シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

批判や非難が怖くてネットにモノが書けるかよ

 
 批判や非難、誹謗中傷が怖くてウェブサイトだのはてなダイアリーだのなんてできっこない。書き続けている限り、誰かがみている限り、何パーセントか何十パーセントの人から不快に思われたり実際に批判されたりすることは殆ど不可避だ。有名な人でさえ、いや有名な人は尚更、批判や非難に多く晒されるわけで、それを恐れて書く事を避けたり萎縮したりするのはあまり意味の無いことだと思う。どうせ萎縮て書いてみたところで、やっぱり幾らかの批判や非難は集まるし、角を削りすぎた文章は(自分にとっても、他人にとっても)つまんないものに死に果ててしまう。だったら批判や非難なんぞ恐れるな。っていうか恐れるぐらいなら書く醍醐味も死んじまうんだからビビってんじゃねぇ。炎上しようが何しようが、やりたい放題垂れ流し放題やっちまえ。
 
 それで焼け死んだり自尊心の鼻をへし折られてノックアウトするんだったら、そりゃ向いてないって事だから諦めて引っ込めばいいのさ。俺はそうはしないけどね。有名ブロガーに叩かれても、ボッコボコに「これはひどい」タグを付けられても、雑草みたく蔓延って垂れ流してやる。生きてやる。恰好悪くても書き続けてやる。テキスト、という名の俺の子ども達を、簡単に死なせやしない。うちの子達は一千万人に殴られても死ぬものか!批判や非難で死ぬような子は要らないし、そんなひ弱な子達を吐き出してもしようがない。俺のテキストは、俺の分身、子ども達だ。批判や非難の総攻撃を食らっても、俺はお前達(俺のテキスト達)の味方をするし、決して殺したり否定したりするものか。バカ呼ばわりされようとも、犬呼ばわりされようとも、お前達テキストは俺の一部であり分身だ。バカでも犬でも俺は俺だ。どれほど惨めな外部評価に晒されたとて、自己否定するわけにはいくまい。みっともない自分として受け容れよう。そんな自分でもいいやと思おう。
 
 批判や非難を浴びたらとたんにデリートしたくなるテキストを打っちゃう人や、プライベートモードに逃げ込む人は、自分の打ったテキストをどう思っているんだろうか?かわいくないのだろうか?批判や非難がそんなに嫌なのだろうか?だったらウェブサイトに出てこなければいいのに。他人に叩かれたぐらいで死ぬ子どもしかつくれないなら、必然的に一定量叩かれるであろう公開テキスト達はバタバタ死んじゃうよ?叩かれても叩かれても、つくったあなたがちゃんと愛してあげれば、それらテキストは致命傷を負わない、筈、じゃないのかな?
 
 ※追記:でも全国民に叩かれるテキスト書いたら流石に愛しきれないかも、と惰弱な私は思ってしまう。一千万人ぐらいなら耐えられるだろうか?一万人ぐらいなら耐えられるだろうか?テレビニュースに載って叩かれるぐらいの超々々々々々々々集中砲火喰らったら、考えを改めざるを得なくなる予感がする。でも数人単位に叩かれたり、どこの誰とも知れぬ有象無象に貶されたりしたぐらいで凹んでたら、やっぱりメンタルが幾つあっても保たないとは思う。批判や非難に対する何らかのレジストなり厚顔さなりがなければ、ネットにテキストなんてとても垂れ流せないという認識は変わることがない。