シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

出来るだけ佳い女のスカートに、繰り返し顔を突っ込もうとする俺

 
スカートの中を覗くためなら、媚びて媚びて媚びまくってやる - シロクマの屑籠に対して、突込みが入った!
 

え? なんで? お店にいって、お金払えばいいじゃない? クジャクみたいになる必要も、雄鹿のようになる必要もないよ。不思議だなぁ。

でも、もし、それじゃ物足りないと思うのなら、あなたの望みは「女性のスカートの中に顔を突っ込みたい」なんてほど単純なものじゃない。そこにはいろいろなものが隠れてる。単純化した理屈をこねてその複雑性から目をそむけようとしないで欲しいな。そこに隠れてるものこそがモテと非モテを分けていて、俺はそれを明らかにしたいと思ってる。明らかにすることで、問題を(解決には至らずとも)前進させたいと考えてるんだ。
 from:2006-06-22 - 読書感想日記

 
 こんなこと指摘されちゃった!私はスカートの中を除く為に――つまり異性と親密な関係に至るために――全身全霊を費やす心意気を表明したわけだが、id:subscriberさんは「ただスカートの中に顔を突っ込みたいだけなら、お金を払って風俗すればいいじゃん」と指摘したわけだ。金さえあれば、わざわざ女性にディスプレイする必要は無い、という事だろうか。確かに、女性の下半身をとにかくたくさん見たいとか、女性ととにかく結合したいだけなら、金さえあればokに違いない。風俗は、男性が女性のスカートの中を覗く諸方法のなかでは、最も取引が明瞭な、わかりやすく便利なシステムだ。不特定多数のスカートの中を覗くだけなら、風俗を利用するは十分合理的といえる。
 
 じゃあ、私はどうしてそうしないのか?どうしてシンプルでリーゾナブルな性風俗にお金をぶっこまないのか?その答えを出来るだけ真面目に回答してみようと思う。
 
【金払って性を求めるコストやリスク】 

・単純に、性風俗店が近辺に無い
 まず、本筋の理由とはちょっと違う所から答えてみる。私は田舎に住んでいるので、性風俗店が周りにあまり無い。殆ど“絶無”に近い。首都圏に住んでいる人にとって、性風俗店は距離的・物理的に遠くない存在かもしれないが、田舎在住の私にとっては、まず距離的に遠い存在である。性風俗店に行こうと思ったら、金銭だけでなく、時間やエネルギーも相当費やさなければならなくなる。このため、性風俗店に行くコストが都会の人よりかかりやすい。
 
・性風俗店にはリスクがある
 私は臆病者なので、わけのわからないリスクは極力避けようとするチキンな性質を持っている。性風俗界隈をろくに知らない私にとって、性風俗のどこにどんなリスクが潜んでいるのかは、よく分からない。(田舎に住んでいるせいもあるだろうけど)私の周囲には“水先案内人”がいないので、単独開発、それもかなり遠い街の性風俗店の探索をするのはかなり面倒だったりする。(自分にとっては)リスクが評価出来ない場所を地道に開拓するのは、余程の時だけにしたいところ。
 
・不特定多数との粘膜接触は総てリスキーである
 上に挙げたリスクは、正直私の憶見に過ぎないのかもしれない。だが、明確なリスクも存在する。セックスを筆頭とした性的な粘膜接触は、梅毒・HIV・クラミジア・C型肝炎ウイルス等に接触する可能性を有している。ゴムを使おうが何をしようが、唾液も含めた各種粘液は、ソレを媒介とする寄生生物の感染リスクを含んでいる。粘液同士の接触に血液が混入した場合など、もう何が起こっても不思議ではない。
 
 これは職業病的潔癖なのかもしれないが、どこの誰ともしれない相手と粘液や体液が接触する事を、私はハイリスクだと考えている。これは、職業的性風俗店だけに限らない。援助交際然り、ナンパ然り。不特定多数との体液接触は、バイオハザードの危険を含んでいる。不特定多数との性行為を控え、決まった相手との性行為に限定する事によって、このリスクは最小化する事が出来る*1
 
