シロクマの屑籠

はてなダイアリーから引っ越してきた、はてな村の精神科医のブログです。

顔の見えるはてな村と、顔の見えない2ch村の相違

 
・はじめに
 
 よく、はてなダイアリーの世界を「村社会」に喩えて表現する人がいる。実際、はてなダイアリー界隈(や、おそらく他のそれぞれの会社のブログ界隈)には、村特有の“空気”が一定の排他性と共に存在していると思う。村に馴染めない者には息苦しく、村に馴染んだ者には快適な“空気”の存在によって、はてなにははてならしい特有の風土が生まれていると思う。特に、はてなは人口があまり大きくないうえにブクマその他が充実しているので、村社会を形成するには丁度良い“規模”さかもしれない。
 
 一方で、2chも村社会に喩えられやすい。自由を約束されたかに期待された2chは、実際は“空気”という名の地方ルールによって雁字搦めに縛られ、細分化され尽くしたスレッドの集合体を指す言葉となってしまった。2chに書き込むにあたって、個々の名無しさんには“自由”なんて許されない。殆どのスレッドでは、“空気”を読まなければ叩かれたりスルーされたりする事が避けられない。“○○スレッド村”に入ろうと思う者は、それこそ半年ROMってでも“空気”を把握しなければ村社会で生きていくことが出来ない。2chは間違いなく村社会に喩えられる、それも、排他性や“空気”が濃密な村社会だと言える。
 
 しかし、この二つの“村社会”は随分と違っているし、特に2chの“村社会”の不思議さ加減に私は首をかしげている。いわゆる現実の地方農村に近くて了解しやすいのは、どちらかといえばはてな界隈のほうだと思う。この相違について書き残しておこうと思う。
 
・顔の見えるはてな村
 
 はてな界隈では、曲がりなりにも個々のブロガーの名前がはっきりしており、村の長老方――アルファブロガーに該当する人達も多分含まれるだろう――*1もイメージしやすい。長老方の見解が上意下達式に広まることもあれば、“騒ぎを起こす名物男”のように「あー○○○○2014さんがまたゲリラってるぜ」みたいな現象をみんなで生暖かく眺めることも出来る。村人同士の揉め事が見識ある第三者の仲介によって緩和される事もある。
 
 こうしたはてな界隈の“村社会”では、個々の村人の顔(ハンドルネーム)がイメージしやすい。村の空気をコントロールするブロガーの行動と傾向も比較的把握しやすく、村の空気を構成する要素群としての村人個人個人を弁別したうえで村に住み続けることが出来る。さらに、村の空気はそれなりに重要ではあるものの、顔見知り度が高く個々のブロガーの過去の書き込み履歴をリファレンス出来るが故に、“あー、○○さんのやる事なんだからまぁ芸風だよね”という許容性が発生する余地もある*2パイ投げで狙いをつける時も、微笑みを返す時も、空気を操縦する時も、はてな村では村人の“顔”というものを意識する余地がある、というか意識せざるを得ない。
 
・顔のみえない2ch村

 一方、2chの“村社会”では個々の村人の顔が見えない。トリップ付きの数名を中心に回っているような特殊なスレッドを除けば、村人一人一人を弁別する顔にあたるものは全く存在していない。故に、空気が形成される課程や制御・変更される課程も、誰がどうやって創り出しているのか殆ど読みとることが出来ない。はてな界隈では、空気の構成子たる個々のブロガーをイメージする余地は相当残されている(特に発言力や見識に優れたブロガーが村の空気に瞬間的/恒常的に与える影響、など)が、2chの板/スレッドではそれが無い。ときに、“祭りの中心人物”にスポットライトが集まる瞬間こそあれ、匿名の個人の顔に注目出来る機会は滅多に無いと言える。
 
 そして、2ch村の空気は誰がいつ、どうやって創り出したのかもはっきりしないままに、ともかく強固に場を支配するのだ。また、トリップをつけてスレッドの空気を操縦してやろうという試みの多くは、失敗に終わる。匿名住民達は、トリップ付きの空気に対する能動的介入を嫌う。少なくとも、そのような意図を丸出しにしているトリップ付きに、2ch村社会は寛容ではない。たとえスレッドが荒れた時といえど、個人が個人として顕名で空気に介入する事は、歓迎されていない。いつの間にか不文律化した空気が、匿名集団によって金科玉条のように尊重される2ch社会…不文律化された空気は顕名の個人ではなく匿名の集団によって変化を許されるものらしい。2ch村の空気は、“誰かによって変化”するものではなく、“匿名の見えざる手”によって移ろうものでなければならないようである。
 

・考察とまとめ

 はてな村は、既存の村社会の延長線上で捉えるのが比較的容易で、村の空気が形成されるプロセスを把握したり、村の空気の特定の成分が誰によって調整されているのかを把握しやすい。十分に馴染んだ村人は、その事を理解したうえで“村の空気”“個々の村人”と付き合うことが出来る。顔のみえる村社会であるが故に、個々の村人は“空気”を読み取ったり形成したりするうえで個人を意識するし、せざるを得ない。はてな村の空気は(既存の村社会同様)、顔のみえる個人が集積することによって形成されていると言えるだろう。
 

 対して2ch村は、既存の村社会と比較した時“全員覆面”という点が決定的に異なっている。村の空気の形成過程も、誰が影響しているのかよく分からない。村の祭司が誰なのか、村の長老が誰なのか、トリックスターが誰なのかも見えてこないし、そもそも個人が個人として空気の構成子たろうとする事は忌避されている。はてな村や既存の村社会と異なり、2ch村では“空気に影響を与える個人”“空気を形成する構成子としての個々人の顔”が全く見えてこないし、顔(ハンドルネームやトリップ)を意識したコンテキストゲームが極度に少ない。故に、2ch村では“村の有力者”にアクセスする事で間接的に空気を操縦するチャンスも無いし、「誰が空気を引っ張ったのか」「この瞬間の空気の由来はどこなのか」を想像する事も困難だ。
 
 このように、“匿名の村社会”という2ch村は、顔のみえる既存の村社会や、はてな村と大きく異なる特徴を有している。この違いはやはり、匿名と顕名の違いに由来するものなのだろうか?何に由来するのか本当の所は分からないにしても、ともかく、ネット上に存在する二つの村社会は、似ているようで相当に違っているとまでは言えるだろう。この二つの村社会の相違点に着目し、解剖を行う事によって、“村社会を形成する私達の心的傾向”の理解を深めることが出来るかもしれない。今後も、2ch村とはてな村(と既存の村社会)を眺め続けていきたい。
 
 ※なんか気になって仕方ないので書いてみた&トレースしようと決めたけど、2ch村の研究は、きっと“まなざしの快楽”のpikarrrさんが既に相当やっちゃっている予感がするし、多分あそこにおんぶにだっこで自分がわざわざ考えなくても良い予感。でも、一応自分の日記帳にはちゃんと書いておくってもんだろうな。
 

*1:ここでいう長老方の“顔”とは、サイトスタイルとか考え方とか、だろうか。無論、オフ会で会った相手は当人の顔も含まれる

*2:勿論、顔がはっきりしているが故に“村八分”になった時には顔めがけて空き缶が投げつけられる事もあるだろうけれど。