”ということで、なんだか身近な感じのするシミュレーションを選んだのも適切です。
 
 先進国でのうのうと暮らしている事自体が既に、途方もない数の猫・ブタ・マグロ・牛・途上国国民などを磨りつぶしながら成立しているというのに、そのことにも無自覚のまま、クーラーの効いた部屋でアイスクリームを舐めながら、顔を真っ赤にして正義や倫理を消費してカタルシスを得る、という笑えない滑稽。ほら、おかあさんが夕食を告げていますが、あなた、アイスの食べ過ぎで今日は夕食残すんでしょ?先進国に生きる、という事が既に不可避の業を背負っているという点には目隠ししながら、「正義サプリメント」や「倫理サプリメント」をむさぼるように飲み下すというこの構図は、ホントに、“倫理的”なのかな?かな?正義や倫理すら娯楽として消費し、あまつさえ優越感ゲームや社会的ポジション獲得の為の具にする人々の姿。動物どころか他人すら磨りつぶし、贅沢や娯楽にさえしてしまう人間の人間たるところに目を逸らして、適応的意義を向上させそうな場面で涙を流し義憤に駆られる私やあなたの正義や倫理は、適応技術・適応サプリメント以外のニュアンスや効能を含んでいるのかな?かな?
 
 いや、単なる適応技術・適応サプリメントだって別にかまいやしませんよ。優越感ゲームや社会的ステータス向上の為の倫理表明でも、別にいいと思うんですよ。動機がどうあれ、子猫が一匹でも多く助かるなら素敵ですし、途上国にポリオの注射一本届くのも大変結構なことです。適応的意義の達成だけに倫理や正義をつまびらかす人々の姿は、もちろん醜悪には違いないですが、娑婆を懸命に生き抜こうとするヒトの逞しさをみるのは、もちろん私の好むところです。少しでも正義を表明し、少しでも倫理観に満足する営みを、馬鹿にするもんじゃございませんよね。ただ、そんな我利我利な倫理表明や正義表明をやっている私達の姿ってのは、『愛は地球を救う』でジャニーズに黄色い声を張り上げている女子の皆さんとか、ひいては、自分の適応を最大化する事だけに夢中の亡者と大して変わらないんじゃないのかな?とは申しておきましょうか。倫理や正義を消費して快楽を得、社会的ステータスを向上させようというさもしさを持っているのならば、まぁ、五十歩百歩でしょう。
 
 さて、番組はお涙頂戴ドラマの真っ最中ですが、私はウォッカ呑みながら、寝ころんでm(^Д^)m9プギャーとか嗤いながら番組を楽しむことにしましょうか。ですが、猫殺問題に真摯な倫理観をもって対峙した方におかれましては、誠心誠意、拳を握りしめてご覧になっていることでしょう。正義感や倫理観すら消費するというなんとも度し難い段階を乗り越え、自分の生に含まれた業への自覚を含みながらチャリティー番組をご覧になる方がいるとしたら、ならば、満腔の敬意を表したいものです。
 

 【まさに蛇足】
 殺生や搾取について真剣すぎる考えを持っちゃった人は、最終的には、先進国の国民をやめて、今すぐクーラーもアイスクリームも無い国に行って犬死にするしかないんでしょうかね。この国に生きていて贅沢三昧という事自体が、動機はともかく猫を崖に投げ捨てる以上の統計的結果を招来していることを十分自覚したうえで、あの猫の話を噛みしめると、「どうでもいいじゃん、俺達ゃ人喰い先進国民だしねー」って思っちゃいます。目の前の倫理的行為に目を奪われ、知らず知らずとはいえ贅沢や格差によって搾取しているという事実から目を逸らすという曲芸を続ける私達の行動。これは、倫理や正義の観点からどうみえるのかは知りませんけれども、優れて適応促進的であり、心的ホメオスタシスを保つうえで適切な処世術だ、とは思います。