・田舎的ムラ社会への影響
 田舎では、異性関係の噂はコミュニティ内に瞬く間に広がりやすい。しかも、田舎的ムラ社会の人間関係は代替がききづらく、その中で「とっかえひっかえ」「風俗通い」というレッテルを貼られる事は適応に適しているとは言い難い。
 
 これらのリスクを無視したまま、短期的な性的関係や風俗通いを行うのは私の適応を妨げる可能性が高い。よって、私は自らの適応を防備する為に、できれば短期よりは長期的な交際を志向することになる。
 

【金に頼らず性を求めるメリット、特にえり好みしたステディを定めることのメリット】
 
・男女交際に関するスキルや経験の蓄積、殊に配偶対象選択プロセスを精錬する
 性風俗店で性体験をしているだけでは、実際に異性と交際して結婚に至るまでの配偶対象選択プロセス*2を洗練させる事が難しい。短期間交際特化タイプも同様かもしれない。長期間特定のステディと交際し、相手の情報を読んだり相手と自分の相互影響を生起させたりするノウハウは、刹那的なセックス希求型では精錬しにくいと私は考えている。少なくとも、長期交際による相互観察・相互影響を繰り返すことは、倦むこと避けられない配偶後の自分の適応を維持する(或いは相手の異性に適応を脅かされないようにする)ためには必要には違いない。配偶後、特に子どもが出来た後の状況を予測するのは困難極まりないが、ハズレ女予測その他の技術集積は出来るだろう。まぁ、私個人の技術集積を上回る曲者にやられるリスクは常に零にはならないんだけれども。
 
・対異性コミュニケーション、特に長期的交際に関するノウハウ育成
 異性は、飽きる。考えようによっては、飽きる。性的には、幾らかは、飽きる。そのような“珍しいフランス料理から、いつもの納豆ご飯化”を迎えながらも楽しくやっていく為のノウハウを蓄積する事は、配偶後の苦しさ加減を考えれば有意味な事だと思っている。長い付き合いを楽しくやっていく為に必要なもの、長い付き合いを破綻せずにやっていく為に必要なものは、無いよりはあった方が良いだろう、完全にはほど遠いレベルにせよ。こうしたノウハウ育成は、リソースを風俗店巡りや短期交際分野では得られにくい。
 
・相互理解のデータバス拡張
 相手の異性が何を意図しているのかを言われる前に把握して介入したり*3、こちらの発語の前段階で把握して貰ったりするには、やはりそれなりのコミュニケーション試行が無ければ難しいし、少なくとも試行を蓄積させて集積出来るモノは、ある。性的接触においても同様で、五感全てをデータバスとした相互干渉と情報交換を形成するには、回数重ねたり長く相手といたりしなければ達成できない。少なくとも私には必要だった。
 
 ※ちなみに個人的には、「相互干渉の意味合いの乏しい性行為は、コスト高の割には気持ちよくない」。相手の呼吸に合わせるなりなんなりが無いなら、意志のある生身の女性と性交渉する意味も意義も少ないと思っている。もし、独り善がりと欲情だけを望むだけなら、AVなりエロゲーなりのほうが低コストで低リスクで、“お前のセックスは自分勝手だ”などと文句を言われる心配もない(し、そんな風な心配をする必要もない)。短期的交際や性風俗よりも、ディスプレイの向こうの人形にリビドーをぶつけたほうが混じり気の無いワガママを一方向的にぶつけることが出来るので気楽だ。
 
・仲良くなった相手の確保
 性風俗では、コミュニケーションの極太データバスを対象と確保しづらいだけでなく、よしんば極太データバスを構築したところで維持する事ができない。短期的交際なら可能かもしれないが、短期前提の交際形態・交際相手では、極太データバスを維持しようというコンセンサスが得られるかが分からない。だったら、最初から長期的交際を前提とした態度を明示しあうことによって、折角形成した極太データバスを失わないようにしたほうが私の気に合っている。*4 阿吽の呼吸が得られるような太いデータバスを(対象異性との間に)形成するのは、幸運で高コストな事なので、そのような相手と強力な関係を維持・発展させるには、やはり長期交際しかない。
 

