読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

俺がいつ、非モテを代弁したっていうんだよ?

脱オタ

 
 2006-07-24 - 東京横浜オーケストラ 
 こちらの文章も気になるのでお返事書くことに。
 
 汎用性の高い適応は、正義ではないと思いますが、力には違いないでしょう。コミュニケーション娑婆世界における政治ゲームと力学ゲームのなかにおいては、力とは正義とニアイコールなので近似して良いとは思いますけれどもね。でも、力と正義の等号は、「力とは正義」と考える人にとってのみ成り立つものだと私は思っています*1。私は不正義でもいいから、娑婆世界を這ってでも生きていくパワーが欲しい、ただそれだけです。非モテ非モテ騒いだり、社会正義の実現についてテキスト垂れ流したりするよりも、コミュニケーションを鍛錬し人の世を出来るだけ要領よく渡って行く為の諸々を集積させるほうが、私個人の社会的予後を改善しそうだと数年前の私は考えました。この考えに沿って、適応技術を身に帯びるようにリソースを蓄積するようにと邁進して参りました。私個人のこの営みが正義か悪か、またはマクロレベルの社会にとってどうなのかは、私と私に親しい人々にとって瑣末な問題でしかありません。
 
 まぁ、ネットの非モテさんからみて私の歩んできた道のりと私の汎適応主義的個人ドクトリンがどのように評価されるのかに関わらず、「私個人が適応していくこと」を悪いことだと思っている身内や友人は少ないことでしょう。遠戚のばあちゃんも、私が色々な話をしてくれるようになった事を大層喜んでいましたし。
 
 
 おっと、ここで気づいたんですが、kiya2014さん、なんか他所で適当な事書いてくれちゃってますね。かなり頭にきた。てめーふざけんな。

kiya2014 『非モテは、「電車男」を筆頭とした、モテない男をピエロ的に取り上げるメディアやMasaoやp_shirokumaやクゼナルト等の脱オタ“悪の枢軸”たちによって常に代弁されてきました。』

 俺がいつ非モテを代弁したんだよ?あ?確かに脱オタ技術を必要な人が必要な時に使えるように宣伝したり、侮蔑されるオタクの心的傾向について書いてきたつもりだ。しかし、俺がいつ非モテを代弁した?これじゃあまるで、俺が「非モテとはこうだ」という一面的な見方を喧伝し続けてきたみたいじゃないか。冗談じゃない。喪板や毒男板、非モテブロガー達よりも俺はでかい声をあげて「非モテとはかくかくしかじかなり」と演説ぶったのかよ?マクロの非モテをくっちゃべってきた&広報してきたのはむしろ非モテブロガー達や2ch系列のほうじゃないのか?俺のあげた声が、僅かなりとも「非モテってこんな人」という見方を形成する材料になった可能性は認めなくもない。が、もっと「代弁」という表現の似合う奴等がいるんじゃないのかよ。俺はミクロの脱オタ、とりわけその技術論に集中してきたつもりだ。しかも、オタ趣味を持っていて侮蔑されている感覚に悩んでいる者が主体的にそれを何とかしたいと思っている人をターゲットに技術論をぶってきたつもりだ。それをよくもしゃあしゃあと。技術論が政治的意味合いを帯びるってことはわかるにしても、いくらなんでも「常に代弁」などといわれる筋合いはねぇぞ*2。適当こいてんじゃねぇ!
 

[本家開設以来の考え]緒言(汎適nerd study所属)
 

*1:一方、正義もまた政治ゲームにおける力のひとつとして勘定できる点も念のため指摘。非モテだって、非モテ非モテと叫んでみたり、非モテであるところの自分を他人の前に曝したりした時点で、おそらくは利己的目的を誘導する一連のパワーゲームを展開していることになることぐらいは、皆さんもよくご承知の筈

*2:第一、代弁してますなんて名乗りあげようもんなら、非モテブロガーから非難ごうごうなのは間違いないだろが。だから俺は、「非モテを代弁する」というポジションを徹底的に回避するように回避運動を続けてきたつもりだし、それがあいまいなMasaoさんの立ち回りを危ういものとして感じていたわけだ。