シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

智代アフター:成熟を重ねていくkeyの物語

 

 ハルヒ一巻に続き、keyの『智代アフター』も終了。keyのゲームはtactics時代の『one』以来、取り扱うテーマが少しづつ変化してきているのが面白い。ライターさん自身のなかで変わっていくものを反映しているのだろうか?「萌える記号をとにかく最効率でかき集めてみました!」な作品づくりとは対照的な方向にkeyのゲームは変化している。それも、徐々に且つ曲がりなりではあっても、大人のほうへと、成熟のほうへと向かって。
 
・成熟するkeyのギャルゲー・エロゲー
 
 かつて私も、『kanon』ぐらいまでは「萌えな要素をそれなりに散りばめた、ちょっと謎っぽい萌えゲー」という捉え方でkeyのゲームとお付き合いする事が出来た。『one』の七瀬も、『kanon』の名雪も、癖のあるキャラではあっても彼女達なりに魅力的だったからだ。でも、Air→クラナド→智代アフターと進むにつれて、家族関係や人間関係の繋がり(断絶や不理解よりも繋がり!)を意識せずにはいられなくなってくる。もはやプレイヤーは「ただ萌えるだけ」に集中するのが困難になってきて、家族なり友人なり恋人なりといった人間関係に否応なく引っ張られてしまう。クラナド以降ますます顕著になっていくこの「人と人との断絶ではなく繋がり」というテーマ。クラナドの追加ディスクとも言うべき智代アフターでは、智代と朋也を中心とした、永遠ではないけれども影響を与え合って生きていく人間模様がこれでもかと描写されている。智代アフターは、結局、アフター以降の展開がアレだったりするので露骨過ぎる&端折りすぎるところもあって(私個人は)残念に思う部分もあったが、それでもエロゲーというメディアにおいて「支配や調教や断絶を中心とした人間関係」が跋扈する昨今、濃厚な人間模様描写はすごく貴重なものだと思う。エロや恋愛についてはともかく、智代アフターやクラナドは、人間関係の描写という点ではエロゲーにしては珍しい「リアル指向*1」な作品じゃないだろうか。
 

 また、個人にとっての時間とはどういうものなのかについての取り扱いも徐々に変化していて面白い。「永遠はあるよ」だとか「奇跡」を取り扱っていたone,kanonから、輪廻を取り扱うAir、そして「永遠も輪廻も無い」クラナドと智代アフター。永遠や奇跡に重きが置かれていた面影は、クラナド群にはもう無い。永遠も奇跡も無い。あるのは現実だけ、だとしても一期一会とご縁の重なりに意味と意義を見出そうとするキャラクター達。ここが、クラナド以降のkey作品の特徴となっている。智代アフターの終盤、智代は結婚指輪をつける。だが、この指輪は永遠だからこそ尊いわけでもないし、繰り返されるから尊いわけでもない。「やがて喪われるものだとしても、永遠ではないとしても、尊い」と作品中では語られるのだ。残念ながら、one以来の悪い伝統である「○を描くことで泣きゲーブーストをかけている」という陳腐さは拭えないものの、永遠ならざる指輪の描写はやはり感動的だったし、智代が最高に綺麗にみえる瞬間だった。あの一瞬のために2200円払ったんだとしても安いもんだと思うよ(注:今回中古で買っちゃった)。
 

しかし、keyの進化にオタクはついていけるのか?
 
 私は思春期が終わった枯れたおっさんなので、一連のkey作品に描写される“成熟”を好もしいものとして捉えているし、次回作は中古ではなく新品で速攻ゲットしようと思っている。エロゲーというニッチなメディアにおいて、ここまで人間関係を儚く且つ好意的に書けるメジャーグループの存在はやっぱり貴重だ。
 
 ただ気になるのは、消費者たるオタク達がこのkeyの成熟についていけるかどうかという点だ。エロゲーという分野は、もともと十代〜二十代に選択されやすく、年くったエロゲー消費者というのは、飽きたり結婚したりしてエロゲー界隈を離れていくか、エロゲー界隈に残るにしても恋愛の運命の儚さよりは永遠を願望しちゃう人が多いと思う。まして、成功することや認められることに汲々とし、失敗することや失うことを日々恐れる若い世代が多いなか*2、果たして、表面的な失敗の裏側で連綿と続く因果なり価値なりをどれぐらいのプレイヤーが“うんうん、そうだよね”と認識し得るのだろうか?人の流れが速く、文化集団がブツ切れになっている現代ポストモダン的状況において、果たしてどれほど多くのオタク達が納得して消費することが出来るのだろうか?どこまで「感動」出来るのだろうか?
 