・自己陶酔
 長期交際から、私の場合、自己陶酔を引き出すことも可能だ。これは忘れてはならない重要な心的利得である。ただし、このナルシシズムに溺れすぎれば長期交際は腐ってしまうのだが、ともかく自分自身が長期交際を選択していることから心的利得を吸い取っていることには注目しておかなければならない。
 

 以上のようなメリットは、短期的交際や性風俗を選択している限りは得ることが難しいと私は考えている。いや、それが欲しいからと思って意図的に長期的交際を選んでいるのかどうかは分からない。分からないんだけれども、少なくとも、長期交際志向はシロクマ自身の中〜長期的適応ドクトリンに矛盾しない。私の性によく合っている、とは言えそうだ。
 

【まとめ】
 以上のような理由があるからこそ、お金を払ってスカートの中を覗くことに私は消極的なのだろう*5。また、私が短期交際の“焼き畑農業”を志向しないのも、上記のような理由によるものだろう。もちろん、私はたんまりと性欲を持っているが、私が誰のスカートをどのように何回のぞき込むのかは、自分自身の適応ドクトリンと喧嘩しないようにautomaticに調整されているようだ。金で買えるスカート覗きでは手に入らない諸々は、私の中〜長期的適応にとって無視できない栄養素だ。この栄養素を手に入れる手間暇を思うとき、(金も含めた)リソースを風俗につぎ込んでいる余裕はあまり無いと言える。私は、自分自身の適応を妨げる要素を避けたがり、適応を促進しそうな要素に近づきたがる。男女交際においても、こうした“適応への意志”が私の行動を強く規定しているように思える。
 
 もうちょっと普通の言い方をすれば、以下のようになるだろう。
 
「俺は、出来るだけ自分の好みにあった、ローリスクハイリターンで、ツーカーの仲になれて、目と目で通じ合うコミュニケーションが可能な女性と、(よしんば交際が終わりを迎えたとしても)恋愛ノウハウがお互いに残るような交際を行って、あわよくば結婚したうえであまり不幸ではない中年〜老年期を迎えたい」。
 
 こんなのはもちろん贅沢すぎる執着だが、一歩でも近づきたいとは常々思っている。この執着にアプローチするにあたって望ましいリソース・望ましい経験・望ましい男女交際の形式、を選択しようと私はあがく。私はスカートを覗く相手を幾らかの見極めの後に選び、一度覗いたらその女性のスカートばかりを覗こうとするだろう。さらに、少しでも望ましい相手と交際し望ましい関係を維持する為に必要になりそうなモノを精一杯かき集めるだろう。私は、誰のスカートでもいつでも覗きたいわけではないが、少なくとも自分の適応を最大化する意図と矛盾しない範囲ではスカートの中を覗くべく精一杯あがいている、とは胸を張って言える(胸を張って言うことじゃないか)。私がのぞき込むスカートの数はあまり多くはないかもしれないが、それぞれのスカートの中を覗く為には、私は絶対に手を抜かないし、手を抜かずに最善を尽くすだけの適応的意義があると確信している。等身大の私が望み得る最大の適応を、男女交際の分野でも模索するのだ。 
 

*1:勿論、決まった相手も不特定多数とヤってない事が条件になる。もし、特定の相手との性行為によってリスク最小化するなら、その特定の相手を選別し相互に選びあうスペックなり何なりが求められる

*2:世の人は、このプロセスを指して「恋愛」という言葉をあてがう事が多い

*3:ちなみに、この介入は“相手の思いを叶える”こと一辺倒ではない。無視すること、嫌がらせする事も含まれなければならない。

*4:ちなみに、このプロセスで短期交際を相手が望んでいることが判明した場合、諦めるか、長期交際に変わるように色々やってみる事になる。だが、何よりまず自分が長期交際を望んでいながら短期交際を望む相手を掴んでしまった時点で、その作戦は失敗だったと言わざるを得ない。次の作戦に備えてどこに落ち度があったのかを検索することになるだろう

*5:本文中に書いた通り、エロゲーはやりますよ!リスクが少ないですから!交際相手にバレたら大変?否、いかにバレても構わないように関係を構築していくのかが大切だと思います