シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

ワールドカップ観戦が現代日本人に与える、ちょっとした適応的メリット

 
 サッカーワールドカップ日本戦がまもなく始まる。アパートの隣の部屋からも、窓越しにテレビ中継の音が聞こえてくる。私と同じく、アルコールとつまみを用意して試合開始を待ちわびているのかもしれない。普段Jリーグの中継を観ず、日本国を崇め奉る精神に乏しい私*1が、ワールドカップ日本戦をこんなに楽しみにするのも奇妙だが、今はとにかくキックオフが待ち遠しいばかりだ。(だから今、このテキストを打って暇を潰している)
 
 閑話休題。
 
 現代の日本は、かつて無いほどに文化ニッチ細切れ&地域社会崩壊の進んだ時代を迎えている。このような、人間同士の共通基盤・共通理解が持ちづらい時代において、ワールドカップ日本戦は若年者の殆どがが感情・体験を共有できる希有な機会として着目してもいいのかもしれない。
 
 昭和の頃には、同年代が誰もが共有出来る放送コンテンツは決して少なくなかった――ドリフターズや紅白歌合戦、巨人戦など――が、今はそうではない。職場の誰もが、地域の誰もが殆ど感情・体験を共有し得る放送コンテンツをみるチャンスは滅多にやって来ない。また、同世代全員を覆い尽くす程のブームというものも滅多にやって来ない。文化的にも地域的にも細切れになった私達は、コミュニケーションに際して数少ない共通基盤や共通理解を検索しながら話を進めがちだが、今回のワールドカップの話題というのは(極めて短期的にせよ)まず安心して誰とでも話題と感情を共有出来るチャンスということになる。
 
 よって、ワールドカップ日本戦観戦は、単に試合そのものを娯楽として愉しむ以上のメリットを観戦者に与えると言える。なぜなら日本戦観戦は、(極めて短期的とはいえ)相手を殆ど選ばずコミュニケーションに提示出来るような、比較的汎用性の高い経験・感情を私達に与えてくれるからだ。かつて、ここまで文化が細切れになっていなかった昭和においては、阪神−巨人戦なりドラゴンボールなりを観ることによって、私達はちょっとしたコミュニケーションの足がかりと僅かばかりの共通項を得ることが出来ていた。だが、21世紀においてはそんなチャンスはそうそう得られるものではない。老若男女こぞって観戦し、こぞって感情・体験を共有出来るという体験は、試合の翌日のコミュニケーションシーンに、汎用性と共感確率の高い話題を提供する可能性が高い。仮にそれが社交辞令程度であったとて、ワールドカップ日本戦に関する話題は、少なくとも「外す」リスクの少ない選択肢として着目に値する。特に、日本が勇戦・善戦し続ける限りはそうだと言える。
 
 もし日本が上手く勝ち続ければ勝ち続けたら、多くの日本人が夜遅くまで観戦するだろう。そして翌日、唾を飛ばしあいながら“感情と体験の共有”を確認することだろう。この現象は、日本戦に醒めた目を向ける人達にとって大いなる不快感を与える一方で、ウォッカなりビールなりを呑みながら日本戦を観戦した者同士に*2架け橋を与えると期待できる。もし、これから新たに誰かとコミュニケーションを開始したいと思っている人にとっては、この“感情と体験の共有”は、コミュニケーションの成功確率に僅かながらもボーナスを与えてくれるチャンスと捉えられる。昭和と違って滅多にこういう機会が無い平成の御代だからこそ、“感情と体験の共有”の御利益もいや増すというものである。さぁ、好機を逃すな。試合を愉しむオマケとして、コミュニケーションに供し得る共通体験を手に入れろ!(←変な煽りだ!)
 
 ん?待てよ?ひょっとして、サッカーに普段興味の無い、ナショナリストっぽくない私がこんなにもワールドカップを楽しみにしているのは、ひょっとしてサッカー観戦の楽しみだけではなく、「みんなと繋がりたい」欲望を満たしてくれそうだからなのかも?だとしたら、俺が日本を応援する目的は、勝てば勝つほどW杯のネタで「みんなと一緒になって騒げる」からなのか?!

*1:仏教&神道や、日本文化や、日本語は幾らか崇めているかもしれない。

*2:一時的で、理解というよりはむしろ誤解に近いものとはいえ