 …いや、こんな疑問は所詮私の杞憂なのかもしれない。そもそも、制作陣のズバ抜けた能力で何とかするってもんだと思うし、クラナドや智代アフターはそれに成功した作品だと信じたい。だけれど、Fateシリーズが脚光を浴びているのに比べ、クラナドや智代アフターが発するメッセージはオタク界隈においてお世辞にも注目されているとは言い難い。やっぱり高い評価は受けていないってことなのか?そりゃ、Fateやひぐらしに比べたら、何もかもが泥臭いストーリーだとは思うけれど…。泥臭いのが恋愛や娑婆世界や人間だって事を考えれば、これはこれでエロゲー界においては貴重かつ革新的な作品だと思うんだが…。
 
・文学やドラマなどの他メディアとの競合に勝てるか?負けてもいいから逝け!
 
 keyの指向する描写は、はっきり言ってかなり無謀で、スマートなFateの如き作品には敵わないんじゃないかな、と思う。特に萌えオタ用の娯楽として考えた時、幅広い萌えオタから評価されるとはちょっと考えにくい。しかも、このようなリアルまたはリアリティ指向の作品は、ビジュアルノベルという狭い井戸のなかでは希少かもしれないにせよ、井戸の外に目を向ければ優秀すぎる作品がごまんと存在しているのだ。そんななかで、「永遠ではないし嬉しいことばかりではないけれども、一つ一つの瞬間・コミュニケーションに輝きがある」と声高に主張するのは、マーケティング戦略という醒めた目でみれば厳しそうにみえる。
 

 だけど、私はやっぱりkeyの試みは続けていって欲しいし、次回作では、より成熟した恋愛模様・人間模様に出会いたいと期待したい。なぜなら、オタク界隈・ギャルゲー界隈というニッチが、成熟拒否したまま永遠と純愛への願望だけが空回りするコンテンツだけに満ちていて欲しいとは思わないからだ。また、それではエロゲーオタク達は結局のところ、永遠への憧憬と現実への虚無感を抱え続けるしかないだろうからだ。エロゲーオタク達は、なかなかドラマをみないし、なかには文学な作品に触れる機会の少ない人もいるかもしれない。そういうオタ達に、「永遠だの純愛だのではなくても、素晴らしい瞬間というものがある」というメッセージを発するストーリーテラーとしてkeyが頑張ってくれる事を私は期待したい。押しつけでもいい、売れなくてもいい(潰れない程度に売れて欲しい)、声を嗄らして「永遠は無いよ、だけどやっぱり人生は素晴らしいよ」と提示するメーカーがあったっていいと思う。
 

 私は今回の『智代アフター』を必ずしも傑作だとは思わないけれども(クラナドのファンディスクのボリュームだったとは思う…こればかりは仕方ない)、一連のkey作品の“発達と成熟”の一プロセスとして大切にしようと思う。また、今後さらにkeyが突っ走ってくれることを期待したいと思う。これまでkeyは、不完全だとしても価値のある諸々を示してくれた。次あたりは“失恋にも価値がある”“悲恋だって悪いものじゃない”っていうのを提示してくれないかな。恋愛は成功しなければならない・純愛でなければならないという強迫的な思いがオタク達の恋愛観を占めている現状に、鋭くも感動的なメスを入れてくれると嬉しい。永遠と安楽と純粋こそが至上の恋愛だと思いこんでいる勘違い&未熟オタクが多いなかに、keyだからこそ出来る、keyにしか出来ない爆弾を投じて欲しい。期待しすぎだというのは分かっている。だけど、エロゲーメーカーのなかで(今のところ)keyだけが、そこまで踏み込んだ作品の創作を許される実力とネームバリューを有しているように思えてならないのだ。
 
 ※もちろん音楽は毎度のことながら素晴らしい出来映えだった。なんか口ずさみたくなるような、印象に残る音楽。ゲームBGMとしてはこういうのがいいかな。
 

・蛇足なので飛ばして下さい、一オタクの独白
 
 クラナドと智代アフター。俺がエロゲーで“結婚”を目撃したのは、多分同級生2以来だと思う。あの頃見た数々のエンディングは、永遠の幸せを夢想するに十分なクオリティだったと思う。同級生2の頃、俺は結婚にみていたのは(いかにもオタクにありがちな)永遠・純粋だったし、同級生2のエンディングはとにかく幸せな夢をみせてくれた。
 

 あれから10年。今、俺が結婚に抱いている夢は「諸行無常と相互誤解の理のなかでも、それでも寄り添い、駄目でも何でも生きていく人間達」だ。智代アフターにおいて描写された結婚は、かつて同級生2の頃に夢想した永遠や安楽とも無縁のモノだけど、それでも、否だからこそ感動的だった。遅かれ早かれ終わる、恋すら冷めてしまう男女関係のなかで、何を歓び、何に価値を見出し、何に執着して生きていくのか?十年の間に、俺は擦れてしまったことと引き替えにそれなりの成熟を得た。永遠よりも奇跡的かもしれない、永遠ならざる時間に対する誓いを、今の私はとてつもなく尊いものだと感じる。そんな私自身の価値観に、昨今のエロゲーは「萌え」しか投げかけてくれないのだ…ただひとつ、keyの作品群を除いて。オタク界隈のアルカディアには、高校生の恋愛こそ溢れていても、苦みの混じった二十代半ば以降の恋愛や結婚観は滅多に見いだせない。だからこそ、keyの成熟した作品群がおっさんオタクな俺には貴重なものに感じられるのだろう。非オタクメディアに全部お任せでは寂しい。どうかこれからも“もっと年上指向の恋愛や結婚の描写”に突き進んで欲しい。対オタクマーケティングから言って厳しいにしても。
 

*1:リアリティ指向、とは書くべきだったかもしれない、という迷いは私のなかに今も残っている。だけど、それなりに娑婆の道理を捉えようと努力している作品だとは思います

*2:ちなみに私は、オタクにおいては失敗や喪失への恐れは案外顕著なものではないかと疑っている。そしてだからこそ、思春期はなかなか漸進しない。[関連]:漸進しない、失敗出来ないというキーワード(汎適所属)