シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

YG性格検査2006年度比較(脱オタbefore after)

 
 日記帳として、チラシの裏としてこれを記録しておくか。
 
 今日、六年ぶりにYG性格検査をやってみた。以下はその結果だが、読んでも何が何だかきっとわからないことだろう。だが、この文章は誰かにわかって貰う為のものではなく、自分でとっておきたいが為の文章なので、私一人が内容を理解できればそれで良い。チラシの裏や日記帳に書くと紙をなくしたりくちゃくちゃにしてしまう私だが、ここに書いておけば安心だ。
 
 YGプロフィール2006
 
 D(抑鬱)     4 低い。鬱々としていない。
 C(気分変動)   6 やや低い。気分のムラが少ない。
 I(劣等感)    6 やや低い。劣等感は小さめ。
 N(神経質さ加減) 11 ほぼ平均だが僅かに神経質。
 O(客観−主観性) 7 ほぼ平均だが僅かに客観的。
 Co(協調性)    7 ほぼ平均だが僅かに協調的。
 Ag(攻撃性)    10 ほぼ平均だが僅かに非攻撃的。
 G(活動性)    16 高い。活動的。
 R(のんきさ加減) 12 やや高い。幾らかのんきなほう。
 T(思考の外向性) 2 とても低い。思考は内向的内省的である。
 A(服従−支配性) 15 高い。服従よりは支配に傾いている。
 S(内向−外向性) 19 とても高い。社会的外向性が強い。
 
 こんな感じになった。この結果を脱オタ直前の2000年6月の数字と比較してみると、
 D:より鬱々としない方向に
 C:気分の変動が安定している 
 I:劣等感が一回り小さくなった
 N:神経質さ加減は全く変わっていない
 O:以前よりも客観性より主観性を重んじるようになった
 Co:以前よりも協調的になっている
 Ag:以前ほどの強い攻撃性がみられない
 G:活動性は以前と殆ど変わらない。
 R:のんきさ加減は殆ど変わらない。
 T:今まで以上に内向的・内省的な傾向が強まっている。
 A:以前よりも遙かに支配性が高くなっている。
 S:今まで以上に外向的になっている
 以上のような変化がみられている。現在の脱オタ的シロクマの基本路線、「対外的な社会適応を向上させコミュニケーションの政治ゲームのなかで最適最高の適応を目指す、ただし自分のメンタルは壊さない範囲で」というドクトリンを反映した変化と捉えることが出来るし、その継続が回答の変化をもたらしたのだろう。YGは性格傾向や行動志向の表層をなぞるだけの検査であり、病態水準その他は以前とあまり変化していないんだろうけれど、さしあたり、社会適応上の傾向を横断的に抽出する分には面白い検査だ。んでもって、今の私は社会適応や対人コミュニケーションにおいて利益を最大化して生きていこうという志向が滅茶苦茶強く、それに即した処世術をもって生活しているということが確認された。少ない劣等感・少ない攻撃性・やや高い協調性・活動性・支配性・外向性といった変化は、コミュニケーションにおいて利益を最大化せんとする脱オタ後の私にしっくりする変化だし、今後も人の間で生きていくには便利な性向と言えるだろう。のんきさと活動性、抑鬱傾向の小ささは、メンタル上の破綻を避けるうえで重要な要素であり、私の外向的でアグレッシブな適応スタイルに一定の保険をかけてくれている。しかし、私シロクマはやっぱり神経質なままなので、神経を使うような場面が長く続けば破綻するかもしれない。ここが私のweak pointだと自覚しているし事実破綻したこともあるわけだが、どうやらこの弱点は変化しないまま今に至っているらしい。
 
 なお、私のこのパターンはYG検査ではD型(安定積極型)というパターンに属してはいるものの、D型にしては思考が極端に内省的内向的のようだ(通常、安定積極型の人の思考は内向的・内省的ではないパターンが多い)。脱オタ前もそうだったし、現在もそのまんまのこの特徴は、多分、私の(他人から捉えられるところの)性格傾向を特徴づけているものと推定される。だがまぁ、他人からどうみられるのかはどうでもよい。ともかくも、自分の行動傾向が人の間で生きていくにあたって脱オタ前より好都合っぽくなっている事を慶んでおくってもんだろう。今後もさらに、適応至上主義的な生存戦略を遂行していくとしよう。